近代日本精神医療史研究会

Society for Research on the History of Psychiatry in Modern Japan
広島県・精神医療史探訪
広島で気になる場所があった。
その名を瘋癲病治療所といい、1808(文化5)年に設立された。
1900(明治33)年には武田精神病院となったが、1942(昭和17)年に廃院。
すでにこのブログでも紹介したので、詳細はこちら

この病院は、1912(大正元)年の呉秀三の論文「我邦ニ於ケル精神病ニ関スル最近ノ施設」に、現存する二番目に古い私立精神病院として紹介されている。
また、1918(大正7)年の呉秀三・樫田五郎の論文「精神病者私宅監置ノ実況及ビ其統計的観察」では、「徳川時代に至りては寛政以降、永井・武田・石丸・本多・奈良林等の諸医家は病院又は其に類似の設備をなし以て患者の治療収容に努めたりき」(原文は漢字カタカナ文)とあり、武田家の病院に言及している。

その後、小林靖彦『日本精神医学小史』(1963)、小俣和一郎『精神病院の起源』(1998)、岡田靖雄『日本精神科医療史』(2002)などに、武田精神病院の記述が見られる。

小林によれば、癲狂人の治療を始めた初代の武田一逕の孫、つまり三代目の武田敏惠のあと武田家に医師はなく、朝鮮より武井守一医師を迎えたという。
厚生省の『精神病者収容施設調(昭和十五年一月一日現在)』に「武井精神病医院(佐伯郡宮内村)」とあるのが、武田精神病院を継承したものだろう。
小林が現地を訪れたときには「現在病院跡は中国電力株式会社の宿舎」だったという。
少なくとも、1963年以前の話だろう。

岡田の本には「武田精神病院旧病棟」の写真が掲載され、「1965年には病棟の跡が青年団の物置きとしてつかわれていた」という。

一方、小俣の本の写真は、1996年に撮影されたという病院跡のさら地。
すでにかつての病棟は取り壊されていたのである。

では、病棟→ 中国電力株式会社の宿舎→ 青年団の物置き→ さら地 と変遷して、現在はどうなっているのか?
それを探るのが今回の目的である。
武田精神病院は、病院を開いた寺院に隣接していたらしい。
とりあえず、その寺院、南光山 専念寺 を目指すことにした。

JR広島駅から岩国行きの各駅停車に乗る。
通勤・通学時間帯にあたり、高校生の群れに囲まれながらおよそ20分。
宮内串度駅で下車。


(JR宮内串度駅の広島方面ホーム)

御手洗川に沿って歩く。
途中、山陽新幹線の高架橋の下をくぐり、なおも川沿いに進むと、専念寺の正面に出た。
犬に激しく執拗に吠えられ、門に近づくことさえ断念。
事前に目にしたあるブログでも、犬に「思いっきり鳴かれて」「境内を早々に出ていきました」と書かれていたので、これか…と思った。


(南光山 専念寺 広島県廿日市市)

ただ、「病棟→ 中国電力株式会社の宿舎→ 青年団の物置き→ さら地」と変遷した現在の場所が、なかなか特定できない。

唯一の手がかりは、小俣の本だった。
病院跡のさら地を写した写真をよく見ると、かなたに、かすかに歩道橋が写っている(小俣和一郎『精神病院の起源』p.119、図32)
この歩道橋の撮影角度と、背景の山および鉄塔の位置関係からすると、小俣が訪れたときにはさら地だった場所に、現在はマンションが建っている。

その周囲もすいぶん建て込んでおり、かつてはさら地から歩道橋を見通せたのが、現在は視界がさえぎられてしまっている。
それでなかなか場所がわからなかったのである。


(手前が御手洗川。中央に専念寺の本堂。写真右側の電柱の右奥方向に、かつての病棟があったと思われる。)

