近代日本精神医療史研究会

Society for Research on the History of Psychiatry in Modern Japan
岡山での「私宅監置と日本の精神医療史」展を終えて
岡山市内のカイロスで、3週間あまりにわたって開催してきた「私宅監置と日本の精神医療史」展は、2月14日(日)に終了した。
主催者として、ギャラリートークや準備(と撤収)のために現場に行ったのは、会期中の最初と最後のみだった。
が、記名帳をみると、私が不在中にも断続的に多くの来訪者があり、うれしいかぎりである。
とくに、2月12日〜14日は、岡山県内でPSWや精神科看護関係の集まりがあったようだ。
その足で多数の方々がカイロスを訪れてくれたのである。


(会場となったカイロス2Fの廊下)

この場をかりて、すべての来場者および会場を提供していただいたカイロスの方々にお礼申し上げたい。

なお、次回の開催はすでに決まっている。
2016年5月に愛知県内の某精神科病院の(解体寸前の)旧病棟内である。
「私宅監置と日本の精神医療史」展だけではなく、この病院に関わる歴史関連企画も予定している。
詳細はいずれこのブログでお知らせしたい。
| - | 16:34 | comments(0) | - | pookmark |
岡山で「私宅監置と日本の精神医療史」展の日程変更について
来る2月13日(土)に行われる予定だったギャラリー・トークですが、担当者の都合により急遽中止することになりました。
なお、展示自体は行われています。
最終日である2月14日(日)のギャラリー・トークは予定通り行います。
以上、日程の変更をお知らせするとともに、直前の変更をお詫び申し上げます。
| - | 14:52 | comments(0) | - | pookmark |
ニューヨーク精神医療史的散策

多年にわたり、ベルギー・ゲール(Geel)の精神科家庭看護の歴史を追い続けてきた。
そのために、さまざまな国を旅することになったが、ニューヨークでひとつだけやり残したことがあった。

ゲールとニューヨーク。
ヨーロッパの田舎と世界最大の都会。
あらゆる意味で対極にある場所だが、20世紀後半以降から現在に至るまでの「ゲール認識」、つまり、一般的に共有されている「脱施設化と地域精神医学の推進という文脈でゲールを捉え直す認識」の「発見」は、ニューヨークの研究者によって誘導されたと言えるのではないか。
つまり、ゲールを解く鍵はニューヨークにあり、なのである。


(ニューヨーク、グランド・セントラル・ターミナル)

その中心人物がコロンビア大学の2人の教授、社会学者のL. スロール(Leo Srole, 1908-1993)と精神医学者のV. バーナード(Viola W. Bernard, 1907-1998)である。

彼らが、ベルギーのルーヴェン・カトリック大学(Katholieke Universiteit Leuven)およびゲールの精神科家庭看護を管轄している国立コロニー(Rijkskolonie)のスタッフら、およそ100人を巻き込んで行われた国際的かつ学際的な一大研究が "Geel Family Care Research Project" だった。

1960年代半ばから約10年間にわたって研究された内容は、膨大なものだった。
研究が進められている最中にも、論文発表や学会報告などは数多く行われている。
こうした研究活動を通して、上で述べた「脱施設化と地域精神医学の推進という文脈でゲールを捉え直す認識」が深められていったと考えられる。

が、プロジェクトの研究代表者であるスロールがまとめるはずだった、研究総括および各研究領域(社会学、人類学、精神医学などを含む学際領域)の、最終的な研究成果物は発刊されないままで終わった。
そのため、結局のところ、このプロジェクトの全貌は不明のままである。

だが、コロンビア大学のある研究者から、プロジェクトの資料が残されていることを聞いた。
そのひとつが、ニューヨーク州の Geneva にあるホバート・アンド・ウィリアム・スミス・カレッジ(Hobart and William Smith Colleges, HWS)の文書館に保存されている「スロール文書(Srole Papers)」である。
同じニューヨーク州とはいえ、ニューヨーク市からは相当離れている。

スロールはかつてこの大学で教鞭をとったことがある。
それが縁で、彼の残した資料がここに寄贈されたらしい。
スロール文書に含まれているゲール関係書類については、2009年と2010年の2回現地を訪れて、調査済みである(一応、その概要は、2013年の第17回日本精神医学史学会で発表した)。

