近代日本精神医療史研究会

Society for Research on the History of Psychiatry in Modern Japan
「瘋癲人御霊代を柞原社より賀来社へ持ち帰る」

私宅監置資料でお世話になった、NPO法人・大分県近現代資料調査センターの野田武志さんから資料のコピーをいただいた。
『神社編纂』(明治6年)という綴りの中から、「瘋癲人御霊代を柞原社より賀来社へ持ち帰る」という一連の文書を見つけたという。
それによると、

ある男が、瘋癲人である妻とともに、病気回復のお礼のために賀来(かく)神社に参籠していた。
すると、秘かに妻はそこを抜けだして、柞原(ゆすはら)八幡宮に行き、ご神体を賀来神社に持ち帰ってしまった。

柞原八幡宮は大分市にある神社である。
一方、賀来神社(ここで検索)は、本社である柞原八幡宮の摂社という関係。
秋期大祭(9月1日〜11日)の間のみ、平時は柞原八幡宮に鎮座している武内宿穪命(たけうちすくねのみこと)が賀来神社に帰ってくる。

件の妻が、ご神体を持ち帰ったのが5月なので、当然ながら大祭の時期ではない。
しかし、時期外れに「武内宿穪命が帰って来た」というので、これ幸いと附近の住民が参拝に押し寄せた。
おもしろいのは、殺到する参拝者を見た賀来神社が、大分県令に5日間の臨時の祭典(不時祭典)を願い出ていることである。
だが、願いは聞き入れられず、ご神体をもとに返すよう指令が出された。
一方、この夫婦が「持ち帰り」事件で罰せられた様子はなく、「今後、患者の看護に注意すること」で済んだようである。

当時の瘋癲人の扱いや、信心深い人々の様子が伝わってくる資料である。
やはり、一次的な資料に触れるのが、精神医療史研究のおもしろさだと再認識した。

| 資料解題 | 12:19 | comments(0) | - | pookmark |
第17 回日本精神医学史学会開催のお知らせ

次回の日本精神医学史学会の開催についてお知らせします。
詳しくは、学会のホームページをご覧ください。
ただし、演題募集などの詳細は、まだです。

大会長:中山和彦(東京慈恵会医科大学精神医学講座 主任教授)
会 期:2013 年11 月9 日(土)〜11 月10 日(日)
会 場:東京慈恵会医科大学 大学1 号館 3 階・5 階・6 階講堂
     〒105-8461 東京都港区西新橋3-25-8

基本テーマ
精神医学史が語る「自律と連続」の融合

プログラム
・会長講演:中山和彦
 「バロックとロマン主義の対立から生まれたもの(仮)」
・特別講演1:渡辺哲夫(いずみ病院)
 「カール・バウムが視た! けいれんする生命の本態(仮)」
・特別講演2:芳賀佐和子(東京慈恵会医科大学 医学部 看護学科 客員教授)
 「森田正馬が視た! 根岸国立病院の精神科看護の実態(仮)」

以上

| おしらせ | 11:59 | comments(0) | - | pookmark |
『名古屋の精神医学史 戦後編1』 その4 <新シリーズ・小林靖彦資料 48>

今回とりあげるのは「名古屋大学環境医学研究所」である。
これが『名古屋の精神医学史』なのかと、少し首をかしげたくなる。
どうやら、小林靖彦が名古屋市立大学助教授時代に、同じ精神科で教授をしていた岸本鎌一の前の所属先だったためらしい。
この研究所は現在も存続している。

『名古屋大学医学部百年史』(1977年)によれば、この研究所の前身は、戦前の「航空医学研究所」である。
戦時体制のもと、軍部が航空医学に深く関心を寄せていた時代のこと。
まずは1940年に、名古屋帝国大学講座令が改正されて、医学部に航空医学2講座が増設された。
最初から研究所を作るべく、予算要求はしたものの、すぐには実現はせず、とりあえず講座のみで出発したのである。
しかし、「戦局の進展とともにその緊要さがいよいよ痛感され」(『名古屋大学医学部百年史』)、1943年1月に航空医学研究所が設置された。
1945年11月に「航空に関する学科、研究所廃止の通牒に接し、翌十二月に本学航空医学研究所が廃止」された。
その結果、医学部航空医学2講座は環境医学2講座へと変わる。
航空医学研究所のその後は、以下の小林の記述を参照。

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名古屋大学環境医学研究所


 環境医学研究所は、昭和21年(1946)3月、環境医学に関する学理及びその応用の研究を行う目的をもって、名古屋帝国大学附属研究所として発足した。

 地理病理学、食養学、気象医学、職業性疾患の4部門より成っていた。

 昭和35年(1960)4月より、第1部、神経・感覚、第2部、代謝・内分泌、第3部、呼吸・循環、第4部、病理・胎生、第5部、航空医学と改められた。昭和42年(1967)6月には、第6部、航空心理が増設された。

