近代日本精神医療史研究会

Society for Research on the History of Psychiatry in Modern Japan
『精神病者私宅監置ノ實況及ビ其統計的觀察』を読もう(その27)
『精神病者私宅監置ノ實況及ビ其統計的觀察』に書かれた穂積神社のつづきを見てみよう。以下は第116例として紹介されているもので、学生が訳した“現代語訳”の全文である。

第百十六例
○○県○○郡○○見村字○松。農民。井○幸○。28歳。
資産 中程度の生活を営む。
発病及び経過 3年前に妻に向かって斧を投げつけ頭部を傷つけたが、すぐに悔やんで自首したことがある。そのとき以来、病気はだんだん進み、明治44年7月12日から当所で治療を試みている。
収容の場所 前記の第1棟の左の部屋にいた。
室内の様子 器具としては1つの布団のほかに食器を収める膳が1つあり、また炉の上に古い土瓶などを置いた。いずれも良く整っていた。部屋はすすと煙によってひどく汚れていたが、その構造は普通の住まいと違わないので採光・換気などは良好である。便所は部屋の左側にある。洗面所の設備はないが、患者は潔癖があり、毎朝廊下で父親の運んでくる手水で清潔に顔を洗う。
家人の待遇 患者は応答には時間がかかるが要点を失うことはなく、記憶力も比較的良好である。一日中いろいろな仕事に手を出すが完成させることはできない。たとえば、父親がまきを割っているのを見れば近づいてこれを手伝うが、すぐにやめて今度は草取りをする、かと思えば草履を作ろうとする、といった具合である。仕事をやりつつ時々「クイ」「スクッスクッ」「ちくしょう」などいわゆるののしり語を突然発し、顔をゆがめ首を振るなどチック病者に見られるような病状を示し、一方には軽度の拒絶症があってこれを写真撮影を求めても応じてくれない。
 実父は患者の付き添いとして常に生活をともにして熱心に看護に従事する。患者は潔癖があるために、夏季にはほとんど毎日のように沐浴する。屋外運動は患者の自由に任せている。
 以上、略述したように当所の精神病者収容数は少数で、その設備も都市のそれに比べてほとんど論ずるほどの価値がないとはいえ、土地が高くて湿気が少なく、夏の極暑の時期にも清涼であり、部屋の構造・採光・運動等すべての点において他の監置室に普通に見られるような弊害はない。(明治44年8月水津信治視察報告)


(祈祷所。湯祈祷に使用するお湯を沸かす釜が見える。)
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『精神病者私宅監置ノ實況及ビ其統計的觀察』を読もう(その26)
 『精神病者私宅監置ノ實況及ビ其統計的觀察』の第四章「民間療方ノ実況」から、今度は静岡市にある穂積神社をとりあげてみたい。
 まずは、論文に書かれた穂積神社の説明を“現代語訳”で全文紹介しよう。原文の漢語混じりの文体は、読みにくいだろうから。ただ、少し長い。なお、この訳文は、私の大学(愛知県立大学)の授業で取り上げた時に、ある学生に課題として提出してもらったものである(一部改変)。

<現代語訳>

穂積神社

 郷社(静岡県庵原郡西本村平山)は龍爪山にある。祠は往古から同山の微雨獄亀石にあったが、慶長十二年一月十七日に当時の神主であった龍権兵衛(現在の社司の祖先)がこれを現在の地の移し、これを再興した。祭神は大已貴・少彦名の二神であり、古来より霊験が著しいとたたえられ、いつの頃からか精神病者の治癒を祈るものが多く来集するようになった。龍爪山は静岡市の北方三里に位置し、庵原・安倍の両群にまたがっており、海抜七千尺ある。上ること二里の峻険を経てようやく頂上に達する。旅客は静岡市近傍において車窓から北方を仰ぎ見れば、巍たる一岳が中空にそびえ、その山嶺には杉の森が規則正しく整列しているのを見ることだろう。これが龍爪山である。山頂は二段くらいの平地になっていて、南方は遥かに駿河湾を見下ろし、東西北の三方は深い森また丘陵で囲まれている。その奥深いところに、郷社穂積神社(三間四方)があり、さらにこの本殿から四丁上方に奥の院がある。本社の前庭で、二間四方を区切って七五三縄を張り、その中央に八升炊きの釜を備えて祈祷用に供える。神殿に向かって二棟の独立した家屋があり(写真参照)これは精神病者を収容するところである。当社の沿革を教導職細澤雄八(明治四十四年に七十一歳)に尋ねたところ、既に七、八百年を経ているという。徳川時代には初代神官である瀧大和がこれを司り、二代目瀧長門・三代目瀧藤太郎に及ぶ。
 参籠者は毎年二、三月及び八月頃に最も多く集まり、時としては一日に十人を超過することもあるけれど一日平均して約二人である。参籠するものの多くは精神病者である。室料及び祈祷料として一人につき一日三、四十銭を微収される。
 治療方、治療方法として、神官が毎日朝と夕方に二回、神前に病者を伴い、祈祷することを例とする。その他一回ずつ、前記の釜の湯を沸かし適度の温度にした湯を患者の頭部から注ぎかける。これを湯祈祷と称す。躁暴である患者は、縛られたり、手錠をかけられたりし、こういう人を収容するための設備がある。明治四十三年四月から視察時まで約一年半の間に細澤教導職の祈祷を受けた者は八十四名に達し、その多くは三十歳前後の男子であると言う。治療後の病気の経過は、全治又は軽快して帰宅する者、他に合併症のため死ぬ者もいたけれど、自殺者はかつてあったことがないと言う。(写真の下に続く)