もうひとつが、ニューヨーク市内にあるコロンビア大学の医学図書館(Augustus C. Long Health Sciences Library)に収められている「バーナード文書(Bernard Papers)」である。
今回のニューヨーク調査のそもそもの目的は、この文書の閲覧なのだ。

ニューヨークに到着した次の日、さっそくコロンビア大学の医学図書館を訪れた。
とりあえず、必要な文書をデジカメで大量に撮影したが、スロール文書とバーナード文書とをつき合わせるのがこれからの作業となる。
そうすぐには、まとめられないかもしれないが。


(中央のコロンビア大学の建物にHealth Sciences Libirary が入っている。)

さて、研究には息抜きが必要である(むしろ、息抜きばかりもしていられないので、たまには研究もやるべし、のほうが正解かもしれないが)。

ニューヨークをどれだけ歩けるか、そんな密かな挑戦をしていた。

ある日には、マディソン・スクエア・ガーデン近くのホテルから、ブロードウェイに沿ってひたすら南下。
最近降り積もったらしい雪があちこちに残っていて、歩きにくい道もある。


(マディソン・スクエア・パークあたり。右端に Flatiron Building。)

さらに、どんどん南下。
市庁舎のあたりで東に向かうとブルックリン橋。
橋は上が歩道、下が車道になっている。
映画なんかで、その夜景がよくでてくる橋だから、妙になつかしい気がする。


(マンハッタン島からブルックリン橋を渡って対岸のブルックリンへ。)


(ブルックリン橋から「自由の女神」方向をのぞむ。)

別の日には、マディソン・スクエア・ガーデン付近のホテルから、エンパイア・ステート・ビルを見ながら東に、そして次には北上し、国連ビルまでやってきた。
国連では何もやっていないのか、ひっそりとしていたが、警備だけはうるさそうだった。


(休日のせいか、国連ビルはひっそり静まり返っていた。)

国連を通り過ぎてさらに北上すると、クイーンズボロ橋が見えてきた。
マンハッタンとクイーンズとを結ぶ橋だが、どうやら人は通れない。
ただし、マンハッタンとクイーンズとの間を流れるイースト・リバーに浮かぶルーズベルト島までなら、トラムウェイ(ロープウェイ)がある。
ルーズベルト島に上陸すれば、この島からクイーンズに渡る橋は一本だけある。
その橋なら人も通行できそうだった。

まとめると、
マンハッタン→クイーンズボロ橋→クイーンズ のコースは、歩いては行けない。
マンハッタン→トラムウェイ→ルーズベルト島→クイーンズ のコースなら、歩いて行ける。


(トラムウェイに乗って、マンハッタン方向を振り返る。並行しているのはクイーンズボロ橋。)

トラムウェイに乗り、ものの数分でルーズベルト島に着いた。
小さくて、細長い島だが、地下鉄の駅もあり(実際に見てはいないが、地図ではそうなっている)、バスも走っている。
人も多く住んでいるようだった。
この島をひたすら北上し、対岸のクイーンズに架かるルーズベルト・アイランド橋へ向かう。
対岸のクイーンズ側に見える大きな煙突は、発電所かなにかなのだろうか(下の写真)。


(ルーズベルト島からルーズベルト・アイランド橋を渡り、クイーンズへ向かう途中。南にクイーンズボロ橋が見える。)

どうも先ほどから橋の話ばかりになっている。
とにかくニューヨークは橋が多いのである。

「橋オタク」なんていうのも悪くない趣味かもしれない、などと思いながらルーズベルト・アイランド橋を渡り終えたところで、通りを左に曲がり、また北上する。
めざすはノグチ美術館。

ノグチとは、彫刻家のイサム・ノグチである。
美術館がありそうもない街並みだ、などと思っているうちに到着。
外壁に囲まれて中の様子がわかならなかったが、入館してみれば落ち着いた雰囲気。


(ノグチ美術館の中庭)