そんなわけで、場所をだいたい特定したところで満足し、JRで広島駅にもどった。
そもそも、広島に来たのは学会(日本医史学会)があったからである。
これから発表だから、どっちみち早々に戻らざるをえないのである。

会場は広島県医師会館。
入口近くに呉秀三の胸像があった。
呉家と広島とのつながりは深い。
日本医史学会の初代理事長が呉秀三だから、まさに学会会場としてはふさわしいだろう。


(呉秀三の胸像。真新しい広島県医師会館の1階ロビーに置かれている。)
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日本精神医学資料館(東京都立松沢病院)を訪ねて

東京都立松沢病院内に歴史の資料館があるらしいが、詳しいことがわからない。
一般の人も見学できるのか。
精神医学史関係の会合に行くと、そんな話がたびたび出てくる。

もちろん、それは存在する。
私は過去に2回訪れたことがある。
ただし、それは2011年に資料館が移転する前のこと。
移転後の資料館には行ったことがないので、エラそうなことは言えない。

ところが、都内の精神科病院に勤めている旧知のソーシャルワーカーの人から誘われて、急遽、松沢の資料館を訪ねることになった。
彼女は私の関心事をよく理解しており、また当館の館長とも知り合いという縁があってのことである。

以下は、聞いたこと、感じたことを思いつくまま。

看護学生などが団体で見学に来るが、呉秀三の「呉」を「くれ」と読める人はまずいない、ということである(「ご」と読んで、中国系の子孫と思うのだろうか。ちなみに、呉家は中国系ではなく、広島の呉にちなんで「呉」と改姓したようである)。

この資料館の「日本精神医学資料館」という名称が示すように、めざすところは「日本」の資料館であり、単に松沢の物品や資料を展示することに止まらない、という。

移転前の資料館は、一つの空間に所狭しと展示物が並んだ感じだったが、現在の資料館は空間にだいぶ余裕ができたと思う。
おもしろいのは、資料館自体がかつての「夜間救急診療室」と「保護病棟」だというところ。
つまり、鉄格子の保護室がほぼ残されていて、そこも展示スペースとして使われている。
映画『カッコーの巣の上で』に出てくるような、ナース・ステーションもそのままだ。
全国的に一時代前の精神科病院の病棟がどんどん建て替えられている。
おそらく古い保護室は、ほとんど、否、100%破壊されているという状況で、松沢の「残し方」は快挙かもしれない。
他の病院も見習ってほしい、と思う。

館長によると、最近はさまざまな分野の研究者がここの資料をめざしてやってくるのだという。
数年後には、これまであまり使われていなかった松沢資料を使った、思いもよらない研究成果が出てくるかもしれない、という予感がする。

結局、資料館には午後1時から5時すぎまで長居をしてしまった。

最後に、日本精神医学資料館の基本情報は以下のとおり:

/// 開館日および開館時間

騎館日
 …蟯開館日 毎週 月曜日・木曜日
 不定期開館日(予約見学等) 毎週 火曜日・水曜日

恭館時間
 仝畫10時〜12時
 午後1時〜4時

問い合わせ先
 〒156-0057
 東京都世田谷区上北沢2-1-1
 東京都立松沢病院庶務課庶務係
 Tel 03-3303-7211 内線1029
 Fax 03-3329-7586

以上

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ニューヨーク精神医療史的散策

多年にわたり、ベルギー・ゲール(Geel)の精神科家庭看護の歴史を追い続けてきた。
そのために、さまざまな国を旅することになったが、ニューヨークでひとつだけやり残したことがあった。

ゲールとニューヨーク。
ヨーロッパの田舎と世界最大の都会。
あらゆる意味で対極にある場所だが、20世紀後半以降から現在に至るまでの「ゲール認識」、つまり、一般的に共有されている「脱施設化と地域精神医学の推進という文脈でゲールを捉え直す認識」の「発見」は、ニューヨークの研究者によって誘導されたと言えるのではないか。
つまり、ゲールを解く鍵はニューヨークにあり、なのである。


