近代日本精神医療史研究会

Society for Research on the History of Psychiatry in Modern Japan
宇都宮病院の旧「入院案内」

今でこそ精神科病院の検索はネットで行うのが主流かもしれないが、かつては紙媒体による案内(パンフレット)が重要な役割を果たしていたに違いない。

先日、東京の精神科の某病院を訪れた際に、そこで勤務する旧知の方から宇都宮病院の昔の「入院案内」を見せてもらった。

周知のごとく、栃木県の宇都宮病院といえば、昭和59年の朝日新聞のキャンペーン「宇都宮病院事件」の舞台となり、看護職員による患者リンチ死事件で知られる「悪名高き」精神病院である(少なくとも「かつては」と言うべきか)。

そういう目でこの「入院案内」を見ると、それなりの感慨もある。
よく保存されていたものである。




三つ折りの病院案内の裏側(というか内側)の上部三分の一くらいは、以下のようになっている。



それによると、

directed by
Dr. T. Hirahata
Dr. B. Ishikawa


の下にスタンプで、

顧問 秋元波留夫
顧問 武村信義


と押されている。
Dr. B. Ishikawa とは、後に「宇都宮病院事件」に関わって逮捕された院長の石川文之進であろうし、顧問の2人は言わずと知れた東大医学部の関係者である。

「入院案内」でこの2人の名前を顧問として掲げることで、当然ながら病院の権威・信用を高める効果を期待していただろう。
朝日新聞は「宇都宮病院事件」を暴露したあと、この病院と東大医学部との関係についても報じている(昭和59年5月26日、朝刊)。

| 資料解題 | 11:20 | comments(0) | - | pookmark |
東京調査

10月末に主催した学会の準備やら後始末やらで、この数ヶ月が過ぎ去った。
したがって、研究課題「わが国の近代精神医療史資料の保存と利用に関する基盤整備」に取り組める状況ではなかった。
やっとひと段落ついたので、研究発表で上京するタイミングを利用して、東京のある精神科病院を訪ねることにした。

ある病院とは世田谷区にある烏山病院である。
現在は昭和大学の附属病院となっているが、戦前からある東京の古い精神科病院のひとつである。
訪問と言っても正式に依頼文を書いてお願いするといったものではなく、この病院に勤めている旧知のIさんと久しぶりに会うという形で、資料をめぐる病院の現場感覚を探りにいったという感じである。
まあ準備調査と言えよう。
病院で、それから、そのあと近所の焼き鳥屋で長々と昔話を交えながら話を聞いた感触では、「病院資料の保存と利用」についてはどこの病院も厳しい状況のようであった。
また、これに関する調査に進め方にも工夫が必要であると再認識した。

ところで、Iさんの仲介で、烏山病院の病院家族会に当初から関わってきたTさんとお会いできたのは幸いだった。
この家族会は昭和38年に発足した、わが国でもっとも初期に組織された精神障害者家族会のひとつである。
かつて私も東京で、「家族立」の精神障害者作業所の運営に関わっていたので、Tさんとはどこかでお会いしたかもしれない。

昭和39年のライシャワー事件が、家族会の全国組織(のちの「ぜんかれん」、現在は解散している)の契機になったが、Tさんはその際に中心的な役割を果たしている。
アルバムに収められた昔の写真を説明しながら、Tさんは家族会のこと、自分の家族のことを話してくれた。
家族会をめぐる現代史はとても重要なテーマと思うので、Tさんから多くの資料を貸していただき、あるいは譲っていただいて、大収穫であった。

| - | 07:04 | comments(0) | - | pookmark |
『精神医療に葬られた人びと』(光文社新書)を読んで

精神医療に葬られた人びと

大学で精神保健福祉関係の科目(講義・実習)を担当しているが(あるいは、それゆえに)、この手の本はまず読まない。
「よくある話」だろうという先入観があって、どうしても手に取る気になれないのだ。
だが、やんごとなき事情から読むことになった。
そして案の定、私の「邪推」を大きく裏切ることはなかった。

記述は、著者の精神病院入院体験と、精神医療の歴史と現状を解説した部分とが、交互にあらわれる構成になっている。
著者が病院で経験したことはオリジナルなものとして尊重できるが、それ以外の精神医療の解説部分があまり宜しくない(したがって後者は著者自身の責任ではなく、著者の参照元のそれであろうが)。

気がついたことを羅列すると;

