近代日本精神医療史研究会

Society for Research on the History of Psychiatry in Modern Japan
小林靖彦資料

                                                               
 日本の精神医療の歴史をある程度調べたことがある人ならば、小林靖彦(1919-2007年)の名前をどこかで見たことがあるだろう。『日本精神医学小史』(中外医学社、1963年。古本市場では「貴重本」だろうか)という精神医療史のパイオニア的な業績がある。また、『現代精神医学体系・1A・精神医学総論機戞蔽羯浬馘后1979年)のなかの「日本精神医学の歴史」の著者としてもっとも知られているかもしれない。

 だが、ある時から精神医療史研究から身を引いたものと思われ、忽然と学界から姿を消した。付き合いがあったと思われる研究者に尋ねても、その消息を知る人はだれもいなかった。

 それが、2年くらい前のこと。ひょんなことから自宅(いまは空き家)を知り、その家に残された小林氏の膨大な資料を閲覧する幸運に恵まれた。ご遺族に小林氏の業績を話すと驚かれ、空き家を探索することを快諾されたのである。

 上の写真は、空き家になった小林家の中である。ある時期の小林氏は、毎週のように各地を旅し、膨大な資料を集めた。その資料(写真やパンフレット、コピー)の一部は、「写真アルバム」に几帳面に整理されている(上の写真のように、本棚にはアルバムがぎっしり)。すでに存在しない「精神病治療に関わる建物」など、私のような精神医療史研究者にとっては、びっくりするような貴重な資料ばかりであった。

 そこで、大学院生の小林さん(親戚ではない、偶然名前が同じ)の助けをかりて資料を整理することにした。院生の小林さんは、この資料を使って修士論文を仕上げたので、以下の学会で発表することになったのである。

***第111回日本医史学会総会・学術大会***
       日時:2010年6月12日〜13日
       場所:茨城大学水戸キャンパス

 なお、小林靖彦資料に関する発表は、12日の15時〜16時のセッションで行われる。発表者の小林ひとみさんの演題は「小林靖彦の資料研究―ミクロの視点から見た日本の精神医療の歴史」である。都合のつくかたは、ぜひおいでください。

| 資料解題 | 14:45 | comments(0) | - | pookmark |
『精神病者私宅監置ノ實況及ビ其統計的觀察』を読もう(その37)
 「精神病ノ民間薬並ニ迷信薬」の後半部は、この論文中の私宅監置の患者に行われていた民間薬・迷信薬の記述にあてられている。

 私宅監置患者の第3例:「鳶(とび)の黒焼」または「酸漿(ほおずき)の根」と「柘榴(ざくろ)の皮」とを煎剤して飲用させる。

 私宅監置患者の第39例:「穿山甲(ぜんさんこう)の粉末」を服用させる、「茗荷(みょうが)の古根」を大根おろしにして服用させる、または、「墓木(注:論文中の第39例を読むと、墓地にある椿に似た木の葉、とある)」の煎剤を服用させる。 


富山市内の老舗の薬屋さんに陳列されていた穿山甲の剥製

 次に「戦慄すべき迷信的煎剤」を用いていた例として、

 私宅監置患者の第74例:「臍(へそ)の緒」を乾燥させたものを煎浸して用いる、また、人知れず墓を発掘して棺の側に穴をあけて、「死体の骨」を盗んできて、これを煎浸して服用させる。

 私宅監置患者の第42例:墓場から、人骨が混ざっていると考えられる土を持ってきて、煎浸して服用させる。

 といった具合である。
| 資料解題 | 10:00 | comments(0) | - | pookmark |
『精神病者私宅監置ノ實況及ビ其統計的觀察』を読もう(その36)
 論文の「第四章 民間療方ノ実況」の第三節は、「精神病ノ民間薬並ニ迷信薬」にあてられている。
 それによると、樫田五郎は大正3(1914)年に富山県下の私宅監置の状況を視察した時に、売薬で有名な富山市で精神病またはいわゆる脳病に効き目があるといわれる売薬についても調査したという。