(ニューヨーク、グランド・セントラル・ターミナル)

その中心人物がコロンビア大学の2人の教授、社会学者のL. スロール(Leo Srole, 1908-1993)と精神医学者のV. バーナード(Viola W. Bernard, 1907-1998)である。

彼らが、ベルギーのルーヴェン・カトリック大学(Katholieke Universiteit Leuven)およびゲールの精神科家庭看護を管轄している国立コロニー(Rijkskolonie)のスタッフら、およそ100人を巻き込んで行われた国際的かつ学際的な一大研究が "Geel Family Care Research Project" だった。

1960年代半ばから約10年間にわたって研究された内容は、膨大なものだった。
研究が進められている最中にも、論文発表や学会報告などは数多く行われている。
こうした研究活動を通して、上で述べた「脱施設化と地域精神医学の推進という文脈でゲールを捉え直す認識」が深められていったと考えられる。

が、プロジェクトの研究代表者であるスロールがまとめるはずだった、研究総括および各研究領域(社会学、人類学、精神医学などを含む学際領域)の、最終的な研究成果物は発刊されないままで終わった。
そのため、結局のところ、このプロジェクトの全貌は不明のままである。

だが、コロンビア大学のある研究者から、プロジェクトの資料が残されていることを聞いた。
そのひとつが、ニューヨーク州の Geneva にあるホバート・アンド・ウィリアム・スミス・カレッジ(Hobart and William Smith Colleges, HWS)の文書館に保存されている「スロール文書(Srole Papers)」である。
同じニューヨーク州とはいえ、ニューヨーク市からは相当離れている。

スロールはかつてこの大学で教鞭をとったことがある。
それが縁で、彼の残した資料がここに寄贈されたらしい。
スロール文書に含まれているゲール関係書類については、2009年と2010年の2回現地を訪れて、調査済みである(一応、その概要は、2013年の第17回日本精神医学史学会で発表した)。

もうひとつが、ニューヨーク市内にあるコロンビア大学の医学図書館(Augustus C. Long Health Sciences Library)に収められている「バーナード文書(Bernard Papers)」である。
今回のニューヨーク調査のそもそもの目的は、この文書の閲覧なのだ。

ニューヨークに到着した次の日、さっそくコロンビア大学の医学図書館を訪れた。
とりあえず、必要な文書をデジカメで大量に撮影したが、スロール文書とバーナード文書とをつき合わせるのがこれからの作業となる。
そうすぐには、まとめられないかもしれないが。


(中央のコロンビア大学の建物にHealth Sciences Libirary が入っている。)

さて、研究には息抜きが必要である(むしろ、息抜きばかりもしていられないので、たまには研究もやるべし、のほうが正解かもしれないが)。

ニューヨークをどれだけ歩けるか、そんな密かな挑戦をしていた。

ある日には、マディソン・スクエア・ガーデン近くのホテルから、ブロードウェイに沿ってひたすら南下。
最近降り積もったらしい雪があちこちに残っていて、歩きにくい道もある。


(マディソン・スクエア・パークあたり。右端に Flatiron Building。)

さらに、どんどん南下。
市庁舎のあたりで東に向かうとブルックリン橋。
橋は上が歩道、下が車道になっている。
映画なんかで、その夜景がよくでてくる橋だから、妙になつかしい気がする。


(マンハッタン島からブルックリン橋を渡って対岸のブルックリンへ。)


(ブルックリン橋から「自由の女神」方向をのぞむ。)

別の日には、マディソン・スクエア・ガーデン付近のホテルから、エンパイア・ステート・ビルを見ながら東に、そして次には北上し、国連ビルまでやってきた。
国連では何もやっていないのか、ひっそりとしていたが、警備だけはうるさそうだった。


(休日のせいか、国連ビルはひっそり静まり返っていた。)

