近代日本精神医療史研究会

Society for Research on the History of Psychiatry in Modern Japan
韓国の法律家と日本の精神医療法制について語り合う。

2014年11月にソウルで行った「私宅監置と日本の精神医療史」展の来訪者の一人、S先生が通訳をともなって私の大学研究室を訪れた。

韓国の研究財団から研究費をもらって日本を訪れた目的は、何人かの研究者と会って精神医療や患者の人権などについて意見交換をすることだという。

訪問前にメールで送られてきた「質問内容」は、私の研究内容を徹底的に調査して、周到に作り上げられたものという印象を受けた。

ただし、1950年の精神衛生法の制定経緯に関する質問は、正直なところ私の盲点だったから、あらたな文献的調査が必要だった。

 

学部レベルの教科書的な話になるが、1950年に制定された精神衛生法とは、その後、精神保健法、精神保健福祉法と名前が変わったが、改変を重ねて現在も生きている法律である。

「生きている」どころか、現在の日本の精神保健医療福祉制度の根幹をなしている。

しかし、その制定経緯については、精神病者監護法(1900年)と精神病院法(1919年)が廃止され、私宅監置も廃止され、精神衛生法が制定された、などと簡単な説明でおわることが多い。

私も授業でそんな説明をしてきた。

 

というわけで、S先生来訪に備えてあらためて制定経緯を調べてみた。

とはいえ、二次的な文献が中心なので、この領域に詳しい人には目新しいことは何もないだろうが。

 

まず、岡田靖雄氏による「精神衛生法」(『現代精神医学体系 第5巻 C 精神科治療III』、中山書店、1977年)によれば、精神衛生法案が作られていく過程について「青木案--金子案−精神衛生法案という流れがたどられ、この青木案が現行法の最初の原案であったろうとも推察される」とある。

同氏の『日本精神科医療史』(医学書院、2002年)にも、「青木案、金子案、精神衛生法案とをよみくらべると、入手できた資料の範囲では、青木案…金子案−精神衛生法案という流れがたどれる」と書かれている。

 

この「青木案」とは何か?

それは、1948年当時に国立国府台病院に勤務していた青木義治が「村松(常雄)院長からの指示によってどうやらつくったもの」で、「米国の一部の州で行われているものなどを参考にして、私の乏しい知識から原案をつくってみた」という(青木義治「私が昭和23年当初つくった精神衛生法粗案をめぐって」『千葉県精神衛生』第8号、1965年)。

たとえば、第一条は以下のようなものである。

 

第一条 この法律は、国民の精神的健康の保持及び向上を図るとともに精神障害の予防、治療ならびに保護をおこなうことを目的とする。

 

では、岡田氏の推察によれば、青木案に影響を受けたと考えられる金子案は?

金子とは(言うまでもなく、と言うべきか)、日本精神病院協会の理事長などを歴任した金子凖二である。

金子案の第一条は、次のようになっている(『二十年:社団法人日本精神病院協会』1971年)。

 

第一条 この法律は、精神障害の予防並びに患者の医療及び保護を行い、国民の精神的健康の保持及び向上を図ることを目的とする。

 

一目で分かるのは、両者のあいだで、国民の精神的健康と治療/医療・保護との順序が逆になっていることである。

そして、1950年4月5日に衆議院(厚生委員会)に出された精神衛生法案は、確かに金子案に近いもので、その第一条が、

 

第一条 この法律は、精神障害者の医療及び保護を行い、且つ、その発生の予防に努めることによって、国民の精神的健康の保持及び向上を図ることを目的とする。

 

となっている。

ちなみに、上の国会に出された法案の第一条は、本案にそのまま採用されている。

 

また、青木は「米国の一部の州で行われているものなどを参考にして」と書いているが、衆議院(厚生委員会)の議論のなかで中原参議院法制局参事が「この法案をつくります際に、アメリカにおけるカリフォルニア州の精神衛生法それからその運用を参照いたしたのであります」と答弁している(「第七回国会衆議院 厚生委員会議録第二十三号」)。

 

ところで、S先生は日本の精神衛生法に、1838年のフランスの精神病関連法規の影響があるのではないかと、事前のメールで書いてきた。

だが、その時私は条件反射的に、1950年の精神衛生法制定の際に、フランスの影響があるとは到底考えられないと思った。

そして、上で述べたように、実際にはフランスではなく、アメリカの直接・間接的な影響があったことは明らかである。

当日の話し合いでも、集めた資料をS先生に手渡して、私の見立てを説明した。

 

だが、いま思い返してみると、私の考えは浅いものだったかもしれない。

S先生は過去のローマ法の精神障害への認識を引き合いに出していたので、言いたかったことは恐らくこういうことではないか。

つまり、強制的な入院制度というものは、ローマ法における精神障害への認識にさかのぼるもので、それが近代、現代にまで一貫した思想である。

19世紀のフランスの近代的な法律にもそれを確認することができ、それは措置入院をはじめて規定した1950年の精神衛生法にも引き継がれているのではなかろうか、と。

まあ、通訳を介しての議論なので、お互いニュアンスを伝えられなかったということか。

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