近代日本精神医療史研究会

Society for Research on the History of Psychiatry in Modern Japan
三聖病院:『京都における精神医学的散歩 2』 その6 <新シリーズ・小林靖彦資料 122>

今回の三聖病院の記事が、アルバム『京都における精神医学的散歩 2』 の最後である。

『精神医学京都学派の100年』(ナカニシヤ出版、2003年) は、三聖病院の開設者の宇佐玄雄(1886-1957)を、一世紀にわたる京都精神医学史の前半において、唯一の精神療法家であると紹介している。

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三聖病院


 大正8年(1919)慈恵医専を卒業し、東大精神病学教室で呉秀三教授の指導を受けて研究をつづけていた宇佐玄雄は、大正10年(1921)夏、三重県山渓寺の自坊に帰り、病院設立の準備に取りかかり、仝年11月に、神経科病院・教育治療所設立趣意書をしたため、これを東福寺各寺院をはじめ其の他、主たる寺院に配布し賛同を求めた。

 東福寺は、大徳寺の「茶づら」、建仁寺の「学問づら」と竝んで「伽藍づら」と呼ばれる建物の雄大なことで禅刹で、関白道家が、聖一国師(円爾弁円)を招いて嘉禎2年(1236)に開いた [注:円爾が東福寺に招かれたのは1243年] 臨済宗東福寺派大本山で、京都五山の第四位に位し、慧日山東福寺と称し、京都市東山区本町にある。

 大正11年(1922)、山内の旧三聖院客殿を利用して「三聖医院」を開設。

 大正13年(1924)、山内の竜眠庵を利用して入院治療を実施。

 大正14年(1925)、三重県上野市、大正15年(1926)、大阪市東区島町に、それぞれ出張診療所を開設。

 昭和2年(1927)、「三聖病院」を開設。

 昭和32年(1957)、玄雄死亡(年70才)し、その子、晋一、業を継ぐ。





















(以上)

| 新シリーズ・小林靖彦資料 | 15:33 | comments(0) | - | pookmark |
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