国連を通り過ぎてさらに北上すると、クイーンズボロ橋が見えてきた。
マンハッタンとクイーンズとを結ぶ橋だが、どうやら人は通れない。
ただし、マンハッタンとクイーンズとの間を流れるイースト・リバーに浮かぶルーズベルト島までなら、トラムウェイ(ロープウェイ)がある。
ルーズベルト島に上陸すれば、この島からクイーンズに渡る橋は一本だけある。
その橋なら人も通行できそうだった。

まとめると、
マンハッタン→クイーンズボロ橋→クイーンズ のコースは、歩いては行けない。
マンハッタン→トラムウェイ→ルーズベルト島→クイーンズ のコースなら、歩いて行ける。


(トラムウェイに乗って、マンハッタン方向を振り返る。並行しているのはクイーンズボロ橋。)

トラムウェイに乗り、ものの数分でルーズベルト島に着いた。
小さくて、細長い島だが、地下鉄の駅もあり(実際に見てはいないが、地図ではそうなっている)、バスも走っている。
人も多く住んでいるようだった。
この島をひたすら北上し、対岸のクイーンズに架かるルーズベルト・アイランド橋へ向かう。
対岸のクイーンズ側に見える大きな煙突は、発電所かなにかなのだろうか(下の写真)。


(ルーズベルト島からルーズベルト・アイランド橋を渡り、クイーンズへ向かう途中。南にクイーンズボロ橋が見える。)

どうも先ほどから橋の話ばかりになっている。
とにかくニューヨークは橋が多いのである。

「橋オタク」なんていうのも悪くない趣味かもしれない、などと思いながらルーズベルト・アイランド橋を渡り終えたところで、通りを左に曲がり、また北上する。
めざすはノグチ美術館。

ノグチとは、彫刻家のイサム・ノグチである。
美術館がありそうもない街並みだ、などと思っているうちに到着。
外壁に囲まれて中の様子がわかならなかったが、入館してみれば落ち着いた雰囲気。


(ノグチ美術館の中庭)

せっかく、マディソン・スクエア・ガーデンくんだりからはるばる歩いて来たのだから、クイーンズの別の見所へも行こう。
ノグチ美術館から南下し、これまたアート関連で、PS1 MoMA まで歩いた。
コンテンポラリー・アートの美術館である。
ガイドブックによれば、元の小学校の校舎を改装した建物ということだ。

展示のうち、映像作家(film/video artist) チャールズ・アトラス(Charles Atlas, 1949-)の The Waning of Justice (2015)の一部を構成する、 いわゆる drag スターで知られる Lady Bunny が歌い、しゃべりまくる、Here She Is という作品が圧倒的な迫力だった。


(Charles Atlas: Here She Is [single-chanel video installation with sound. 19 min., 15 sec.])

さて、ここで少しは仕事の話をしたい。
今回の旅には、コロンビア大学の医学図書館以外に、もう一つの目的があった。
それは、Broadway Housing Communities (BHC)を訪ねることである。
もともとは、ホームレス/貧困者/障害者に住居を提供するサービスから始まったという。
しかし、今日、BHC は市内の何ヶ所かのアパートを所有し、そこでさまざまな教育・文化的な設備やプログラムを提供している。
それによって、入居者たちだけではなく地域住民を巻き込んだ、大都市における新しい形のコミュニティを形成しようとしている。

BHC の代表であり、いわばアクティブな社会企業家であるエレン・バクスター(Ellen Baxter)さんに会った。
実は、彼女のことは15年以上も前から知っている。
個人的な知り合いではなく、会議場などで遠くから眺めるような存在だった。

彼女は「ゲール研究者」でもあり、上で紹介したコロンビア大学が中心になって行った"Geel Family Care Research Project" に関わっていた。
「スロール文書」「バーナード文書」には、エレンさんがスロールやバーナードなどとやり取りをした書簡がたくさん収められている。
つまり、"Geel Family Care Research Project" を知る数少ない「生き証人」のひとりなのである。
また、ゲールでの経験がコミュニティの重要さへの認識を高め、それがニューヨークでの BHC のコンセプトにつながっていることは明らかである。