・p.22に「大正期に入ると、精神科病院の設立を公費で補助することを定めた「精神病院法」が施行された。これによって、入院の必要のない者までが収容の憂き目に遭っていく」とあるが、この論理がわからない。
というか、完全に精神病院法を誤解している。
そもそも、精神病院法の時代(1919-1950)に、「入院の必要のない者」まで公費で収容できるほど日本が豊かであったら、戦後の精神病院建設ブームは起きなかっただろう。

・これと類似の表現として、p.61に「大正期に精神病院の設立を公費で補助することを定めた『精神病院法』が施行されると、それが徹底されていきました。ところが、ある時期から、私宅監置されずに地域で暮らしていたにもかかわらず、そういう人たちまでがどんどん入院させられるようになった」とある。
p.22の記述は、この発言がソースらしい。
これは事実誤認も甚だしい。
むしろ、精神病院法が徹底できなかったことに、日本の精神医療の不幸があったのである。
「精神病院法」が「徹底」されたというなら、どうして1945年までに全国で8つしか(精神病院法にもとづく)公立精神病院が設立されなかったのか。
徹底されていないから、私立病院などの病院が公立に代る「代用精神病院」に指定され、その病床の一部が公費患者のために使われたのである。
多くの県にとって、この公費患者入院費の財政負担は大きいもので、「どんどん入院」させることなど到底できなかった。
なにが何でも精神病院法を「強制収容法」に仕立てたい、という強いゆがんだ意思が感じられる。

・精神病院法に関する他の記述・解釈、さらに精神衛生法・精神保健法・精神保健福祉法の記述・解釈に関しても相当怪しげなものがあちこちに出てくるが(たとえばp.142-143, p.146, p.176 などなど)、少し専門的になるので詳細は省略。

・また、ライシャワー事件と精神衛生法との関係は、3次資料程度に書かれていたであろう通説に頼るばかりで、著者自身がこの事件をリサーチした形跡がない。
「経済措置」に関する記述も、ライシャワー事件の結果として簡単に片付けられてしまっているが、大谷藤郎あたりの文献をちゃんと読んでほしい。
ともかく、もっと適切な情報源にあたってほしかった。

・p.135に「もともとなかった閉じ込めるという発想」とあるが、何ゆえにここまで能天気になれるのかちょっと心配になる。
「(1900年の精神病者)監護法ができる以前は、精神病者は危険だという考えは一般的に薄かった」とあっさりと言えてしまうのがよくわからない。
少なくとも江戸時代からある「座敷牢」とか、医学史研究なら当然視野に入ってくる、江戸の入牢、檻入、溜預といった制度が軽々と無視されている。

ほかにも言いたいことはあるが、このへんで。

と、書いてきて、学生のレポートを読んでいる気分になった。
これが私が大学で担当している『精神保健福祉論』の期末レポートだったら、つける成績はたぶん「C」か、よくて「B」と思う。

とはいえ、繰り返しになるが、「潜入ルポ」の記述は面白く、これだけで十分価値がある。

| フリートーク | 16:07 | comments(0) | - | pookmark |
小林靖彦回顧展(15)

3.13 万亀山向昌院および藤垈の滝(山梨県)

1940(昭和15)年の厚生省の『精神病者収容施設調』には、東八代郡境川村(現・笛吹市)の向昌院が掲載されている。この寺の近くに藤垈(ふじぬた)の滝があり、精神病治療の滝として知られていた。患者と家族は寺の本堂や境内に建てられた収容所で自炊しながら滞在していたという。また、滝の近くに2軒の宿屋があって、ここにも患者と家族が泊まって治療を行っていた。だが、滝治療は1947(昭和22)年には廃止されたという。

小林靖彦は1974(昭和49)年にこの地を訪問したようだ。山梨の精神科医・松野正弘は自身が書いた論文「日本精神医学風土記 山梨県」(『臨床精神医学』第27巻、1998年)の中で、小林が山梨を訪れた際に向昌院を案内したと記している。おそらく、小林の1974年の山梨訪問のことを指していると思われる。

3.13 Mankisan Kōshōin and Fujinuta Falls (Yamanashi Prefecture)

Kōshōin (Kōshō Temple), located in Sakaigawa Village (now Fuefuki City), appears in the 1940 report on psychiatric institutions by the Ministry of Health and Welfare. Fujinuta Falls in the vicinity of the temple was well known for the treatment of the mentally ill. For the purpose of bathing under the waterfalls, the patients and their family members stayed and cooked in the temple. There were also two inns for such patients near the temple. By 1947 bathing had been abolished.

