近代日本精神医療史研究会

Society for Research on the History of Psychiatry in Modern Japan
『精神病者私宅監置ノ實況及ビ其統計的觀察』を読もう(その33)
現在の高尾山を訪ねてみよう。
清滝駅からケーブルカーに乗れば、楽に薬王院にたどり着くことができる。



この日はあいにく天候が悪かった。
1月のどしゃ降りである。
薬王院でお札などを買い、今度は山道を下る。
山道は川と化し、靴の中は水浸し。
かなり山を下ったあたりで、「ザー」という水の音が聞こえる。
一帯の空気は異様なほど張詰めている。
そこが琵琶滝(琵琶ノ滝)だった(下の写真)。



柵があって、一般人は滝には近づけない。
やがて白装束をまとった行者が一人現れて、あたりに塩をまきはじめた。
これから滝に打たれるのだろうか。
この寒いのに。
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『精神病者私宅監置ノ實況及ビ其統計的觀察』を読もう(その32)
『精神病者私宅監置・・・』を読もう(その31)のつづき(「高雄山薬王院」の記述の現代語訳)は以下のとおり。

、琵琶ノ滝、蛇ノ滝、弁天ノ滝の三つの滝があって、それぞれ別の場所にある。琵琶ノ滝と蛇ノ滝とは、二十町ほど離れている。
琵琶ノ滝は、最も多く精神病者が潅浴するもので、高さ三尺・幅一間ほどあって、滝壺は二坪平方の広さで、座ってようやく腰が隠れる程度の深さである。滝は自然に巌石を伝わって降りてくるため、水勢は緩慢である。
蛇ノ滝は、高さ一丈五尺・幅二尺程あって、巌壁を伝わらず真っ直ぐ降りてくるため水勢はやや強い。
弁天ノ滝は、初めは人工的に蛇ノ滝から水流を三光荘の前まで引いていたが、現在はすでに自然の滝となり、高さ一間半・幅四尺程ある。多くは、神経衰弱者・軽症精神病者に応用されている。

(論文に挿入されている「弁天ノ滝」の写真)

合力、合力は普段は参籠所内にいて、患者の潅浴にあたってこれを補佐する。この山の付近の農民がこれを副業としているものが多い。またこの合力を監督するものもいる。合力の日給は六十銭である。琵琶ノ滝の参籠所には合力がいるけれども、蛇ノ滝および弁天ノ滝の参籠所にはいない。蛇ノ滝は水勢が強く、精神病者で潅浴する者は非常に稀であるため、弁天ノ滝は軽症者の集合地であるため、合力が常にいる必要がないためである。
潅滝の方法、滝に病者を浴びさせるには、滝の側にある休憩小屋で脱衣をさせ、裸にさせるか、あるいは水衣を着させて滝にうたせるのである。一名の病者に対し、大概一名の合力で用を済ませるのに足りる。病者が潅滝を承知しないときは、強力でこれを滝の下に押し遣ることもある。家人は、滝壺のそばにいて信仰心がある者は読経して平癒を祈るのである。山僧がここに来て読経することは稀であるという。滝に浴する回数は一日の中で多いときは十回以上、少なくても三回を下回ることは稀である。一回の持続時間は約五分ないし十分になることが最も多いけれど、二十分以上も浴せさせることもある。
潅滝の時期、毎年四月一日から十月三十一日までと定めがあるけれども、実際には厳冬にも浴する者がいる。滝に浴せさせる傍ら、家人は山の上の本堂で病者のために祈祷・禁厭等をお願いし、あるいは呪符を受ける者がいる。
潅滝の効果、潅滝が精神病に及ぼす影響は稀に良好であることがあるけれども、一般的に言えば不良である。大正五年中に参籠者で死亡した者が八人いたという。
病者の滞在期間は平均三、四十日になるが、長い者では二、三年に及ぶものもいる。寺の内規としては、あらかじめ医師より潅浴して差支えがないと診断を受けてきているもののみを潅浴させるというけれども、実際には、最初から医師の診断を受けず直接ここに来る者も非常に多いようである。また、医療を試みて効き目がないので来山する者もいるという。(医学博士石川貞吉および中村忠次郎報告による)

以上が論文で紹介されている高尾山の記述の全貌である。
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『精神病者私宅監置ノ實況及ビ其統計的觀察』を読もう(その31)
 続いて「民間療方ノ実況」に挙げられている高雄山(高尾山)薬王院をみてみよう。高尾山は東京都心からのアクセスがよく、いまは格好の遠足のコースになっているようだが、昔は精神病治療の滝場として知られていた。
 まずは、原文から現代語に訳された前半部分を読んでみたい。例によって、学生が宿題として訳したものである。