一昨年、2014年5月、ゲールである会議が開かれた際、はじめて彼女と直接話す機会があった(その時の記事はここ)。
すごく緊張しながらも、"Geel Family Care Research Project" の成果物が発表されなかったことについて、感想を聞いた。
また、ゲールと京都・岩倉の精神科家庭看護の歴史について、英語で書いた私の論文コピーを謹呈したのだった(その論文は、この記事に紹介した本に収められている)。

その後、しばらくして、エレンさんからメールが来て、私の論文への丁寧なコメントが添えられており、ニューヨークへ来ることがあれば BHC を案内しますよ、と書かれていた。
それを「真に受けて」の今回の BHC 訪問となったわけである。


(ハドソン川沿い[583 Riverside Drive] にある BHC の建物)

上の写真は BHC の建物のひとつで、ハーレム地区のリバーサイド・ドライブ(Riverside Drive)583番地にある。
たぶん、BHC の本部という位置づけと思う。
屋上にはペントハウスがあって、貸しギャラリーがあるというので、見せてもらった。
ハドソン川を一望できるすばらしいロケーションである。
もちろん、この建物はおもに居住スペースを提供しているが、1階というか半地下部分は「学校」になっている。
ちょうど子供たちが、なにか作品を作っているようだった。

リバーサイド・ドライブからそれほど離れてはいないシュガー・ヒル(Sugar Hill)に、比較的最近オープンした建物(Sugar Hill Complex)があるというので、エレンさんの車で連れて行ってもらった。
下の写真のモダンな建物がそれである。

124の居住ユニットをもつ。
1階には、「アートとストーリー・テリング [読み聞かせ?以上の意味を含むだろう] のための子供博物館(Sugar Hill Children's Museum of Art & Storytelling)」というスペースもあり、別の階には BHC のオフィスもある。


(Sugar Hill Complex [898 St. Nicholas Avenue])

ちなみに、デザイン的も興味をひくこの建物を設計したのは、タンザニア生まれでイギリス国籍をもつ建築家の David Adjaye である。
ワシントンD.C. にあるスミソニアン博物館の新しいビル(National Museum of African American History and Culture)などの設計も手がけている。

下の写真が、「アートとストーリー・テリングのための子供博物館」の一部。


(Sugar Hill Complex の中の Sugar Hill Children's Museum of Art & Storytelling)

というわけで、ふたつのビルを見学して BHC を後にした。
実のところ、その日の朝にエレンさんから「体調不良なので、別の人に案内させる」とのメールが突然来たにもかかわらず、結局、ご本人が出てきてくれて大変申し訳なかった。

帰りはハーレムを南下し、セントラルパークを突き抜けて、5th Avenue 沿いに進み、マディソン・スクエア・ガーデンまで歩く。


(帰る途中のセントラルパークにて。)

BHC を訪れた次の日、ニューヨーク市内最大(だった)の精神科病院、クリードムア精神医学センター(Creedmoor Psychiatric Center)へ行った。
お目当ては、その中にある「リビング・ミュージアム(The Living Museum)」である。
これは(元)患者のアート制作の巨大な工房なのである。
そもそも BHC のエレンさんからその存在を教えてもらっていた。
ただし、リビング・ミュージアムを見学するには、事前の電話予約が必要だ。

電話でアポととった二日後、マディソン・スクエア・ガーデンの地下にあるペン・ステーション(Penn Station)から、ロングアイランド鉄道(LIRR)で キュー・ガーデンズ(Kew Gardens)駅まで行き、そこからはバスに乗ってリビング・ミュージアムをめざす。
ニューヨーク市内のクイーンズ地区にあるとはいえ、さすがに徒歩では遠すぎる。

