2010.08.21 Saturday
奈良県・奥不動寺を訪ねて
奈良県・巻向山の山中に奥不動寺はある。
この寺と精神病治療との関係が示されているのは、『精神神経学雑誌』(1937年)に掲載された菅修の論文くらいかもしれない。
とはいえ、その論文で確認できるのは、寺の住所や参籠所の定員、管理者の名前くらいである。
あまりに情報が少なく、「行ってみるしかないか」と思っているうちに数年が経過した。
ところが最近、関西の某大学図書館の人からメールがあった。
奥不動寺に関する問い合わせである。
「20、30年前に北陸地方の某大学の人たちがこの寺で(精神医学的な)調査を行ったようだが、その資料はどこかにあるのか」、というものだった。
聞いたこともない。
それはともかく、日本のどこかにこの寺のことを調べている人がいるんだと思うと、いてもたってもいられない。
猛暑の中、追い立てられような気分で奈良県まで足を運ぶことにした。
近鉄名古屋駅から午前7時50分の特急に乗り、伊勢中川で別の特急に乗り換え、名張まで。
そこで普通列車に乗り換えて大和朝倉で下車。
朝倉小学校の脇から黒崎参道に入る。
途中から道なき道といった感じで、顔にまとわりつく虫やくもの巣と格闘しながら、汗だくで1時間余り歩いたか。
(↑朝倉小学校脇にある黒崎参道の入り口)
下り坂になったところで、下のほうに赤いのぼりが多数見えた。
奥不動寺である。
そこから山道を下り、寺の正面から入ろうと思ったが、その山道があまりに急。
道は粘土質ですべり、つかまるような木もなく、とても降りられない。
坂の手前に寺の建物があり、中を通り抜けられそうである。
人の気配がする。
高校野球の実況中継も聞こえる。
「ちょっと済みません」といって建物に近づくと、女性と老人がいた。
事情を話して、この建物を通り抜けたい旨伝える。
すると、「ここは神聖な場所で、建物を通り抜けて行くのは困る」という返事。
が、結局は通してくれた。
ちょうど話ができたので、来訪の意図を伝えて、奥不動寺の話を伺うことにした。
その老人が住職だった。
(↑奥不動寺の正門から外を見る)
ただ、あまり詳しいことをいまここで書ける段階にはない。
住職の話によれば、北陸地方の大学関係者がこの寺に宿泊して調査(というか、研修というか)をしたことは確からしい。
そのほか、マスコミの取材もあったようだった。
後日、ネットであれこれ調べてみると、上記とは別の大学関係者が、かつてこの寺を治療的な観点から研究していたらしいこともわかった。
本気で調べれば、あれこれあるものだ。
どれもこれも、まだ曖昧模糊とした情報に止まってはいるが。
(↑寺の近くにある不動滝)
寺で1時間あまり話を聞いただろうか。
住職に言われたとおりの道をたどって、不動滝にたどりついた。
精神医療史研究家の小林靖彦が遺した研究アルバムによれば、小林は1972年4月に奥不動寺を訪れ、この滝を浴びたようだ。
滝の傍らには脱衣場があった。
近年はここで滝浴びをする人はあるのだろうか。
再び黒崎参道を通って大和朝倉駅方面に戻るのはどうも気が進まず、県道に通じる道からJR巻向駅をめざすことにした。
このルートはちゃんと整備されていた。
1時間以上は歩いたと思う。
もう午後2時近く。
JR巻向駅の近くの喫茶店に入って、少し遅い昼ごはん。
そばを食べた。
いっしょに歩いた大学院研究生のKさんと、お互い熱中症にならなかったことに感謝した。
(JR巻向駅近くの店でそばを食べた)
[付記]
その後判明したのだが、上記の本文で述べた「日本のどこか」で「この寺のことを調べている人」とは、研究会仲間の中村治氏(大阪府立大学)だった。
な〜んだ、と思った。