せっかく、マディソン・スクエア・ガーデンくんだりからはるばる歩いて来たのだから、クイーンズの別の見所へも行こう。
ノグチ美術館から南下し、これまたアート関連で、PS1 MoMA まで歩いた。
コンテンポラリー・アートの美術館である。
ガイドブックによれば、元の小学校の校舎を改装した建物ということだ。

展示のうち、映像作家(film/video artist) チャールズ・アトラス(Charles Atlas, 1949-)の The Waning of Justice (2015)の一部を構成する、 いわゆる drag スターで知られる Lady Bunny が歌い、しゃべりまくる、Here She Is という作品が圧倒的な迫力だった。


(Charles Atlas: Here She Is [single-chanel video installation with sound. 19 min., 15 sec.])

さて、ここで少しは仕事の話をしたい。
今回の旅には、コロンビア大学の医学図書館以外に、もう一つの目的があった。
それは、Broadway Housing Communities (BHC)を訪ねることである。
もともとは、ホームレス/貧困者/障害者に住居を提供するサービスから始まったという。
しかし、今日、BHC は市内の何ヶ所かのアパートを所有し、そこでさまざまな教育・文化的な設備やプログラムを提供している。
それによって、入居者たちだけではなく地域住民を巻き込んだ、大都市における新しい形のコミュニティを形成しようとしている。

BHC の代表であり、いわばアクティブな社会企業家であるエレン・バクスター(Ellen Baxter)さんに会った。
実は、彼女のことは15年以上も前から知っている。
個人的な知り合いではなく、会議場などで遠くから眺めるような存在だった。

彼女は「ゲール研究者」でもあり、上で紹介したコロンビア大学が中心になって行った"Geel Family Care Research Project" に関わっていた。
「スロール文書」「バーナード文書」には、エレンさんがスロールやバーナードなどとやり取りをした書簡がたくさん収められている。
つまり、"Geel Family Care Research Project" を知る数少ない「生き証人」のひとりなのである。
また、ゲールでの経験がコミュニティの重要さへの認識を高め、それがニューヨークでの BHC のコンセプトにつながっていることは明らかである。

一昨年、2014年5月、ゲールである会議が開かれた際、はじめて彼女と直接話す機会があった(その時の記事はここ)。
すごく緊張しながらも、"Geel Family Care Research Project" の成果物が発表されなかったことについて、感想を聞いた。
また、ゲールと京都・岩倉の精神科家庭看護の歴史について、英語で書いた私の論文コピーを謹呈したのだった(その論文は、この記事に紹介した本に収められている)。

その後、しばらくして、エレンさんからメールが来て、私の論文への丁寧なコメントが添えられており、ニューヨークへ来ることがあれば BHC を案内しますよ、と書かれていた。
それを「真に受けて」の今回の BHC 訪問となったわけである。


(ハドソン川沿い[583 Riverside Drive] にある BHC の建物)

上の写真は BHC の建物のひとつで、ハーレム地区のリバーサイド・ドライブ(Riverside Drive)583番地にある。
たぶん、BHC の本部という位置づけと思う。
屋上にはペントハウスがあって、貸しギャラリーがあるというので、見せてもらった。
ハドソン川を一望できるすばらしいロケーションである。
もちろん、この建物はおもに居住スペースを提供しているが、1階というか半地下部分は「学校」になっている。
ちょうど子供たちが、なにか作品を作っているようだった。

リバーサイド・ドライブからそれほど離れてはいないシュガー・ヒル(Sugar Hill)に、比較的最近オープンした建物(Sugar Hill Complex)があるというので、エレンさんの車で連れて行ってもらった。
下の写真のモダンな建物がそれである。

124の居住ユニットをもつ。
1階には、「アートとストーリー・テリング [読み聞かせ?以上の意味を含むだろう] のための子供博物館(Sugar Hill Children's Museum of Art & Storytelling)」というスペースもあり、別の階には BHC のオフィスもある。


(Sugar Hill Complex [898 St. Nicholas Avenue])

ちなみに、デザイン的も興味をひくこの建物を設計したのは、タンザニア生まれでイギリス国籍をもつ建築家の David Adjaye である。
ワシントンD.C. にあるスミソニアン博物館の新しいビル(National Museum of African American History and Culture)などの設計も手がけている。

