近代日本精神医療史研究会

Society for Research on the History of Psychiatry in Modern Japan
奥田賢山さんを偲ぶ

つい最近のこと。
静岡市にある曹洞宗三枝庵の東堂・奥田賢山さんが昨年(2011年)2月末に亡くなったことを知った。
ご遺族から連絡があった。
毎年いただいていた年賀状が今年は来なかったので、気にはなっていたのだが。

奥田さんに初めてお会いしたのは、2006年1月7日のことである。
その前日は珍しく静岡でも小雪が舞う寒い天候だったが、この日はおだやかで快晴。
富士山がよく見えた。
朝食を終えると、JR静岡駅近くのホテルを発って三枝庵に向かった。
この禅寺がある平山地区は竜爪山の裾野にあって、茶畑やミカン畑に囲まれている。
遠く駿河湾も見渡せる。
実にのどかな雰囲気である。

そもそもの関心は、呉秀三・樫田五郎の論文「精神病者私宅監置ノ実況及ビ其統計的観察」(1918年)に登場する穂積神社での精神病治療であった。
すぐにでも現地に行って情報を収集したくなる性分だが、事前にネットであれこれ検索したところ奥田さんの名前が浮上した。
奥田さんは郷土史家としても活躍されており、『竜爪山の歴史と信仰』(2000年)という著書があることがわかった。
そんなわけで、奥田さんに会わずして穂積神社を語ることはできまいと考えた。

とはいえ、例によって何のアポもとらず、突然の訪問となった(このほうが、しばしば「有効」だと信じているので)。
奥田さんは快く迎え入れてくれた。
そして私は、穂積神社および竜爪山に関する積年(は大袈裟か?)の疑問をぶつけた。
それから1ヶ月くらいあと、再び奥田さんを訪ねた。
今度は私だけではなく、「近代日本精神医療史研究会」として複数のメンバーで。
この時の簡単な様子は本blog上にアップされている。

2010年には『治療の場所と精神医療史』(橋本明編著、日本評論社)を出したが、奥田さんからいただいた資料や証言をかなり参考にして、第5章として「山里に暮らす精神病者―静岡県竜爪山穂積神社の場合」を書いた。
この本を奥田さんに謹呈したところ、丁寧なご返事をいただいた。
ただし、かなり視力が弱っていたらしく、文字を読むのに難儀されたようであった。

私の記憶の中の奥田さんは、平山のあの穏やかな雰囲気と結びついている。
実際、そのようなお人柄であったと思う。
ご冥福をお祈りしたい。


奥田賢山さん(2006年2月、三枝庵にて)

| おしらせ | 09:28 | comments(0) | - | pookmark |
愛媛県におけるプチ・フィールドワーク(神道修成派教務支局の旧跡)

精神医療史の研究者にとって、呉秀三の論文「我邦ニ於ケル精神病ニ関スル最近ノ施設」(1912年)はいわばバイブルである。
これまでにも、この論文の記述を手がかりに各地を巡ってきた。
というか、巡らせる気持ちを掻き立てる、「罪な」論文なのである。

せっかく愛媛県立図書館に行くのだから、愛媛県ゆかりの「治療の場所」も訪れたい。
上記の呉論文に「神道修成派教務支局(愛媛県新居郡船木村字関ノ峠・・・」なるものが登場する。
それによると、安政元年生まれの鴻上宗之助なる人物が、関ノ峠に精神病者の収容施設を作っていた。
それというのも、宗之助自身が1880(明治13)年に精神病を患ったが、神道修成派に入り信仰によって治癒した経験から、自宅に患者を集めて病気治療を行うことになったという。
それ以来、200人余りの患者を治療した。
だが、施設は狭隘であり、県道に面して通行人も多く、1910(明治43)年に宗之助が患者に頭部を殴打され3週間の休業を余儀なくされることがあったりして、愛媛県から新たに患者を収容することを禁じられた、と。

論文の記述はこれくらいである。
私が調べた限りでは、呉論文以外で「神道修成派」が精神医療史の世界で扱われたことはない。
そもそも神道修成派とは、新田邦光(にった・くにてる)を教祖とし、明治政府が公認したいわゆる教派神道13派の一つである(ウェッブ上のにわか勉強)。
ただ、病気治療への積極的な関わりはないようだ。
教義云々よりも、むしろ鴻上宗之助の個人的な関心が精神病治療につながった可能性が高い。
やはり現地に行ってみよう、と思った。