Kobayashi visited around 1974. Matsuno Masahiro, a psychiatrist living in Yamanashi, wrote in his 1998 article “The History of Psychiatry in Yamanashi” that he himself had guided Kobayashi to Kōshōin. Matsuno’s description probably refers to Kobayashi’s 1974 visit.

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写真46
最盛期の藤垈の滝(年代不詳)
写真提供:橘田政照氏

Photo 46
The golden age of Fujinuta Falls (date unknown).
(Source: Kitsuta Masateru)



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写真47
藤垈の滝近くにあった簡易旅館「瀧の庵」(年代不詳)
写真提供:橘田政照氏

Photo 47
“Takino-an,” one of the inns for patients (date unknown).
(Source: Kitsuta Masateru)



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写真48
向昌院境内にあるかつての精神病者収容所の建物。小林靖彦が1972(昭和47)年5月に撮影したもの。

Photo 48
The temple building in which the patients and their family members were staying. Kobayashi, May 1972.



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写真49
藤垈の滝。小林靖彦が1972(昭和47)年5月に撮影したもの。

Photo 49
Fujinuta Falls. Kobayashi, May 1972.



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| 小林靖彦回顧展2011 | 14:24 | comments(0) | - | pookmark |
小林靖彦回顧展(14)

3.12 秀嚴山大福寺および室田の滝(群馬県)

榛名山麓の秀嚴山大福寺にある室田の滝は、精神病者の滝治療の場所として知られていた。呉秀三の論文「我邦ニ於ケル精神病ニ関スル最近ノ施設」(1912年)では「大福寺瀧不動堂」として紹介され、毎年35人くらいの患者が家族とともに治療のために寺内の収容施設に滞在していたという。ところが、1935(昭和10)年の豪雨で、近くを流れる川の氾濫と土砂崩れで寺の建物は大きな被害を受けた。その際、患者を助けようとした住職の藤平徳沖も亡くなった。

小林靖彦は1972(昭和47)年5月に当地を訪問し、徳沖の子で住職の藤平徳孝に話を聞いている。小林が寺に残された医師の診断書を見たところ、滝浴びの方法が書かれており、「1日3回、1回5乃至30分」と処方されていたものが多かった。しかし、滝治療は1955(昭和30)年頃に廃止されたという。小林が訪問した時には、患者の収容施設「瀧水院」の建物が残っていた。現在この建物は取り壊されている。

3.12 Shūgensan Daifukuji and Murota Falls (Gumma Prefecture)

Murota Falls, located in the grounds of Daifukuji (Daifuku Temple) at the foot of Harunasan (Mount Haruna), was famous as a spot where the mentally ill bathed. According to Kure Shūzō’s 1912 article “Psychiatric Institutions in Recent Japan,” the falls were introduced as “Daifukuji Taki Fudōdō” and every year about thirty-five patients stayed for treatment in the temple with their family members. The heavy rain of 1935 brought flooding and landslides that badly damaged the temple, and the head priest, Fujihira Tokuchū, who tried to rescue the patients, died.

Kobayashi visited in May 1972 and interviewed Tokuchū’s son, Tokkō. He saw the medical documents written by doctors and kept in the temple, which stated that, “As for bathing under the waterfalls, the patient should do it three times a day, five to thirty minutes each time.” But bathing was abolished around 1955. When Kobayashi visited, “Takisui-in,” where the patients had stayed with their family members, still stood. This building was later demolished.

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写真42
昭和初期の室田の滝
写真提供:藤平洋純氏

Photo 42
Murota Falls around the 1930s.
 (Source: Fujihira Yōjun)



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写真43
1935(昭和10)年の豪雨による土砂崩れで被害受けた大福寺
写真提供:藤平洋純氏

Photo 43
Daifukuji damaged by the heavy rains of 1935.
(Source: Fujihira Yōjun)



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写真44
室田の滝。小林靖彦が1972(昭和47)年5月に撮影したもの。

Photo 44
Murota Falls. Kobayashi, May 1972.



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写真45
大福寺の患者収容施設「瀧水院」。小林靖彦が1972(昭和47)年5月に撮影したもの。

Photo 45
“Takisui-in,” accommodation for the patients. Kobayashi, May 1972.



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| 小林靖彦回顧展2011 | 14:15 | comments(0) | - | pookmark |
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