下の写真が、「アートとストーリー・テリングのための子供博物館」の一部。


(Sugar Hill Complex の中の Sugar Hill Children's Museum of Art & Storytelling)

というわけで、ふたつのビルを見学して BHC を後にした。
実のところ、その日の朝にエレンさんから「体調不良なので、別の人に案内させる」とのメールが突然来たにもかかわらず、結局、ご本人が出てきてくれて大変申し訳なかった。

帰りはハーレムを南下し、セントラルパークを突き抜けて、5th Avenue 沿いに進み、マディソン・スクエア・ガーデンまで歩く。


(帰る途中のセントラルパークにて。)

BHC を訪れた次の日、ニューヨーク市内最大(だった)の精神科病院、クリードムア精神医学センター(Creedmoor Psychiatric Center)へ行った。
お目当ては、その中にある「リビング・ミュージアム(The Living Museum)」である。
これは(元)患者のアート制作の巨大な工房なのである。
そもそも BHC のエレンさんからその存在を教えてもらっていた。
ただし、リビング・ミュージアムを見学するには、事前の電話予約が必要だ。

電話でアポととった二日後、マディソン・スクエア・ガーデンの地下にあるペン・ステーション(Penn Station)から、ロングアイランド鉄道(LIRR)で キュー・ガーデンズ(Kew Gardens)駅まで行き、そこからはバスに乗ってリビング・ミュージアムをめざす。
ニューヨーク市内のクイーンズ地区にあるとはいえ、さすがに徒歩では遠すぎる。

ホテルを出てから、1時間半くらいは移動しただろうか。
最寄りのバス停を降りると、クリードムア精神医学センターの威容に圧倒された(下の写真)。
吸い寄せられるようにこの建物に向かった。
が、これは入院専用病棟で、リビング・ミュージアムは道を隔てた別のキャンパスにあることが判明。
キャンパス内をあちこちうろついて、約束の時間に遅れそうになり、ややあわてる。


(Creedmoor Psychiatric Center の入院病棟)

下の写真が、リビング・ミュージアムがあるキャンパスだった。
精神病院らしい建物群がならび、なぜかホッとした。
かつてクリードムアには7,000人もの入院患者がいたというが、脱施設化が進み、現在は470人にまで減っているという(Wikipedia 情報)。
したがって、多くの病棟が不要になったわけである。


(現在こちらのキャンパスは、外来患者のための施設になっているようである。)

キャンパス内の「5番街(5th Avenue)」という道に沿って進むと、リビング・ミュージアムになっているBuilding 75 が見えてきた。
かつては、Kitchen と Dining として使われていた建物だという。


(リビング・ミュージアム)

中に入ると、ミュージアムのディレクターのマートン(Janos Marton)さんが迎えてくれた。
ハンガリー生まれのマートンさんは、ウィーン大学で心理学を学んだ。
ウィーン近郊にある「芸術家の家(Haus der Künstler)」については、よく知る立場にあった。
これは、グッギング(Gugging)の州立精神病院の中にあり、患者のアート制作で世界的に知られている(以前に訪問記をブログ記事で紹介した)。

ウィーン大学卒業後、マートンさんアメリカに渡り、コロンビア大学でも心理学、そして美術も学んだ。
1983年、ポーランド人アーティスト Bolek Greczynski(1995年に44歳で死去)とともに、クリードムアにリビング・ミュージアムを設立した。
1995年以来、初代ディレクターの Greczynski のあとを継いで、マートンさんがディレクターを担っている。

「好きなように見てください、人を入れなければ写真もOK」ということなので、場内をぶらぶら歩き回りながら、写真をパチパチ。
とにかく広いスペースに、モノ、モノ、モノ・・・といった感じ。
だが、無秩序というよりも、イマジネーションの爆発と言ったほうがよかろう。
その適当なスペースで、作品を制作している人が何人かいる。


(写真を撮ろうとした瞬間、ネコに横を向かれてしまった。)


(Issa Ibrahim の作品。よく知られたイメージのパロディを多く描くようだ。)

