近代日本精神医療史研究会

Society for Research on the History of Psychiatry in Modern Japan
トリップ・トゥー・ピッツバーグ

先月の9月28日と29日にアメリカ・ペンシルベニア州にあるピッツバーグ大学で、"From Madness to Medicine in Japanese Culture" をテーマにした小さな研究集会が開かれた。

せっかく「なにか話してもらえませんか」と声をかけてもらったし、テーマは私の関心領域そのものなので、万難を排して参加することに決めた。

ただ、勤務先大学の大学院入試の日程と近接し、かなりタイトなスケジュールだった。

 

(ピッツバーグ大学の Cathedral of Learning。ピッツバーグのシンボルのような存在。)

 

研究集会の日までは、2、3日あったので、史跡を探訪。

アメリカの州立精神病院の歴史には興味があるが、自分には未開拓の領域である。

そこで、ピッツバーグ近郊の Dixmont State Hospital の遺構を訪れた。

今回の集会のホスト役である、ピッツバーグ大学の Clark さんが車で案内してくれたのは助かった。

その際、この病院の歴史を紹介する参考文献("Dixmont State Hospital"、以下の写真)も借りてきてくれた。

 

(Mark Benton:Dixmont State Hospital, Arcadia Publishing, 2006 の表紙)

 

この "Dixmont State Hospital" および "The Institutional Care of the Insane in the United States and Canada, vol. III" (1916, reprint 1973) の記述から、この病院の歴史を拾い上げてみたい。

 

そもそも Dixmont State Hospital は、1853年にオープンした Western Pennsylvania Hospital の Department of the Insane に遡る。

しかし、この Department of the Insane の患者が増加したため、ピッツバーグの郊外に全面移転するにことになった。

精神医療改革者として知られる Dorothea Lynde Dix の提案にもとづき、オハイオ川をのぞむ小高い丘の上が病院用地に選ばれ、1862年に Western Pennsylvania Hospital for the Insane として開院した。

その名称は、Dixmont Hospital for the Insane(1907年)、Dixmont Hospital(1921年)、Dixmont State Hospital(1945年)と変更されている。

 

初代院長の Joseph Allison Reed(1884年、院長として在職時に死去) は、患者の作業活動を推し進め、病院の美化に努めることを信条としていた。

その後も、州からの病院予算が年々削られていくなかで、Reed の精神は病院スタッフやボランティアに引き継がれていく。

1966年に Robert Weimer が4代目の院長すると、「ディックスモント・ルネサンス(Dixmont's Renaissance)」として知られる時代が始まった。

病棟の窓から鉄格子が廃止されるなど病院の開放化が進み、地域の人々が病院の諸活動に積極的に関わるようになった。

 

しかし、州当局は、維持費がかさむ病院の閉鎖を考え始めていた。

1960年代はじめには、病院側がさらなる資金援助と病院の改修を盛んに州に求めていたが、実現しなかった。

そして1972年、州は Dixmont State Hospital の閉鎖計画を発表。

市民から抗議の声があがり、いったんはその計画も見直されたが、結局は1984年に閉鎖となった。

1940年末の在院患者は1200人以上だったが、1967年末には745人、1977年末には362人にまで減少していた。

閉鎖時点で残留していた患者177人は、別の2ヵ所の州立精神病院(Woodville and Mayview State Hospitals)に移された。

閉鎖後もしばらくは建物は残されていたようだが、2006年までにはほぼすべてが解体され、敷地は更地となり、現在に至る。

 

以上がおおまかな歴史である。

つまり、歴史的な建物は全く残されていない(厳密にいえば1971年に建てられたという The Cammarata Building はいまも存在し、その一部が子ども関係の通所施設に転用されているようだった)。

 

というわけで、下の写真が病院が建っていた丘である。

 

(かつて病院があった場所)

 

また、病院敷地のすぐ脇を Route 65 が走り、この Route 65 に平行して鉄道が走っている。

さらに、鉄道の向こうにはオハイオ川が流れている。

 

下の写真は、線路と背後のオハイオ川を写したもの。

写真を写したのとは正反対の方向(つまり撮影している私の背中の方向)が、病院の敷地となる。

かつては鉄道の駅(Dixmont Station)もあったので、便利な立地だったといえよう。

 

(鉄道とオハイオ川)

 

ところで、病院敷地の丘の上には、患者を埋葬した墓地が残っているというので行ってみることにした。

ただ、車で行くには、かなりわかりにくい場所にあり、運転していたClark さんにはかなり手間をかけてしまったかもしれない。

やっとたどりついた墓地に入口に、"DIXMONT STATE HOSPITAL CEMETERY" の碑が立っていた。

 

(墓地の入口に立つ追悼碑)

 

追悼碑の側面には墓地の由来が書かれていた。

下の写真にあるように、1863年から1937年にかけて、ここに1,300人以上の患者が埋葬されたという。

 