 昭和41年(1966)12月に、新庁舎に移転した。





 
 昭和25年(1950)2月16日、名古屋大学医学部助教授(精神科)岸本鎌一は、環境医学研究所教授に昇任された。

 昭和33年(1958)6月30日、岸本教授は、環境医学研究所長を併任された。

 昭和34年(1959)12月24日、名古屋市立大学教授に就任のため退官された岸本教授は、昭和36年(1961)1月、名古屋大学名誉教授の称号を授与された。




 岸本教授は、精神分裂病の成因の研究(初め生理・生化学的研究、後に遺伝学的研究)、精神薄弱の成因の研究(初め遺伝学的研究、後に遺伝生化学的研究)を残した。

(つづく)

| 新シリーズ・小林靖彦資料 | 16:43 | comments(0) | - | pookmark |
続・大学での後期授業科目(「福祉科学特殊講義B」)について

前回の“大学での後期授業科目(「福祉科学特殊講義B」)について”という記事の続きである。

その記事は、

「学生への二つ目の課題は、選んだ2つのうちの1つについて、他の文献やウェッブ上の関連記述を参照しながら、その資料批評をするというもの」

というあたりで終わった。

資料を批評すると言っても、この手の文献に関わる資料が、そんなに豊富にあるとも思えない。
ましてや、うちの大学の図書館だけで済ませようとしたら、無理な課題だろう。
なので、ウェッブ上の情報だけを集めた学生も多かった。
でも、それは、それでいい。
この研究会ブログを参照した者も少なくない。

さて、ある学生のレポートを読んでいて、興味深い指摘があった。
それは、呉・樫田論文(1918年)にある、大岩山日石寺の滝浴びの事例に関するものである。

まずは、レポート課題の一つ目である、その学生の「訳」の一部(第119例の記述)を紹介したい。

「第百十九例 ○○県○○郡底○村。旅館の主人。上○○太郎。54歳
灌滝を目的として○○県より来て7月23日不動滝に打たれるが、かえって心身の不調を感じ、翌朝帰ろうとした。同山にて、知り合いになった者とたわむれながら約2里離れた大岩口停車場に向かって人力車で行く途中、興奮して暴行を働いたとして車夫に乗車を断られ、徒歩で同停車場前の茶屋に行った。休憩中、人のすきをうかがい、台所より出刃包丁を取り出し、咽喉部を突いたがすぐに発見され医師の応急処置を受ける。同日午後知らせを聞いた家族に引き渡された。」

というもの。
「訳」はだいたいこれでいいだろう。

ところで、その学生が引っかかったのは、文中の「大岩口停車場」である。
結論から言えば、これは鉄道の停車場ではなかったのではないか、
そもそも、鉄道は大岩には来ていなかったのではないか、
というのが、その学生の推論である。

私はこの指摘に少し動揺した。
というのも、私は現地調査の結果、1914年7月に視察者・樫田五郎が大岩に来る直前に、軽便鉄道が開通したと確認した(と思っていた)からである。

だから、『近代日本精神医療史研究会通信』(第5号、2005年)に、

「大正2 年から昭和7 年まであった軽便鉄道(注:立山軽便鉄道)の大岩口駅の前に「だんごや」の分館があった。ここから5 キロくらいの距離。ほかの旅館は分館がなかったかもしれない。駅にはタクシー(自動車)もあった(注:大正3 年7 月に日石寺を視察した樫田五郎はこの軽便鉄道を利用した可能性が高い。呉・樫田論文の第119 例には「大岩口停車場ニ向テ俥ニテ赴ク途中。興奮シテ暴行ニ及バントシ。車夫ニ乗車ヲ拒絶セラレ。徒歩ニテ同停車場前ノ茶屋ニ至リ。休憩中、人ノ隙ヲ窺ヒ、台所ヨリ出刃包丁ヲ取リ出シ、咽頭部ヲ突」いた患者が登場する。もしかしてこの「茶屋」は「だんごや」の分館だったかもしれない)。」

と書いた。
「だんごや」とは、大岩山日石寺の門前に江戸時代からある旅館である。
かつては、滝に打たれる患者とその家族がここに投宿した。

ともかく、なぜその学生は大岩に鉄道は来ていなかったと判断したのか。
それは「富山未成線調査室」というウェッブページにもとづく。
そこに「富山地方鉄道・大岩延長線」という記事がある。

それによると、

「現在の、富山地方鉄道本線の一部、電鉄富山−上市間は、13.3kmを普通電車で25分かけて走ります。
この区間は、元々は五百石(現在の立山町)を経由して大岩に向かうものでした。
上市経由に変更になり、富山−上市間は開通したものの、大岩までの区間が未成のままに終わりました。」

とあり、このサイトには「建設計画線通過地」の地図が載っている。
確かに、これが開通していたら、日石寺までとても便利だっただろう。
寺のすぐ近くまで来るはずだったから、参拝者も増えたに違いない。