<樫田五郎(1883-1938) 昭和初年、東京・目白の自宅で>

 その種類は次のようなものだった。

  ̄酘(さるがしら)
 狐舌の黒焼
 鹿の胎児の黒焼
 ざ無躄(ぎょくごおう)
 ダ芎(せんきゅう)
 ιの根

 ,蓮猿の頭蓋骨を黒焼にしたもので、頭蓋骨の原型を残しているものは1個3、4円だが、多くは粉末にしたものを「1匁(もんめ)いくら」で売っている。
 △慮兩紊旅焼も粉末である。
 は、「血の道」に効き目があると言われる。
 い蓮∀卦蹐涼誓个任△蝓▲ーストリア産のものが最上級とされる。(注:ここで「オーストリア産」とあるのは、「オーストラリア産」の誤りと思われる。というのは、1918年のこの呉・樫田論文では「墺地利産」と書かれているものの、これに先立って1914年10月12日に樫田が精神病科談話会例会で「富山県下に於ける精神病状況視察報告」という演題で報告したところによれば、玉牛黄について「アウトラリエン産のもの最宜しと云ふ」と説明しているからである。ネットで検索すれば、今日でも牛黄は豪州産が多いようである)。五疳、驚風、中風に効くとされる。結石を削り、粉末にして販売する。
 上記の,らい泙任蓮△湯に入れて服用する。
 Δ良の根は、売薬ではないが、これを「だいこんおろし」にして服用すれば、治疳または袪痰の薬になるという。
 イ寮芎は、和漢薬のなかでもっとも人口に膾炙しているもので、昔から脳病、痢病、婦人病に効き目があるとされてきたようで、この植物の根を乾燥させたものが、売られている。
 以上が、「精神病ノ民間薬並ニ迷信薬」の記述の前半部である。
| 資料解題 | 11:19 | comments(0) | - | pookmark |
『精神病者私宅監置ノ實況及ビ其統計的觀察』を読もう(その35)
 下田光造らのポジティブな評価にもかかわらず、定義温泉は医学者の願望どおりには発展しなかったようである。
 一軒のみの温泉宿に関する比較的最近の記事(とは言っても、実際に定義温泉を訪れたのは、記事の刊行年よりかなり遡るものも含む)によれば、「客のプライバシーへの配慮からか、見学も撮影もできないと聞いている」(石井厚、1987年)、「見送りの主人、(中略)『山のことで静かなことは静かですが、なるべく人を寄せつけんようにしておりまして』」(入山哲彌、1992年)、「『ここには温泉のようなところはないの?』と連れが訊いた。『あるにはあるが、しかし・・・・・・』男は言葉を濁した。」(佐伯一麦、1999年)、「不真面目な動機で訪ねる者は歓迎しないということだったが、ぼくはおかしななりゆきで泊まることができた」(つげ義春、2003年)など多数ある。


定義温泉の一軒宿(出典:石井厚「日本精神医学風土記―第2部―第2回 宮城県」『臨床精神医学』第16巻、1987年)

 いずれにせよ、現当主の石垣さんのお考えは、雑誌『旅』(1992 年12 月号)に掲載された記事「現代、湯守り列伝 病気は作られるものなんですよ」(文・竹村節子)に凝縮されている。
| 資料解題 | 16:53 | comments(0) | - | pookmark |
『精神病者私宅監置ノ實況及ビ其統計的觀察』を読もう(その34)
 論文の「民間療方ノ実況」には、仙台市青葉区の定義(じょうぎ)温泉もとりあげられている。
 アクセス解析によれば、「定義温泉」を検索語にしてこのブログに到達するケースが絶えない。いまでも一番多い。一部の人々の間では、よほどの「秘湯」になっているらしい。けれども、検索した人の中で、おそらく入湯できた人は、一人もいないだろう。
 それはともかく、論文の現代語訳(一部省略)は以下の通り。

 定義温泉(宮城県宮城郡大澤村大倉)この温泉は一名大倉温泉とも呼ばれ、仙台市から山道を七里行ったところにある。(中略)石垣長左衛門一家がここで旅館を経営している。温泉は一里離れた定義村まで人家がないところに立地し、閑静・幽邃であり、静養に適している。温泉の自然温度は、摂氏三十七度、すなわち専門家が持続温浴療法に最も適当とする温度に全く一致するのは奇妙である。この温泉が精神病者に効き目があることはすでに五十年前から認められていた。現在は、この地方で広く知られ、近くの県の精神病者もこの場所に集まる。視察時に見たのは、麻痺性痴呆二人、躁状態二人、早発性痴呆六人、神経衰弱三人、抑うつ状態二人、白痴一人、胃病患者三人である。これらの精神病者にはたいてい二、三人の家族が付き添ってきており、男女が病者とともに入浴をする状態は、とても奇妙な光景である。かつて中村(古峽)文学士は仙南仙北温泉游記において「定義癲狂村」と題してこの地を紹介した。(中略)定義温泉は精神病者の民間水治療法場として理想に近いものである。(大正六年下田光造視察報告)

中村古峽『仙南仙北 温泉游記』より

 上記の中村古峽は、『仙南仙北 温泉游記』(1916年、大正5年)で「定義温泉には狂人が澤山入つてゐると聞いて来ただけに、何処となく陰気臭い」と書き出している。しかし「此の陰気臭い定義温泉ほど、僕の創作的気分を誘ったところは外にはなった」ため仙台にもどるところを、急遽ここに一泊することになったのだという。さらに「入って見ると湯は非常に温い。摂氏三十八度と云ふのだから、然もあらうとは思はれる。一体此の湯は往昔出羽の国東根村の住人、桶屋何某なるものゝ娘とかゞ、霊夢の神託によつて其の永年の眼病を癒したがために、夙くから眼の湯として世間に知られてゐたのださうが、何時の頃からか脳病特に精神病に効験あることが評判になつて、定義の気狂湯など呼ばれるやうになり、今では主として頭脳に疾病ある人が集まつて来るやうになつたと云う。僕考えるに、湯が此の温さでは一旦入ると容易に出る気にならない。従つて浴客はどうしても長湯をする。其れが知らず知らず学理に適つて、(精神病学上、微温湯の持続浴は諸種の興奮性患者に対し、最も確実の効験ある物理的療法と認められてゐる)病気に好い結果を齎すことゝなるに相違ない。」 と。
 呉・樫田論文に書かれた下田光造の報告は、相当程度、中村の記述を参考にしていると考えられる。
| 資料解題 | 16:48 | comments(0) | - | pookmark |
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