(追悼碑の側面に書かれている墓地の由来。碑文には1937年3月8日までの埋葬患者とあり、第二次世界大戦の veterans も含まれるとあるが、時期的に合わない気がするのだが…)

 

森の中のあちこちに、墓標が立っていた。

そこには、個人の名前はなく、ただ数字だけが彫られていた。

 

(点在する墓標)

 

森の中は静まり返っていて、落ち葉が地面に着地するときの、カサッ、カサッという、妙に乾いた音だけが響いていた。

その音に聞き入りながら、しばらく時間が経つのを忘れて、放心状態(単に時差ぼけか)。

 

最後に、本来の目的であった、研究集会 "From Madness to Medicine in Japanese Culture" について。

とても小さな集まりなのに、当日会場にいくと立派なプログラム冊子が用意されていた(下の写真)。

 

 

プログラムに書かれている登壇者のテーマを書き写して、内容紹介に代えたいと思う(なお、実際の発表時には、テーマ・タイトルに多少の変更はあった)。

 

Thursday September 28, 2017

 

Neither Religion nor Medicine: Knowledge from Experience - A New Dimension of Treatment and Care for Mental Patients in Modern Japan

HASHIMOTO AKIRA  Aichi Precfectural University

 

A Literary Marketplace for Hysteria in Japan, 1910s - 1920s

YUMI KIM  Johns Hopkins University

 

Beyond Iwakura: From Madness and Monasteries to Insanity and Mental Institutions

JAMES ROBSON  Harvard University

 

The Soma Incident: Medicine, Madness, and the Problem of Rights in Meiji Japan

SUSAN L. BURNS  University of Chicago

 

Curing Shinkei Suijaku (Nervous Exhaustion) in Late Meiji and Taisho

HIROSHI NARA  University of Pittsburgh

 

Writing Madness in Early Showa Fiction

NATHEN CLERICI  State University of New York, New Paltz

 

Friday September 29, 2017

 

Shigehira: Remembering the Burning of Nara on the Noh Stage

ELIZABETH OYLER  University of Pittsburgh

 

Observing Mental Affliction in Pre-Modern Japan

ANDREW GOBLE  University of Oregon

 

One Hundred Years of Melancholy in 20th Century Japanese Literature

CHARLES EXLEY  University of Pittsburgh

 

From Buddhist Practice to Psychiatric Intervention: How Naikan Meditation Came to be Used in Japanese Mental Hospitals

CLARK CHILSON  University of Pittsburgh

 

以上である。

冒頭で述べたように、勤務先大学の入試業務があったので、プログラムの途中で退散しなくてはならなかったのは、なんとも残念だった。

 

おまけ。

最後の最後、last but not least.

ある時から動物園巡りに凝りだしたのだが、ピッツバーグにも動物園があることがわかり、是が非でも行かねばと考えた。

ピッツバーグ大学近くの Fifth Avenue からバスに乗り、終点の Highland Park で下車。

ここまで来れば「獣の臭いがする」と聞かされていたので(それは確かだった)、場所はすぐわかると思っていた。

が、標識らしきものはなく、さんざん道に迷って、最後は公園を散歩していたおばさん(偶然だが、動物園のパスを購入しているほどの事情通だった)に道を尋ね、なんとか動物園に到達。

以前のブログで言及したプラハの動物園に続いて、ピッツバーグでもゴリラ見物が主たる目的である。

下の写真にあるように、ピッツバーグ動物園のゴリラ(ローランド・ゴリラ)は5頭である。

望遠レンズをもっておらず、デジカメで写したゴリラは黒い点くらいにしか見えず、ゴリラ舎のところにあるゴリラ・クイズの画面を紹介するにとどめたい。  

 

 

| フリートーク | 09:41 | comments(0) | - | pookmark |
新刊 "Zentrum und Peripherie in der Geschichte der Psychiatrie"

宣伝をひとつ。

自分も論文を寄せている本が、今日やっと手元に届いた。

2012年6月にドイツ南部の小都市ツヴィーファルテン(Zwiefalten)で開かれた研究会 ”Zentrum und Peripherie in der Geschichte der Psychiatrie (精神医学史における中心と周縁)” での演題をまとめた、ドイツ語と英語の混交論文集である。

研究会から5年以上が経過。

出版までの道のりは、ずいぶん長かった。

これをまとめあげた Thomas Müller に感謝。

 

以下がその表紙および目次である。

 

 

Thomas Müller (Hg.)