「富山未成線調査室」の「解説」にも、以下のような記述がある。

「もし予定通り開通していたら・・・
その昔は、行楽といえば神社仏閣への参詣、という時代があり、そのための鉄道が多数、整備されました。いまも、その性格は変化させつつも生き残っている鉄道は多数有ります。しかし富山県内には、神社仏閣への参詣を目的とした鉄道は過去も現在もなく、この大岩への鉄道計画が実現していれば、日石寺ももっと繁栄したでしょう。」

その通りだと思う。

ただ、である。
やはり、鉄道(軽便鉄道)の、「大岩口」駅(「大岩」駅ではなく)、は確かに存在したのである。
たとえば、「廃止鉄道ノート 北陸・甲信越」というウェッブページに、

(富山地方鉄道)←富山電気鉄道 立山軽便線←立山鉄道←立山軽便鉄道
地区:富山県上市町
区間:滑川〜岩峅寺

という路線の時代的変遷を地図とともに紹介した部分がある。
この「1930年」をクリックすれば、「大岩口」駅を確認できる。
もちろん、この駅からは、幻の「大岩」駅からよりも、日石寺に行くにはかなり遠かったことになる。

いずれにしても、富山の鉄道をめぐって、あれこれ思いを馳せることができて、感謝。

| フリートーク | 16:37 | comments(0) | - | pookmark |
大学での後期授業科目(「福祉科学特殊講義B」)について

後期に「福祉科学特殊講義B」というのを担当した。
この授業、資格などに関わるものではなく、内容の縛りはない。
自分の守備範囲から出来そうなことを、というわけで「近代日本における精神医学・精神医療の歴史資料を読む」という目的を掲げた。
2010年〜2011年にかけて『精神障害者問題資料集成・戦前編』(全9巻)も刊行されたことだし、ここから適当な資料をピックアップすることにした。

だが、オリジナルの資料を読むのは決して楽ではない。
でも、楽ではないから、やる意味もある(というのはストイック過ぎる、と言われれば困るけど)。
授業をやっていて、学生が苦しそうに見えたので、私自身も苦しい感じもあった。
案の定、授業評価アンケートの結果を見ると、結構さんざんの評価だった。
「資料を読むだけでは意味がない」「(先生の)声が小さい」などの自由記述もあった。

が、とにかく終わった。
で、成績評価のためにレポートを出してもらうことにした。
授業で扱った資料のうち、6つの資料(その中のごく一部分)を示し、学生には好きなものを2つだけ選んでもらった。
これを、「現在日常的に使われている分かりやすい日本語」に書き換えてもらうことが、一つ目の課題。

その6つとは;

1) 呉秀三「我邦ニ於ケル精神病ニ関スル最近ノ施設 (精神病者ノ待遇及ビ処置)」(1912年)
2) 読売新聞の記事「人類の最大暗黒界 瘋癲病院(一)」(1903年)
3) 呉秀三・樫田五郎「精神病者私宅監置ノ実況及ビ其統計的観察 (大岩山日石寺)」(1918年)
4) 齊藤玉男「山梨県管下精神病者私宅監置状況視察報告」(1911年)
5) 榊俶「精神状態鑑定書集 第一巻 (放火犯人■■清■精神状態鑑定書)」(1893年)
6) 榊俶「精神状態鑑定書集 第一巻 (■■兼■精神状態鑑定書)」(1894年)

である。

この書き換え作業のアイデアは、かれこれ10年くらい前に遡る。
本学(愛知県立大学)の授業で、呉秀三・樫田五郎の論文「精神病者私宅監置ノ実況及ビ其統計的観察」(1918年)を取り上げ、その際に学生に現代語訳を作らせた。
今回もそのときと同じ手法である。

このブログの過去のものを見てもらえれば、学生が作った訳を借用させてもらって、呉・樫田論文の紹介をしている記事があることに気づくはずである。
カテゴリー「資料解題」のうち、“『精神病者私宅監置ノ實況及ビ其統計的觀察』を読もう(「その1」から「その38」まで)”という一連の記事がそれ。

ただし、幸か不幸か、上記資料の 3) の「大岩山日石寺」に関しては、現代語訳を載せていない。
ところが、学生の間で、誰かが作った訳をレポートに使い回している形跡がある。
たとえば、大岩山日石寺にある「第百十七例」で、「破瓜病」とすべきところを、間違えて「歯瓜病」と入力している学生が6人もいた。
まあ、これも一つの「コミュニケーション能力」と考えて、大目に見ている。

さて、学生への二つ目の課題は、選んだ2つのうちの1つについて、他の文献やウェッブ上の関連記述を参照しながら、その資料批評をするというもの。

これについては、また次回に。

| フリートーク | 17:13 | comments(0) | - | pookmark |
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