ホテルを出てから、1時間半くらいは移動しただろうか。
最寄りのバス停を降りると、クリードムア精神医学センターの威容に圧倒された(下の写真)。
吸い寄せられるようにこの建物に向かった。
が、これは入院専用病棟で、リビング・ミュージアムは道を隔てた別のキャンパスにあることが判明。
キャンパス内をあちこちうろついて、約束の時間に遅れそうになり、ややあわてる。


(Creedmoor Psychiatric Center の入院病棟)

下の写真が、リビング・ミュージアムがあるキャンパスだった。
精神病院らしい建物群がならび、なぜかホッとした。
かつてクリードムアには7,000人もの入院患者がいたというが、脱施設化が進み、現在は470人にまで減っているという(Wikipedia 情報)。
したがって、多くの病棟が不要になったわけである。


(現在こちらのキャンパスは、外来患者のための施設になっているようである。)

キャンパス内の「5番街(5th Avenue)」という道に沿って進むと、リビング・ミュージアムになっているBuilding 75 が見えてきた。
かつては、Kitchen と Dining として使われていた建物だという。


(リビング・ミュージアム)

中に入ると、ミュージアムのディレクターのマートン(Janos Marton)さんが迎えてくれた。
ハンガリー生まれのマートンさんは、ウィーン大学で心理学を学んだ。
ウィーン近郊にある「芸術家の家(Haus der Künstler)」については、よく知る立場にあった。
これは、グッギング(Gugging)の州立精神病院の中にあり、患者のアート制作で世界的に知られている(以前に訪問記をブログ記事で紹介した)。

ウィーン大学卒業後、マートンさんアメリカに渡り、コロンビア大学でも心理学、そして美術も学んだ。
1983年、ポーランド人アーティスト Bolek Greczynski(1995年に44歳で死去)とともに、クリードムアにリビング・ミュージアムを設立した。
1995年以来、初代ディレクターの Greczynski のあとを継いで、マートンさんがディレクターを担っている。

「好きなように見てください、人を入れなければ写真もOK」ということなので、場内をぶらぶら歩き回りながら、写真をパチパチ。
とにかく広いスペースに、モノ、モノ、モノ・・・といった感じ。
だが、無秩序というよりも、イマジネーションの爆発と言ったほうがよかろう。
その適当なスペースで、作品を制作している人が何人かいる。


(写真を撮ろうとした瞬間、ネコに横を向かれてしまった。)


(Issa Ibrahim の作品。よく知られたイメージのパロディを多く描くようだ。)

そのうち、マートンさんに声をかけられて、「おもしろい人を紹介するから、話してみて」と。
金属製のハンガーを曲げて、何でも作ってしまう John Tursi さんである。
ご本人によれば、自分の写真を撮ってもいい、ネット上にアップしてもいい、ということなので、制作の様子を紹介したい(下の写真)。

彼曰く、「俺は現代のミケランジェロだ」と。
冗談半分なのか、内面から湧きあがる自信からなのか(後者のような気がした)。
写真では見えないが、神話的な馬の家族をモチーフにした、おそらく2メートルは優に超える巨大なハンガー・オブジェが、もっともお気に入りだそうである。


(John さんは、音楽をガンガン鳴らしながら、ゴッホの絵に刺激されたという、ひまわりのオブジェにとりくんでいる。)

2階に上がってみた。
中央部分は吹き抜けになっていて1階を見下ろすことができ、回廊のように部屋が配置されている。


(2階の窓際。古い時代の構造をそのまま残している。)


(2階の部屋のひとつ。まるでジャングル。)


(2階の吹き抜けから1階を見下ろす。)

マートンさんから、日本でリビング・ミュージアムは作らないのか、と言われた。
リビング・ミュージアムのコンセプトで運営されているセンターは、スイスやオランダにもあるらしい。
韓国でも作ろうとしているという。

