近代日本精神医療史研究会

Society for Research on the History of Psychiatry in Modern Japan
おまけ・やっぱりゲールはやめられない。
ゲールでのシンポジウムの翌日の話である。
この会合でいろいろと世話になった友人の B さんと Herentals で会うことになった。
Herentals はゲールの近くの街である。
彼はここに住んでいる。
カフェで彼のパートナーの T さんと合流し、3人で昼食をとりにギリシア料理店へ(下の写真)。
いくつかの小皿を注文し、皆で取り分けて食べた。


(ギリシア料理店で)

レストランで、これまでのたまる話をした。
この二人は旅行好きで、日本にも何度か来ている。
ある夏のくそ暑い日、名古屋の熱田神宮の近くの店で一緒に「ひつまぶし」に食べたこともある。
来年は日本の某所で芸術祭(トリエンナーレ)があるので、それに参加すべく必ず日本に来るという。
アート好きというのも、我々の共通の趣味なのである。

高齢の飼い猫の話も出た。
数年前に見たときには、よろよろ歩いていたが、つい最近、21歳で死んだという。
記録的な長生きかもしれない。
次の猫を飼うかどうかについて、二人の意見は一致していない。

さて、昼食を終え、私は鉄道でブリュッセルへ行くことに。
Herentals の駅まで送ってもらって、そこで二人とは別れた。
アントワープ中央駅のひとつ手前の Antwerpen-Berchem で乗り換え。
いつもなら、何事もなく列車に乗るだけだが、「事件」があった。

列車を待ちながら、何気なくズボンのすそを見ると、何か液体が付着している。
よく見ると、ズボンの後ろのあちこちに、ミルクとコーラを混ぜたような飲料がついている。
「ついている」のではなく、誰かが故意に私の背後から液体を飛ばしたのだろう。
どこからか「上着にもついてるよ」という声が聞こえた。
そう言われて上着を脱いで確かめると、紺色のセーターのいたるところにクリーム色の液体がべったり。

いったい誰が・・・と思って、周囲をみまわす。
少し離れたところにいた女の人が、控えめに指をさす。
その方向をたどると、さきほど「上着にもついているよ」とい声をかけてきた黒人の若い男がいた。
いったん離れて、またこちらに戻ってきた。
緊迫した時間が流れる。
「フランス語はできる?」というフランス語の問いかけに、「いや」と答えると、天井から液体が落ちてきたのだろう、というようなしぐさをして立ち去った。
そんなこと、あるはずがない。
自分が「犯人」と疑われていないと思っているらしい。

見るからに外国の旅行者、という人を選んでいたずらをして、反応を楽しむという趣味なのか。
あるいは、旅行者が動転したすきに金目のものを奪おうとしたのだろうか。
まあ、どっちにしても、たいしたこともない。
ニューデリーでは、糞尿をかけられたこともある(「それを拭いてあげます」とか言って、法外な対価を請求してくる伝統的な商売である)。

ブリュッセルの中央駅で降りてホテルに向かう。
グランプラスのあたりは普段以上に混んでいる感じ。
どうやら、ホモ・セクシャルの人たちのパレードのせいらしい。
大音響でクラブ系の音楽を流しながら、目抜き通りを進むホモの団体、個人、その他いろいろ。
スーツケースを転がしながらなので、前に進むのに難儀した。


(ブリュッセルで。ホモ団体のパレート。)
| フリートーク | 12:43 | comments(0) | - | pookmark |
やっぱりゲールはやめられない。
またもやベルギーのゲール(Geel)にやってきた。
少し前に紹介したが、2014年5月16日に Symposium OPZ Geel - Community care: Foster family care as an inspiring model があるからだ。

シンポジウムの開催場所がゲールのから少し離れているので、定宿のB&Bをあきらめて、マーケット広場に面したホテルにした。
なかなかいい部屋である(下の写真)。


(Hotel Corbie Geel にて)

マーケット広場からバスで会場に行くつもりだったが、結局はシンポジウム主催者(OPZ、ゲール公立精神医学ケアセンター)側の友人に車でホテルまで迎えに来てもらった。
ゲールでは、しばしば国際会議が開かれる。
精神科領域の里親看護の伝統で、国際的に有名だからだろう。
ただし、こうした催しは、5年に1回のゲールのお祭り(守護神の聖ディンプナにちなんだ宗教行列など)に合わせて、行うのが通例である。
2000年と2005年にはお祭りと国際会議、2010年はお祭りだけだった。
すべて参加した。
次のお祭りは2015年の予定だが、今回のシンポジウムはそれより1年早い2014年。

なぜこのタイミングなのか?
会場に着くまでに車中で友人に聞いてみると、近々行われる国政・自治体選挙の前に、フランダース政府にゲールの里親看護制度をアピールする必要があるためだろうとのこと。
この制度によってゲール(とその近隣)の里親のもとで暮らす精神障害者の数は、年々減少傾向にある。
存続の危機が叫ばれて久しいなか、政府の限られた予算をいかに多くゲールに持ってくるか、という高度に政治的なシンポジウムのようだ。
他方、「ゲールはいいね!」と国外のスピーカーからも言ってもらえば、それも強力なアピールになる。
だから、国際シンポジウムでなければならないのだろう。

