近代日本精神医療史研究会

Society for Research on the History of Psychiatry in Modern Japan
『長野(2) 精神医学関係施設』 その3 <新シリーズ・小林靖彦資料 3>

アルバム『長野(2) 精神医学関係施設』より、「慈光園(救護所・報恩寮)」の部分から紹介したい。
写真などから製作年代は1974年頃と思われる。


慈光園(救護所・報恩寮)。

 大正14年(1925)7月、市有建物の無償譲渡を受けて、上県仏教会(上田、小県の略)が、窮民収容救護所「慈光園」を、新田海禪寺前(上田市大字上田2341番地)に創設した。上田市委託救護所で監置室(定床1名)があった。

 昭和9年(1934)4月5日、救護施設「上田市救護所」となる。

 昭和13年(1938)6月1日、「上田市報恩寮」と改称され、20床となる。

 昭和22年(1947)3月31日、救護施設より、生活保護法による養老施設に転用さる。

 昭和30年(1955)12月11日、上田市大字上田原1050番地に、新築工事成り、定床50床となる。

 昭和38年(1963)、老人福祉法による養護老人ホーム「上田市報恩寮」となる。

 昭和49年(1974)9月6日、定床100名の養護老人ホーム「上田市報恩寮」として現存している。





大智山海禪寺。
海野庄にあった開善寺を眞田昌幸が今の場所に移したが、松代移封により開善寺は松代に移り、海禪寺と改められた。



報恩寮

| 新シリーズ・小林靖彦資料 | 12:05 | comments(0) | - | pookmark |
『長野(2) 精神医学関係施設』 その2 <新シリーズ・小林靖彦資料 2>

アルバム『長野(2) 精神医学関係施設』より、「救護寮(昭和寮、松風園)」の部分から紹介したい。
写真などから製作年代は1974年頃と思われる。


救護所(昭和寮、松風園)。


 明治44年(1911)、松本市は、大字桐の旧民家(松本市大字桐281、元町北183)を使用して、窮民収容所3ヶと精神病者監置室3ヶの「救護所」を設けた。これは、俗に「お助け小屋」と呼ばれて親しまれた。

 昭和5年(1930)3月、大典事業として、現在地に起工し、5月建物が竣工し、7月に移転し、名称を「昭和寮」と改称した。昭和10年(1935)末には、定床12となっている。(精神病者の定床)

 昭和23年(1948)8月、赤痢が発生し、それまで収容していた精神病者を、隔離施設がないため、私立松本脳病院に移送し収容した。その後、精神病者を収容しなくなった。

 昭和25年(1950)4月1日、定床60名の養護施設となり、名称を「松風園」と改めた。

 昭和38年(1963)8月1日、老人福祉法の施行により、養護老人ホームとなる。

 昭和40年(1965)4月1日、定員100名となる。

 昭和42年(1967)7月1日、住居表示の変更により、松本市元町3丁目6-5所在となり、今日に至る。


松風園

| 新シリーズ・小林靖彦資料 | 15:32 | comments(0) | - | pookmark |
『長野(2) 精神医学関係施設』 その1 <新シリーズ・小林靖彦資料 1>

アルバム『長野(2) 精神医学関係施設』より、「飯田病院精神科」の部分から紹介したい。
写真などから製作年代は1974年頃と思われる。


飯田病院精神科。

 明治36年(1903)9月1日、医師原耕太郎が、本町4丁目に「私立飯田病院」を創設した。
 
 原耕太郎は明治32年(1899)4月、医術開業試験に及第、仝年12月東京帝大国家医学科卒業。内科、外科、産婦人科、皮膚泌尿器科、精神病科等を修めて帰郷。内科、小児科、外科を中心に飯田病院を開設。50床位であったと云う。

 大正3年(1914)から大正5年(1916)にかけて、資を郡下有志数百名に呼びかけ、現在地(上飯田15番地)に大病院を完成し、開院した。

 大正7年(1918)ごろから病院に監置室を設け精神病者を収容し、ムスビの中に薬を入れて服ましたりしていたが、大正14年(1925)8月22日、精神科を併設した。

 大正15年(1926)、飯田病院看護婦養成所を併設。

 昭和7年(1932)4月14日、原耕太郎院長急死。享年61才。養子原農夫(長女琴の婿)院長に就任。

 昭和10年(1935)末の菅修の調査によれば、飯田病院精神病科(下伊那郡上飯田町15番地)の定員は、25床となっている。

 昭和26年(1951)、設備の完全なる全国に冠たりと誇っていた伝染病科を廃止。

 昭和27年(1952)、併設の看護婦養成所の経営を医師会に委譲。

 昭和31年(1956)、2代院長原農夫死亡し、耕太郎二男、耕太郎跡相続の原享二が院長に就任。「医療法人財団栗山会飯田病院」に改組。

 昭和41年(1966)、精神病棟4階建完成。

 昭和46年(1971)、一般病棟5階建完成。

 昭和49年(1974)、管理棟一部2階建完成。

 一般病棟104床、精神病棟352床、結核病棟15床の計471床の大病院となった。

 玄関に、土田耕平(飯田病院で療養したことのあるアララギ派の歌人・上諏訪の人)の歌「青山をゆたに繞らしみんなみに立つ白雲や遠江のそら」が石に刻まれて立つ(昭和28年7月建つ)。











[注:以下は小林自身が1974年に撮った写真と思われる。]

飯田病院







飯田病院玄関



土田耕平の歌碑


 

| 新シリーズ・小林靖彦資料 | 11:40 | comments(0) | - | pookmark |
新シリーズ・小林靖彦資料 (はじめに)

このブログでは、たびたび精神医療史研究家・小林靖彦の資料を紹介してきた。
その際にも述べたかもしれないが、まだまだ紹介しきれていない資料が大量に存在する。
愛知県立大学(橋本の研究室)に保存されている資料のうち、アルバムの形で整理されたものを厳選し、そこに貼られた写真とその(手書きの)解説を順次紹介していきたいと思う。
これまで紹介した内容と多少重複する部分があると思われるが、資料の性格上やむを得ない。

今回の「新シリーズ・小林靖彦資料」というカテゴリーで紹介するアルバムのタイトルは、

1. 長野 (2) 精神医学関係施設
2. 富山
3. 福井
4. 山梨
5. 石川
6. 静岡

を予定している。
近日アップ予定。


小林靖彦アルバムの背表紙(Lomo風に編集しました。)

| 新シリーズ・小林靖彦資料 | 16:03 | comments(0) | - | pookmark |
Virtual Museum of Psychiatry
"Virtual Museum of Psychiatry"なるサイトを作成しました。
URLは以下のとおりです。

http://akirahashimoto.wordpress.com/

これは、この研究会ブログの英語版みたいなものです。
日本の精神医療の歴史を広く知ってもらうことが目的です。
とりあえず、これまで書きためてきた英語の記事を徐々に紹介する予定でいます。
| - | 14:32 | comments(0) | - | pookmark |
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