Zentrum und Peripherie in der Geschichte der Psychiatrie: Regionale, nationale und internationale Perspektiven
Franz Steiner Verlag, Stuttgart (2017)
 


Sektion I:
Zentren und Peripherien in der regionalen Geschichte der Psychiatrie.
Der deutsche Südwesten

 

Julia Grauer
Eine private Irrenpflegeanstalt in Württemberg, 1843-1891

 

Uta Kanis-Seyfried
Zum Verhältnis von Heimat und Ferne, Fremdem und Eigenem
Aspekte zeitgeschichtlicher Wechselbeziehungen in der Württembergischen Anstaltszeitung "Schallwellen", 1897-1936

 

Livia Prüll
Zentrum und Peripherie in der Badischen Psychiatrie
Zur Geschichte der Klinik in Freiburg und Emmendingen, ca. 1850 bis 1945

 

Sebastian Kessler
Die Heil- und Pflegeanstalt Günzburg während der Großen Depression
Psychiatrie und Stadt-Land-Beziehung in Zeiten der sozioökonomischen Krise

 


Sektion II:
Zentren und Peripherien in der regionalen Geschichte der Psychiatrie.
Norddeutsche Perspektiven

 

Heiner Fangerau
Scope for action at the psychiatric periphery around World War I
A public sanatorium for 'nervous diseases' in the Province of Hanover

 

Monika Ankele
Eine Chronik der Linie
Über die Annäherung von Zentrum und Peripherie am Beispiel der Krankenanstalt Langenhorn bei Hamburg

 

Stefan Wulf
Wahnsinn zwischen kolonialer Peripherie und europäischer Metropole
Patienten aus den deutschen "Schutzgebieten" Afrikas in der Hamburger Irrenanstalt Friedrichsberg, 1900-1915

 


Sektion III:
Psychiatriegeschichte jenseits der Nation und des europäischen Kontinents

 

Waltraud Ernst
Centres and Peripheries in the Periphery
Medicine and Psychiatry in British India, c. 1920-1940

 

Akira Hashimoto
Japanische Psychiater "zwischen" den akademischen Zentren der Psychiatrie der westlichen Hemisphäre
Uchimura Yushi (1897-1980) und seine Zeitgenossen

 

Akihito Suzuki
Psychiatric Surveys and Eugenics in the Family and Community in Japan, 1935-1945

 


Sektion IV:
Psychiatriegeschichte erforschen und erklären.
Museologische Ansätze und Public History jenseits akademischer Printmedien

 

Celia Di Pauli, Lisa Noggler, Eric Sidoroff
Die mitgenommene Geschichte oder Im Zentrum: die Peripherie
Zur Rezeption der bilingualen Ausstellung "Ich lasse mich nicht länger für einen Narren halten. Zur Geschichte der Psychiatrie in Tirol, Südtirol und dem Trentino"

 

Thomas Müller
Zentrum und Peripherie aus der Perspektive medizinhistorischer Forschung
Das Beispiel der Psychiatrie im Nationalsozialismus

 

以上。

| おしらせ | 22:30 | comments(0) | - | pookmark |
本日より大阪人権博物館で「精神医療の歴史と私宅監置」展開催

すでに以前のブログで紹介した、「歴史解説と写真展 精神医療の歴史と私宅監置 ―過去との対話から、現在と未来へのメッセージ―」が、大阪人権博物館(大阪市浪速区浪速西3-6-36)で本日からはじまる。

アクセスや開催日、開催時間については、当館のホームページを参照。

「レクチャー&ギャラリートーク」が、2017年9月16日(土)および10月7日(土)いずれも午後1時30分から行われる。

 

(大阪人権博物館)

 

下の写真は、開催に先立つ9月2日に会場で準備作業を行っているときのもの。

5人がかりで取り組んだおかげか、2時間くらいで作業を終えることができたのは幸いだった。

 

(大阪人権博物館での準備作業)

 

ところで、来館の際には、大阪人権博物館の成り立ちともゆかりが深い、近隣の「史跡」などにも注目されたい。

下の写真は、「太鼓屋又兵衛屋敷跡」に立つ碑である。

 

(太鼓屋又兵衛屋敷跡)

 

この屋敷跡に掲げられた説明文には、以下のようなことが書かれている。

太鼓屋兵衛は江戸時代を通じ、太鼓の全国ブランドとして知られていた。
1616年、大坂城の時太鼓を作った渡辺村の平八が、その功労によって「太鼓屋」の屋号を許された。
「太鼓屋又兵衛」という名は、少なくとも17世紀後半に登場。
1800年前後に活躍した太鼓屋又兵衛は、皮革の商いにも稀な才覚を発揮し、皮革問屋としての地位を築く。
幕末に活躍した又兵衛は、九州の小倉で生まれ、1837年に大坂・渡辺村へ養子に入り、1842年に太鼓屋又兵衛を襲名。

この人は温厚・実直で商才もあり「太鼓屋又兵衛」の名をさらに広めた。
太鼓屋又兵衛は、1858年に鳥取城の時太鼓をつくった。

現在、この太鼓は、島根県の美保神社にあり、重要文化財に指定されているという。
碑が立っている場所は、まさに太鼓屋又兵衛の屋敷があった場所である。

 

これ以外にも、この地域と太鼓との関係の深さを示すものがあちこちに見られる。

 

(最寄の「浪速西3丁目」のバス停)

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