近代日本精神医療史研究会

Society for Research on the History of Psychiatry in Modern Japan
『名古屋の精神医学史 戦後編1』 その6 <新シリーズ・小林靖彦資料 50>

最後に『名古屋の精神医学史 戦後編1』の記事をアップしてから、1ヶ月以上が経過してしまった。

今回は守山荘病院(名古屋市守山区)である。
『守山荘病院の歩み 創立30周年記念』(1982年)という冊子には、「おかしな“創設者”」という当時の理事長・川島富久子の短文が載っている。

それによると、“創設者”の野崎錠について、

「今は亡き創始者の前・野崎錠理事長を語るその表現は仲々むつかしい。私(娘)の文筆のつたなさもあろうが、第一に“野崎錠”なる名前からして、〇〇氏とすればまるきり男性の様に思われるし、〇〇女史すれば又その様なイメージを感じさせない人なのである。」

「創立当時は62才であった。その頃の平均寿命は65才くらいなので普通に考えればぼつぼつ隠居してのんびり過ごそうか、という時期である。当時の世相は終戦後やゝ落着いたとはいえ、混沌として居り、先行きの見通しの立たない状況であった。その中でふとした事から実業家である夫の発想で精神病院を始める事になり、わけも解らずに理事長という地位に置かされた。」

という。
戦後の精神病院設立の雰囲気を、適切に伝えているのかもしれない。

以下は、小林のアルバムより。
最初の写真がその「野崎女史」である。

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守山荘病院


 昭和27年(1952)4月1日、野崎錠が、名古屋市守山区大字守山字北山6の地に、木造瓦葺ニ階建病棟(62床)を開設し、元・内藤病院長 内藤稲三郎を院長に迎えた。

 昭和28年(1953)6月1日、農家の要請にこたえ、内藤院長自宅開業に踏み切り退職し、女婿川島保之助が院長に就任。

 







(川島保之助)








 昭和36年(1961)3月、「近交系ラット研究所」を併設し、昭和47年(1972)12月、脳病理研究を中心とする「研究センター」をも併設した。責任者は岩瀬正次副院長である。前者は患者の作業療法でもある。

 増改築して、昭和42年(1967)8月、暖冷房施設を持つ526床の大病院完成す。



(つづく)

| 新シリーズ・小林靖彦資料 | 13:54 | comments(0) | - | pookmark |
第17回日本精神医学史学会ポスター

第17回日本精神医学史学会のポスターが、学会ホームページにアップされました。
興味のある方はご覧ください。

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