近代日本精神医療史研究会

Society for Research on the History of Psychiatry in Modern Japan
小林靖彦資料紹介(21) 「精神病者治療所」(千葉1)
夏になり、大学も少しは暇になってきた。
そこで、しばらく中断していた、小林靖彦が遺した未刊の原稿「精神病者治療所」(昭和48年)を順次紹介する作業を再開したい。

今回は千葉県の記述である。
実はこの資料には、日本の近代精神医療史上(私が思うところ)極めて貴重な写真がいくつか含まれている。


7.千葉

1)正中山法華経寺(市川市中山2-10-1)

 正中山法華経寺は、日蓮宗四大本山の一つであります。文応元年(1260)、日蓮の大壇越、若宮の領主富来(とぎ)五郎常忍が妙蓮山法華寺を建立、これが正中山法華経寺の濫觴である。


(正中山法華経寺)


(日常上人)

 常忍の縁者、太田左衛門尉乗明の本妙寺を建立。常忍は僧となり、日常と名乗り、両寺の住職を兼ね、以来両寺一主であり、元徳3年(1331)合併して本妙法華経寺と号せしも、後、正中山法華経寺となった、中山妙宗の総本山であります。

 法華経寺にては、古くより寺内に精神病者を収容して、信仰読経により治療せりと云う。
 独語し、空笑しつつ境内を掃除する男を今も見ます。
(昭和47年5月21日)


(中山病院)


(中山病院)

 法華経寺は、大正6年(1917)、時勢に応じて中山療養院を開設し、医師による障害者の保護治療を開始した。その開院の案内文に曰く「拝啓 時下益々、御清祥奉賀候。陳者、豫テ御高配相蒙候中山療養院之義今般一部落成開院ノ運ニ相成候間、此段御礼旁御報告申上候也。大正六年五月。千葉県東葛飾郡中山村、大本山法華経寺執事」と。


(中山病院別館)


(中山病院別館)

 その後、大正10年(1921)8月、施設は本山の手を離れ、当時高名なりし精神科医と檀徒の共同経営に移り、中山脳病院と改称。

 昭和23年(1948)中山病院と改称。昭和27年(1952)医療法人静和会中山病院となり、院長は作田淳で、中山別館を有している。
(市川市中山2-10-2、231床)

(千葉県の記述は、次回もつづく)
| 小林靖彦資料 | 15:14 | comments(0) | - | pookmark |
(番外)32nd International IALMH Congress in Berlin

学会には息抜きが必要である。
ずっと昔から切望しながら、なかなか行くことができない場所があった。
デッサウ(Dessau)である。
デッサウといえばバウハウス(Bauhaus)。
バウハウスが何であるか知らない人は(ちなみに、大型の家具屋のたぐいではないので、念のため)、たとえばユネスコの世界遺産(になっていたとは数日前まで知らなかった)のページでも探して、参照してもらいたい。


(世界遺産に登録されているデッサウ時代のバウハウスの本校)

建物内部の常設展示を見終えて、カフェで一服。
満たされた気分で外にでると、東アジアの某国(と思われる)の若い観光客数十人を乗せたバスが本校のまえに横付けされた。
バスを降りるなり、一斉にビデオカメラで撮り始める彼らの行動は、どうも馴染めない。
かつての我々の同胞もそうだったのだろうか・・・と思いながら、次の目的地へ急ぐ。
この団体に追いつかれたら大変だ。

この校舎から少し離れたところに、バウハウスの教授陣たちの住まい(マイスターハウス、Meisterhaeuser)がある。
何が驚いたかって、あのカンディンスキーとクレーが同じ屋根の下に数年間も住んでいたことである。
なんとも贅沢な学校だったのである。


(公開されている3つのうちの1つのマイスターハウス内部。これも世界遺産に登録されている。)

| おしらせ | 02:11 | comments(0) | - | pookmark |
(続々)32nd International IALMH Congress in Berlin
 
(Niederkirchenstrasse沿いに残されている「ベルリンの壁」。自転車が向かっている方向にポツダム広場、逆方向にチェックポイント・チャーリーがある。)

ベルリンに来たら一度は訪れたいスポットが、"Topographie des Terrors"という屋外(+屋内)展示である。
かつてここにゲシュタポや親衛隊の本部があったが、その建物は徹底的に破壊されたらしい。
いまは、ナチスドイツの誕生から崩壊までの歴史を学習できる、屋外パネル展示場になっている。
上の写真の壁の裏側に展示パネルが並んでいる。


(T4関係の屋外展示)

上の写真がT4関係の屋外展示である。
研究者にとっては、馴染みのある写真(「灰色のバス」とか)が見えるだろう。

ところで、数年前にベルリンを訪れたときには存在しなかったのだが、いまではりっぱな屋内展示場も作られている。
下の写真が、T4関係の屋内展示である。
(殺された患者のための)火葬場の煙が上がるHadamar精神病院の写真が見える。
このようなクリアな写真があることを知らなかった。


(T4関係の屋内展示)

ポツダム広場に向かってぶらぶら歩いていくと、かつての東ドイツ側の監視塔がひっそりと建っていた。
道の行き止まり近くにあるので、観光客にはほとんど気づかれないようだった。


(監視塔)
| おしらせ | 01:25 | comments(0) | - | pookmark |
(続)32nd International IALMH Congress in Berlin
IALMHのパネルは、登壇者の相次ぐ欠席という最悪の事態にもかかわらず、つつがなく終わった。
終わってみれば、「まあまあ、よかった」と思えるから不思議である。

気分も晴れて、空も晴れて、パネリストたちとベルリンの「遺跡」をめぐった。
足はそれとなく、ポツダム広場に近い Tiergartenstr.4 へ向かう。
言わずと知れた、T4(精神障害者の「安楽死」プロジェクト)の牙城があった場所である。
現在はバスの停留所になっていた。
目の前にベルリンフィルがある。


(T4を示す看板の前に、偶然にも「灰色のバス」が止まっていた。)
| おしらせ | 15:12 | comments(0) | - | pookmark |
32nd International IALMH Congress in Berlin
2011年7月17日から同月23日までの日程で、IALMH(International Academy of Law and Mental Health)の会議がドイツのベルリンで開かれる。
というわけで、ベルリンのホテルの部屋でこの記事を作成している。

紆余曲折を経て、"Human Rights and the Abuse of Psychiatry: A Historical and Cultural Context"という3カ国の5人からなるパネルを組織し、上記の会議で発表することになった。
もう、1年以上もまえに決まっていたことである。

が、これまたいろいろな紆余曲折があって、その後2人が参加できなくなり、最終的には当初の思惑とは違うものになってしまった。
人数が減った分、学会主催者側が、見知らぬ個人演題の人をパネルに参入させてきた。

ともかく、少なくとも以下の日本の近代精神医療史関連の演題は、上記パネルの中で行われることになっている(これも演題の一部が変更される予定)。
まあ、めげずにがんばろう。

・The Legal Exclusion of Mental Patients from Public Baths in Modern Japan.
  Miki Kawabata, Ritsumeikan University
・The Mental Hygiene Act 1950 in Japan and the Liberation of Home Custody Patients.
  Akira Hashimoto, Aichi Prefectural University
・Forensic Psychiatry and the Modernist Mind in Early Twentieth Century Japan.
  Akihito Suzuki, Keio University

以上である。


(Potsdamer Platz をぶらつく。)
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