高雄山薬王院
真言宗(東京府南多摩群浅川村字古捫田)。甲武線浅川駅より一里ほどで高雄山のふもとに達する。ここに大きな滝があって、古来精神病者には霊験があると言われており、特に50年前より、病者がこの地に集まるようになった。多くの病者は近所に住んでいる人で、東京の人についで遠隔地から来る人も珍しくない。病者が多く集まるのは夏ごろで、その数は5、60名、ないし7、80名に及び、精神病者のほかにも避暑・遊覧客・勉学を目的とする客などもまた少なくないという。
宿泊所、病者または健康者の宿泊する施設としては、二つの参籠所と三つの旅館がある。 旅館、二軒茶屋および三光荘と呼ばれているものがある。二軒茶屋とは、同じ所に二軒の旅館があるためにこのように呼ぶのである。旅館は普通一般の旅館と異ならないものであって、それぞれ50人位、三光荘には20人くらいを宿泊させることが出来る。一般に旅館には興奮している精神病者が宿泊することは稀であり、普通客の他には軽症の精神病者または脚気などにかかっている者が静養することが多い。宿泊料は昼食がついて平均約1円とする。


<写真は以下の文中で言及されている琵琶の滝>

参籠所、精神病者のほとんど全ては、二つの参籠所で毎日生活している。その一つは琵琶の滝より、数間隔たっているところにある。参籠所は、かつて精神病者のせいで放火され何もなくなってしまい、信者の寄付をつのってようやく数年前にこれを再建した。この参籠所は粗末な板葺き屋根の木造二階建ての構造であり、おおよそ間口七間・奥行き四間あって、間口のある一面には廊下があって見晴らしがよいが、他の三面には全体に高さ一間の格子造りの窓がめぐらされている。各棒の隙間は約5寸ある。部屋は別々に区画して50人以上を収容することが出来る。大正5年12月の視察時には35人が滞在していた。宿泊料は、食料・寝具一緒で1日38銭であり、食物は精進料理とし二軒茶屋から準備される。もう一つの参籠所は蛇の滝より数間離れたところにあって、間口二間・奥行き4間程度で約10人を収容することができる。前者よりは小規模のものであり、これも10年ほどの歳月を経過している粗末な板葺き屋根の平屋の建物である。部屋は大きな一つの広間があるだけで、小区画を設けていない。天井板を張ってないので、梁材が露出している。窓を格子造りとしないで普通の窓である。宿泊料は前記の参籠所のものと同じである。視察時には精神病者が3名参籠していた。
参籠所に宿泊している病者には、家族が付き添って来て、治療の目的で滝に浴する時には、合力がある人がいて潅浴者を介助するものとする。それでは次に滝と合力について説明しよう。

このつづきは次回に紹介したい。
| 資料解題 | 16:10 | comments(0) | - | pookmark |
『精神病者私宅監置ノ實況及ビ其統計的觀察』を読もう(その30)
 前回の『精神病者私宅監置・・・』を読もう(その29)では、治療の場所が竜爪山の上から、ふもとの平山の集落に移ってきたと書いた。
 穂積神社で代々神主をしていた滝家の居宅と祈祷所が平山に残っている。
 今は住む人もない。
 ここでも、山上と同じように祈祷所の前で湯祈祷が行われていたという。


滝家の居宅


居宅に続く祈祷所

 なお、1980年に『社会精神医学』誌 に発表された木村健一の論文「 静岡県龍爪山穂積神社における『精神障害者』治療のその後」は、平山地区での話が中心になっている。呉・樫田の論文(1918年)で報告された場所とは異なっている点には注意したい。
| 資料解題 | 15:57 | comments(0) | - | pookmark |
『精神病者私宅監置ノ實況及ビ其統計的觀察』を読もう(その29)
 今一度、呉・樫田論文(1918年)に掲載された穂積神社の写真を見ておきたい。この写真は明治44(1911)年に撮られたものである。



 さて、次の写真は昭和14(1939)年、穂積神社の大祭の時に撮られたと思われる写真である。上の写真と同じように、鳥居と社務所、さらに一番奥には祈祷所が見える。
 ところが、この写真を撮影した地点からは、当然写っていると思われる参籠所(精神病者と家族の宿泊施設)が見当たらない。ちょうど、写真の一番下あたり、大勢の人でごった返している附近である(あるいは、参籠所の建物の屋根に登って撮影した可能性もあるが)。
 おそらく、この時点では、すでに参籠所はなくなっていた(あるいは、参籠所としては使われていなかった)と思われる。というのも、湯祈祷を中核とする精神病治療の舞台は、この竜爪山の尾根にある穂積神社から、ふもとの平山の集落へ移っていたからである。治療の場所の移動は、昭和初期のことだったらしい。


(写真提供:奥田賢山氏)
| 資料解題 | 11:51 | comments(0) | - | pookmark |
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