こうした30年以上にわたる長期の活動が評価され、マートンさんは2015年の「"偏見の連鎖を断ち切る"ギスラン賞(Dr. Guislain "Breaking the Chains of Stigma" Award)」を受賞した。
これはベルギー・ゲントのギスラン博物館(Dr. Guislain Museum)とヤンセン・リサーチ・アンド・ディベロップメント(Janssen Research & Development)が、メンタルヘルスケアに貢献した世界中の個人や団体を顕彰するための賞である。

さて、本題からは外れるが、ニューヨークの美術館の話題でしめくくりたい。
今回の収穫、とまで言う自信はないが、彫刻という分野が急に私の視界に入り込んできた。
それは、もしかして上で述べたノグチ美術館が伏線になっていたのかもしれないが、ニューヨーク近代美術館(MoMA)で開催されていた"Picasso Sculpture"が意外に印象に残ったのである。

 
(MoMA 4階の「ピカソ彫刻」展の入口)

ピカソの平面的に構成された絵画が、立体的な彫刻になったとき、なにか得体の知れない存在感のようなものが感じられる。


("Piccaso Sculpture"より。女性像だろうか。)


("Piccaso Sculpture"より。これはネコだろう。)

別の日に訪れたメトロポリタン・ミュージアムでも、なぜか彫刻に注目してしまうのである。
以前ならば、たぶん素通りしていたかもしれない。
この日は朝から大雪になり、ホテルから徒歩で行くのはあきらめ、地下鉄で。


(雪の5th Avenue をuptown。とにかく寒い。もう少しでメトロポリタン・ミュージアム。)

もっとも、彫刻に目覚めなくても、ブランクーシ(Brancusi)の作品なら、誰しもその独特の曲線にひきつけられるだろう。


(メトロポリタン・ミュージアムに展示されているブランクーシの作品のひとつ。)

以下もブランクーシの彫刻。
ただし、後ろのデ・キリコの絵画にカメラの焦点が合ってしまった。


(Constantin Brancusi: Sleeping Muse, 1910)

下の写真は、ジャコメッティ(Giacometti)の Cat という作品。
後ろのバルテュスの作品に気をとられる人もいるかもしれないが。


(Alberto Giacometti: Cat, 1954)

そして、ここにもイサム・ノグチの作品があった。


(Isamu Noguchi: Kouros, 1945)

最後は彫刻ではないが、「精神医療史的散策」というタイトルにふさわしいメトロポリタンの作品。
下の絵は、アール・ブリュットという言葉を提唱したフランスの画家デュビュッフェ(Dubuffet)によるもの。
解説によれば、精神病患者らが描いた作品に刺激された彼は、それらを模倣してこのような平面的な絵をあえて制作したのだという。


(Jean Dubuffet: Apartment Houses, Paris, 1946)

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プラハの精神病院とコンテンポラリーアート
ドイツの Psychiatrie Verlag が出している"sozialpsychiatrische informationen"という雑誌(年4回発刊)がある。
購読者として、かれこれ20年くらいが経過した。
最新号(46. Jahrgang 2016: Ausgabe 1)の特集は"Kunst und Psychiatrie" [アートと精神医学]である。
珍しく地下鉄の中で、記事の一部を読む時間ができた(積雪で自動車通勤を諦めたため)。

そのなかで、
Roman Buxbaum の "Outsider inside – das Unbehagen mit der Mauer"
という記事が気になった。
チェコのコンテンポラリー・アーティスト Eva Koťátková が、プラハの精神病院(Psychiatrická nemocnice Bohnice)で行った展示とパフォーマンスについて紹介している。

Buxbaum は、昨今のアール・ブリュット(およびアウトサイダー・アート)をめぐる状況に批判的なコメントを述べながら、Koťátková のプロジェクトはこれらのアートとの関わり方にパラダイム転換(Paradigmawechsel)を迫るものではないかと評価している。


Psychiatrická nemocnice Bohnice、広大な敷地(2014年3月撮影)