やっぱり、奥不動寺のことを調べようなどという人は、いないのである。
われわれ以外に。
この寺と精神病治療との関係が示されているのは、『精神神経学雑誌』(1937年)に掲載された菅修の論文くらいかもしれない。
とはいえ、その論文で確認できるのは、寺の住所や参籠所の定員、管理者の名前くらいである。
あまりに情報が少なく、「行ってみるしかないか」と思っているうちに数年が経過した。
ところが最近、関西の某大学図書館の人からメールがあった。
奥不動寺に関する問い合わせである。
「20、30年前に北陸地方の某大学の人たちがこの寺で(精神医学的な)調査を行ったようだが、その資料はどこかにあるのか」、というものだった。
聞いたこともない。
それはともかく、日本のどこかにこの寺のことを調べている人がいるんだと思うと、いてもたってもいられない。
猛暑の中、追い立てられような気分で奈良県まで足を運ぶことにした。
近鉄名古屋駅から午前7時50分の特急に乗り、伊勢中川で別の特急に乗り換え、名張まで。
そこで普通列車に乗り換えて大和朝倉で下車。
朝倉小学校の脇から黒崎参道に入る。
途中から道なき道といった感じで、顔にまとわりつく虫やくもの巣と格闘しながら、汗だくで1時間余り歩いたか。
(↑朝倉小学校脇にある黒崎参道の入り口)
下り坂になったところで、下のほうに赤いのぼりが多数見えた。
奥不動寺である。
そこから山道を下り、寺の正面から入ろうと思ったが、その山道があまりに急。
道は粘土質ですべり、つかまるような木もなく、とても降りられない。
坂の手前に寺の建物があり、中を通り抜けられそうである。
人の気配がする。
高校野球の実況中継も聞こえる。
「ちょっと済みません」といって建物に近づくと、女性と老人がいた。
事情を話して、この建物を通り抜けたい旨伝える。
すると、「ここは神聖な場所で、建物を通り抜けて行くのは困る」という返事。
が、結局は通してくれた。
ちょうど話ができたので、来訪の意図を伝えて、奥不動寺の話を伺うことにした。
その老人が住職だった。
(↑奥不動寺の正門から外を見る)
ただ、あまり詳しいことをいまここで書ける段階にはない。
住職の話によれば、北陸地方の大学関係者がこの寺に宿泊して調査(というか、研修というか)をしたことは確からしい。
そのほか、マスコミの取材もあったようだった。
後日、ネットであれこれ調べてみると、上記とは別の大学関係者が、かつてこの寺を治療的な観点から研究していたらしいこともわかった。
本気で調べれば、あれこれあるものだ。
どれもこれも、まだ曖昧模糊とした情報に止まってはいるが。
(↑寺の近くにある不動滝)
寺で1時間あまり話を聞いただろうか。
住職に言われたとおりの道をたどって、不動滝にたどりついた。
精神医療史研究家の小林靖彦が遺した研究アルバムによれば、小林は1972年4月に奥不動寺を訪れ、この滝を浴びたようだ。
滝の傍らには脱衣場があった。
近年はここで滝浴びをする人はあるのだろうか。
再び黒崎参道を通って大和朝倉駅方面に戻るのはどうも気が進まず、県道に通じる道からJR巻向駅をめざすことにした。
このルートはちゃんと整備されていた。
1時間以上は歩いたと思う。
もう午後2時近く。
JR巻向駅の近くの喫茶店に入って、少し遅い昼ごはん。
そばを食べた。
いっしょに歩いた大学院研究生のKさんと、お互い熱中症にならなかったことに感謝した。
(JR巻向駅近くの店でそばを食べた)
[付記]
その後判明したのだが、上記の本文で述べた「日本のどこか」で「この寺のことを調べている人」とは、研究会仲間の中村治氏(大阪府立大学)だった。
な〜んだ、と思った。
やっぱり、奥不動寺のことを調べようなどという人は、いないのである。
われわれ以外に。