(JR予讃線・関川駅)

朝8時20分、松山発の各駅停車・観音寺行きに乗る。
2時間半かかって関川駅到着。
当然無人駅とは予想していたが、周囲に商店の類いは一切ない。
予定ではタクシーでも使おうと思ったが、面倒だ、雨も強くなってきたが、荷物を抱えて歩くことにした(いつもこうなる)。

まずは、四国中央市と新居浜市の境界にある関ノ峠に通じる国道11号線をめざす。
適当に歩いて国道に出ると、新居浜方面に向かってひたすら歩く。
大型トラックが頻繁に往来し、そのたびに水しぶきがかかる。



(関ノ峠。右が国道11号線、左が旧道。)

45分くらい歩いて、関ノ峠に到達。
ここらへんには鴻上さんというお宅が多い。
そのうち最も古そうな家を訪ねたが、「峠の気違い病院」は初めて聞いた、「鴻上宗之助」は知らない、というお話だった。
神道修成派も話題にならなかった。
ただ、地元の公民館が発刊した『船木物語』(2003年)という本をいただいた。
そこには、関ノ峠の記述もある。
かつて峠には茶屋や宿屋があって栄えたらしい。
金比羅参りや霊場めぐりの巡礼者など、さまざまな人々が行き交う場所に精神病者収容所があったことになる。
このような土地のホスピタリティが、精神病者収容につながったのかも知れない。
けれども、呉論文にあるように「通行人が多い」という理由で、県から精神病者収容にクレームがついたのは皮肉な話ではある。


(関ノ峠近くの旧道にある「四国のみち」の碑)

そんなわけで学術上の決定的な収穫はないのだが、四国の道を歩けてよかったと言うべきだろう。
なにかご利益があるのだろうか。
お遍路とは程遠いものの。

| プチ調査 | 09:06 | comments(0) | - | pookmark |
図書館への旅(15)愛媛県立図書館

(愛媛県立図書館の裏手から、急峻な山に鎮座する松山城がよく見える)

毎年この時期になると、少し遠くの図書館に行きたくなる。
去年は島根県だった。
今年は愛媛県。
愛媛県に足を踏み入れるのはこれが初めてではないか。

愛媛県立図書館には過去に世話になったことがある。
かつて全国の公立図書館に問い合わせて、精神病者監護法の施行手続を集めようとしたことがある。
愛媛県からの回答は、「資料はあるが、コピーをするには来館してもらう必要がある」というものだった。
だが、名古屋から松山までは、そう簡単には行かれない・・・

グズグズしていたら、お情けか何かは知らないが、図書館からコピーが送られてきた。
遠方から呼びつけるのも不憫に思ったのかもしれない。
それ以来、愛媛県立図書館には親近感を持っているのだ。


(NHKのドラマ「坂の上の雲」のポスターが・・・)

図書館での文献調査のポイントはいくつかある。
ひとつは愛媛県に戦前からある(戦前にあった)精神病院について。
また、松山、今治、宇和島にあったという精神病者収容所・監置室について。
さらには、呉秀三の1912年の論文に掲載され、現在の新居浜市にあったと考えられる神道修正派の施設での精神病治療について。
これらの調査結果については、いずれ何らかの形で公表することになるだろう。


(図書館の近くで見つけた「正岡子規誕生邸址」の碑)

ところで、蛇足をひとつ。
図書館での作業に先立ち、昼ごはんをたべようと街をぶらついた。
ファーストフードでいいやと思っていたのだが、これがなかなか見つからない。
やっとミスタードーナツを見つけた。
そこを目指していく途中、「正岡子規誕生邸址」という石碑に出くわし、思わず写真を撮った。
NHKの「坂の上の雲」で子規を演じた香川照之に、なぜか私が似ているということになっていて(近所の歯医者の受付で言われたくらいだが)、最近は子規に親しみを感じているところである。
| 図書館への旅 | 23:29 | comments(0) | - | pookmark |
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