会場はゲールの隣の Laakdal にある会議施設"De Vesten"。
すぐ近くを大きな運河が流れる。
アントワープとリエージュを結ぶ幹線である。


(シンポジウム会場の"De Vesten")

参加者は200人あまり。
欧米の関係者ばかり。
よくあることだが、日本(オリエンタル)からは自分ひとりという状況。
この会議のためだけに、はるか遠方からやってくる暇な人間もいないということだろう。


(会場にて)

今回のゲストスピーカーで注目すべきは、ニューヨークで"Broadway Housing Communities"を主宰する Ellen Baxter さん。
かつてゲールに暮らしていたことがある彼女は、ホームレスの人たちの住宅問題の最前線で活躍している。
ゲールでの経験がニューヨークでの活動の原点になっているという。
その活動は大規模でとても一言では説明できない。
とにかく「すごい人」としか形容のしようがない。
上でリンクしたホームページを参照してもらいたい。

どうしても Ellen Baxter さんに聞きたいことがあった。
それも今回ゲールまで来た理由のひつとである。
1960年代から70年代にかけての10年間、アメリカ(コロンビア大学)とベルギー(ルーヴァン・カトリック大学とゲール国立コロニー[現在のOPZ])の研究者がゲールの精神障害者里親看護に関する大規模な共同研究を行った。
最後の時期に彼女もその研究に関わっている。
膨大な研究成果は、何巻かで構成されるシリーズ本として英語で出版されることになっていた。
だが、その作業は難航。
10年たっても、20年経っても本は出ず終い。
研究の中心メンバーも相次いで他界し、現在も本は出ていない。
この間に、彼女は編集作業にかなり力を尽くしていたようなのだが・・・。
世に出ないままになっているこの成果を彼女はどう思っているのか、それが知りたかった。

コーヒー・ブレイクの時に彼女と話す機会があった。
私なりに理解していた共同研究の事後処理について簡単に説明。
「それは悲劇でした」というのが彼女の見解だった。
やはりどうすることもできなかったのだな、と確認できたのが私の成果である。
名刺を交換して、ゲールと京都・岩倉について英語で書いた論文を謹呈した。

というわけで、肝心のシンポジウムの内容への言及がなかった。
とはいえ、それをここで整理するのはとても難しい。
OPZが取り組む里親看護の新たな戦略や、周辺の西欧諸国での精神障害者ファミリー・ケアの動向などが紹介され、さらにパネル・ディスカッションが行われた、とだけ言っておきたい。

ところで、2005年にゲールに来たときにホームステイさせてもらった、Dさんと再会できて嬉しかった。
当時のことを話しながら、ゲールの地ビールの話題になった。
Dさんに連れられてその醸造所(といっても民家のガレージみたいなところ)に行き、瓶詰めのビール2本をおみやげにもらったのだった。
あれから、2番目の銘柄ができたという。
その名も"Vliet"(「フリート」)。
「川」の意味(ドイツ語の"Fluss"に相当するだろう)。
シンポジウムが終わった後、一人でゲール駅近くのカフェに入った。
「フリート」を注文したのは言うまでもない。


("Vliet")
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高尾山薬王院有喜寺(東京):『水治療法史』 その11 <新シリーズ・小林靖彦資料 108>

今回は東京の高尾山である。
この場所の滝治療に関する文献は比較的多い。

だが、もっとも基本的かつ重要な資料は、呉秀三・樫田五郎の論文「精神病者私宅監置ノ実況及ビ其統計的観察」(1918年)に登場する「高雄山薬王院」の記述だろう。

小林靖彦が高尾山を訪れたのは、昭和47(1972)年5月21日だった。
以下の彼のテキスト後半部分は、呉・樫田論文の記述を要約したものだろう。

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高尾山薬王院有喜寺(真言宗)。

 高尾山は、東京都八王子市高尾町にあり、標高600m、関東平野の西を限り、秩父山地の一部、小仏山脈の末端に当る。「明治の森・高尾国定公園」として自然よく保護され、1600種の植物、29種の哺乳類、107種の鳥類、5000種もの昆虫棲息すと云う。

 山頂に至り、薬王院を訪れ、僧の話を聞く、大学にて歴史を専攻せるインテリ僧なり。

 高尾山薬王院有喜寺は、聖武天皇の天平16年(744)開創にかかる真言宗智山派の名刹なり。

 中興開山の永和年間(1357-1378)以来、修験道の遺風を継承し、山伏による「火渡りの祭」の荒行や、蛇滝、琵琶滝での滝にうたるる「水行」など数多くの宗教行事の行われる霊山、霊場なり。江戸時代、関東一円にわたり信者100万と称せられた。