この精神病院の訪問記は、以前のブログでも紹介したこともあり、Koťátková のプロジェクトに興味が沸いてきた。
また、細々ながらも、精神医学、精神病院、アート、ミュージアム、展示などの複合領域にまたがって研究・実践をしているので、Koťátková をチェックせねばならない、なんて思ったのである。

調べてみると、その展示は(英語では) "The Two-Headed Biographer and the Museum of Notions" というタイトルで、2015年8月8日から同年9月11日に行われたもよう。
"Contenporary Art Daily" というサイトの、2015年9月18日に掲載された "Eva Kotatkova at Bohnice Psychiatric Hospital" という記事に詳しい。

著作権の問題があるだろうから、このページに画像をコピーするのは控えたい。
興味のある方は上記の記事をクリックして内容をみていただきたい。
このなかでおもしろいと思ったのは、2つの動画である。
とくに、アール・ブリュット/アウトサイダー・アートをパロディにしてしまっている部分。
たとえば、孤高のアウトサイダー・アーティストの最高峰(?)的な存在である、Henry Darger の「少女/少年趣味」の世界が演じられている。

この動画は、以下のサイトにもアップされている。
https://vimeo.com/138174506

Henry Darger の世界は、以下の 2) に含まれている。

1) Eva Koťátková, The Two-Headed Biographer and the Museum of Notions (exhibition and performances), 2015
2) Eva Koťátková, The Two-Headed Biographer and the Museum of Notions (live tableaux program), 2015

最後に、ついでながら、プラハのこの精神病院の写真をもう2枚。



Psychiatrická nemocnice Bohnice の正面建物の内部(2014年3月撮影)


Psychiatrická nemocnice Bohnice(2014年3月撮影)

以上。
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岡山の「精神資料館」
2015年10月1日、岡山市内に「カイロス」がオープンした。
JR岡山駅東口から、アーケードを抜けてすぐのところにある。
同年10月15日の山陽新聞(朝刊)に「居宅支援続ける阪井さん 岡山に資料館開設」「精神障害の歴史紹介」という見出しで当所の記事が載っている。

「カイロス」の1階では手作りカレーを提供し、2階が「精神資料館」になっている。
代表の阪井さんから、ここで「私宅監置と日本の精神医療史」展をやりませんかというお誘いがあったので、下見をかねて岡山へ足を運んだ。
阪井さんには、戦時中まで岡山市内にあった精神病者収容所の川口保養院調査などでお世話になった。
また、2015年9月の大阪・船場での「私宅監置と日本の精神医療史」展にも来ていただいた。

昭和初期に建てられたという空き家を改装した「カイロス」の内部は、昔の雰囲気をそのまま残している。
2階にはロッカーがあったそうで、その構造を活かしながら展示箱にしているのはおもしろい(下の写真)。
主として岡山とその周辺の精神科病院で、廃棄寸前だったものが集められている。
医療器具や日用品、書籍・雑誌など、病院で使われていたあらゆるものが、選別されずにそのままここに移された、といった感じが新鮮である(とかく研究者は、「データになりそう」「論文になりそう」なものばかりを選んでしまいがちなので)。


(通常は「撮影禁止」ということだが、特別の許可を得ている。)

ともかく、今年度中には岡山で4回目となる「私宅監置と日本の精神医療史」展を開催したいと考えている。
詳細は後日、このブログでお知らせしたい。

下の写真では、駐車スペースに続くオレンジ色の看板がある2階建てが「カイロス」。
その向かって右隣の家は、映画『精神』の舞台にもなった「コラール岡山」である(映画にも登場する「コラール岡山」の院長・山本先生がたまたま「カイロス」に来ておられ、お会いすることができた)。


(「カイロス」のオレンジ色の看板には「日曜日に造る おかあちゃんのカレー」と、小さくブルーに見える部分には「精神資料館」と、書かれている。)
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