そのうち、マートンさんに声をかけられて、「おもしろい人を紹介するから、話してみて」と。
金属製のハンガーを曲げて、何でも作ってしまう John Tursi さんである。
ご本人によれば、自分の写真を撮ってもいい、ネット上にアップしてもいい、ということなので、制作の様子を紹介したい(下の写真)。

彼曰く、「俺は現代のミケランジェロだ」と。
冗談半分なのか、内面から湧きあがる自信からなのか(後者のような気がした)。
写真では見えないが、神話的な馬の家族をモチーフにした、おそらく2メートルは優に超える巨大なハンガー・オブジェが、もっともお気に入りだそうである。


(John さんは、音楽をガンガン鳴らしながら、ゴッホの絵に刺激されたという、ひまわりのオブジェにとりくんでいる。)

2階に上がってみた。
中央部分は吹き抜けになっていて1階を見下ろすことができ、回廊のように部屋が配置されている。


(2階の窓際。古い時代の構造をそのまま残している。)


(2階の部屋のひとつ。まるでジャングル。)


(2階の吹き抜けから1階を見下ろす。)

マートンさんから、日本でリビング・ミュージアムは作らないのか、と言われた。
リビング・ミュージアムのコンセプトで運営されているセンターは、スイスやオランダにもあるらしい。
韓国でも作ろうとしているという。

こうした30年以上にわたる長期の活動が評価され、マートンさんは2015年の「"偏見の連鎖を断ち切る"ギスラン賞(Dr. Guislain "Breaking the Chains of Stigma" Award)」を受賞した。
これはベルギー・ゲントのギスラン博物館(Dr. Guislain Museum)とヤンセン・リサーチ・アンド・ディベロップメント(Janssen Research & Development)が、メンタルヘルスケアに貢献した世界中の個人や団体を顕彰するための賞である。

さて、本題からは外れるが、ニューヨークの美術館の話題でしめくくりたい。
今回の収穫、とまで言う自信はないが、彫刻という分野が急に私の視界に入り込んできた。
それは、もしかして上で述べたノグチ美術館が伏線になっていたのかもしれないが、ニューヨーク近代美術館(MoMA)で開催されていた"Picasso Sculpture"が意外に印象に残ったのである。

 
(MoMA 4階の「ピカソ彫刻」展の入口)

ピカソの平面的に構成された絵画が、立体的な彫刻になったとき、なにか得体の知れない存在感のようなものが感じられる。


("Piccaso Sculpture"より。女性像だろうか。)


("Piccaso Sculpture"より。これはネコだろう。)

別の日に訪れたメトロポリタン・ミュージアムでも、なぜか彫刻に注目してしまうのである。
以前ならば、たぶん素通りしていたかもしれない。
この日は朝から大雪になり、ホテルから徒歩で行くのはあきらめ、地下鉄で。


(雪の5th Avenue をuptown。とにかく寒い。もう少しでメトロポリタン・ミュージアム。)

もっとも、彫刻に目覚めなくても、ブランクーシ(Brancusi)の作品なら、誰しもその独特の曲線にひきつけられるだろう。


(メトロポリタン・ミュージアムに展示されているブランクーシの作品のひとつ。)

以下もブランクーシの彫刻。
ただし、後ろのデ・キリコの絵画にカメラの焦点が合ってしまった。


(Constantin Brancusi: Sleeping Muse, 1910)

下の写真は、ジャコメッティ(Giacometti)の Cat という作品。
後ろのバルテュスの作品に気をとられる人もいるかもしれないが。


(Alberto Giacometti: Cat, 1954)

そして、ここにもイサム・ノグチの作品があった。


(Isamu Noguchi: Kouros, 1945)

最後は彫刻ではないが、「精神医療史的散策」というタイトルにふさわしいメトロポリタンの作品。
下の絵は、アール・ブリュットという言葉を提唱したフランスの画家デュビュッフェ(Dubuffet)によるもの。
解説によれば、精神病患者らが描いた作品に刺激された彼は、それらを模倣してこのような平面的な絵をあえて制作したのだという。


(Jean Dubuffet: Apartment Houses, Paris, 1946)

| フリートーク | 00:06 | comments(0) | - | pookmark |
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