 古くより、麓の宿に泊りて滝に打たれる病者の姿が見られたと云う。しかし、今日、ケーブルカー、リフトなど山頂近くまで設けられ、道路も整備されているが、昔は山深く、親族が縁者の病気の平癒を祈願して寺に詣でたるも、患者は滝にうたれに来るのみで、寺では詳しき記録を見ないと云う。

 傾斜強き小道を下れば、蛇滝に至る。老婆ひとり灌水を終りて脱衣所にあり。滝は左奥にあり、傍に観音堂あり。整備されし飛瀑なり。

      昭和47年5月21日

(注:アルバムではここに、呉秀三・樫田五郎の論文「精神病者私宅監置ノ実況及ビ其統計的観察」(1918年)の高尾山記事のコピーが貼られているが、省略する。)


高尾山薬王院

 高尾山麓に、瀑布あり。古来、精神病に霊験ありと称せられ、約50年前より病者の此地に群集するに至る。

 瀑布には、琵琶ノ滝、蛇ノ滝、辨天ノ滝の三滝あり。琵琶ノ滝には、精神病者の灌浴すること最も多し。蛇ノ滝は水勢頗る強く、辨天ノ滝は蛇ノ滝より人工的に導きしもので、軽症者に応用せらる。

 宿泊する設備として、三つの旅館と二つの参籠所あり。旅館は、二軒茶屋各50名(注:同じ所に2軒あったので二軒茶屋と呼ばれた)、三光荘20名の計120名の収容可能なるも、精神病者は一部の軽症患者の泊まるのみで、殆んどは参籠所に泊る。琵琶ノ滝の近くの参籠所は50名以上の収容力あり(嘗つて精神病者のため放火され全焼せしことあり)、蛇ノ滝の近くの参籠所は10名収容の小規模のものであり、大正5年(1916)12月に於て、それぞれ35名と3名の患者が滞在していた。宿泊に際しては家人が附添い、灌浴には合力の介助を要した。平均30〜40日滞在し(2〜3年に及ぶ者もあった)、合力は琵琶ノ滝にのみ常住していた。

 灌浴の方法としては、時期は毎年4月1日より10月31日までとし、予め医師により灌浴して差し支えなしとの診断を受けて来るものと定められており、1回5〜10分(20分以上浴するものもあり)にして、1日10回以上(少なくとも3回以上)と定められていた(注:後半の「1回5〜10分・・・と定められていた」とあるが、小林の読み間違い、あるいは書き間違いと思われる。呉・樫田論文には、1日の灌浴回数の現状は示されているが、回数に決まりがあったとは書かれていない)。

 効果としては、灌滝の精神病に及ぼす影響は、稀に良好になることもあるも、一般には不良。大正5年中、参籠者に死亡せるもの8人あったと云う。






高尾山薬王院有喜寺(真言宗)。













昭和47年5月21日


(つづく)

| 新シリーズ・小林靖彦資料 | 18:09 | comments(0) | - | pookmark |
学会あれこれ
今回は二つの学会のお知らせをしたい。

最初は、2014年11月8日・9日に京都大学で開かれる「第18回日本精神医学史学会」について。
関連の記事は以下からリンク:

 ・一般演題の募集
 ・会告(開催のお知らせ)
 ・大会長のあいさつ


また、2014年5月10日・11日に長崎純心大学で「社会事業史学会 第42回大会」が開かれる。
私も今回はじめて演題を出した。
すでに会員にはプログラムが配られているが、この学会のHPには演題などの具体的な情報がアップされていない。
盛りだくさんの内容なので、全部は紹介しきれない。
かいつまんで書き出してみると;

大会テーマ: 「宗教と福祉」

大会日程

5月10日 午前: 

・若手研究者交流会 「戦前託児所保育者状態の研究と意義」ほか全4題

5月10日 午後: 

・基調講演 山内清海「苦しみに何か意義があるか? ―カトリック神学の立場からの考察―」

・自由演題報告
 <第1分科会> 「ICWフェミニストがユダヤ慈善事業の近代化に果たした役割―ICWベルリン大会(1904)報告はA.ザロモンのボランティア・グループをどう見たのか―」ほか全4題
 <第2分科会> 「感化救済事業過渡期における小笠原修斉学園に関する一考察(その2)―東京府の島嶼感化事業の失敗の要因について―」ほか全5題
 <第3分科会> 「昭和恐慌期京都における「浮浪者(ルンペン)」の実態とその対応」ほか全5題
 <第4分科会> 「社会福祉施設における資料整理とその資料の有用性―社会福祉施設アーカイブズの確立を目指して―」ほか全5題
 <第5分科会> 「真田福祉労働論の到達点と現代的課題」ほか全4題
 <第6分科会> 「明治中後期における出獄人保護事業の役割と意義―出獄人保護関係者の思想から―」ほか全4題

5月11日 午前・午後


・総会

・共通論題報告(シンポジウム)
  テーマ: 「福祉史と宗教 ―尊厳・人権・共生の実現へ」

だいたい以上である。
| おしらせ | 16:33 | comments(0) | - | pookmark |
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