(穂積神社の鳥居と社務所。奥に祈祷所が見える。よく見ると、鳥居の手前に患者とその家族らしき人が写っている。)

 収容室、第一棟は本社と相対する板葺き平屋で、間口五間・奥行二間の独立した家屋である。精神病者をここに収容する。前方には幅三尺の廊下があり自由に外に行ける。他の三方は壁で覆われており、向かって左側には便所が設けてある。一見普通の家屋と変わらない。内部は中隔で、部屋を二つに分ける。その一室の中央には二尺四方のいろりが備えてある。床上には不潔な薄い畳が敷いてある。他の一室もその構造は前者と同様であるが、中央にいろりはなく、かつその一隅に広さ約一坪・高さ約一間の監置室がある。その構造は約三寸の間隔で直径三寸の角材を縦柵にめぐらし、床は板で造られている。その向かって左に、長さ四尺・幅二尺の扉がある。それは出入り口である。視察当時には収容患者は一名もいなくて、全く廃頽しており、物置同様となっていた。第二棟は第一棟の前方にあり、南方に面する藁葺き平家で間口二間・奥行一間半。その前方だけ前庭に開放されていて、他の三方は壁で囲まれている。部屋の中央には三尺四方あまりのいろりがある。床上に畳はない。部屋は全部煤煙のため黒い色に汚れ、住人はいないため、廃頽するに任せている。
 収容患者は視察時には左の未監置精神病者一名だけであった。
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『精神病者私宅監置ノ實況及ビ其統計的觀察』を読もう(その25)
 『精神病者私宅監置ノ實況及ビ其統計的觀察』には、滝治療で知られた日石寺がある富山県の大岩一帯の写真も掲載されている。一見してその写真とは見分けがつかないが、類似の写真を探し出すことができた。それは、“The Mineral Springs of Japan”(1915年)という本に掲載されているもので(下の写真)、もともとは、大正3(1914)年にサンフランシスコで開催された“The Panama- Pacific International Exposition(パナマ太平洋国際博覧会)”の際に、日本館の展示物として出品されたようである。

 “The Mineral Springs of Japan”のなかでは、大岩は“Summer Retreats(避暑地)”として紹介されている。この写真には、昔の本堂(昭和42年に焼失)や、門前の旅館群が写っている。写真左の滝(大滝、白い筋として見える)は、のちに災害で消滅し、現在はない。『精神病者私宅監置ノ實況及ビ其統計的觀察』の事例で患者が浴びているのは「六本滝」という人工の滝で、上の写真では見えない。
 なお“The Mineral Springs of Japan”には、大岩についての次のような記述がある:

 “Even now bathing in the waterfalls is popularly believed to be efficacious for curing mental derangement and also eye diseases, and thus the place is visited by sick people all the year round.”
 (今もなお、滝浴びは精神病や眼病の治療に効果があると広く信じられており、一年中、病人がこの地を訪れる。)
| 資料解題 | 14:24 | comments(0) | - | pookmark |
『精神病者私宅監置ノ實況及ビ其統計的觀察』を読もう(その24)
 『精神病者私宅監置ノ實況及ビ其統計的觀察』の第四章は「民間療方の実況」にあてられている。
 論文の成立の過程で各地を視察した医学者たちは、最新の西欧医学教育を受けたいわばエリートたちである。彼らの民間治療に対する見方を、本文のところどころで垣間見ることができる。
 たとえば、富山県を視察した樫田五郎は、大岩山日石寺の滝治療を紹介している。第117例から第119例までの3例である。樫田は滝の効果を評して、「灌瀧ノ効果ハ概シテ不良ナリ。之ガ為ニ却ツテ病勢ノ増悪スルモノ多ク、大正三年七月二十四日樫田ガ視察セシ時ノ例ハ皆不良ノ結果ヲ見タリ。」と述べている。
 下の写真は第117例にある灌瀧(かんろう)の様子で、真ん中が患者、両脇で患者を押さえつけているのが強力(ごうりき)と呼ばれる介助人である。
| 資料解題 | 16:05 | comments(0) | - | pookmark |
第12回精神医学史学会
 来る2008年10月25日・26日に愛知医科大学(愛知県長久手町)で第12回精神医学史学会が開催されます。
 ネット上にプログラムがアップされましたのでお知らせします。本研究会関係者もいくつかの演題をだしています。
 なお、学会のHPはhttp://jshp.blog20.fc2.com/です。
| おしらせ | 16:16 | comments(0) | - | pookmark |
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