近代日本精神医療史研究会

Society for Research on the History of Psychiatry in Modern Japan
広島県・湯の山温泉での研究会(2007年7月)
広島県の湯の山温泉は、広島市の中心から車で1時間ほど。山あいのひっそりとした温泉である。かつては温泉街も随分にぎわったようだが、今は2軒の宿屋があるのみ。湯ノ山温泉館という公営の施設があり、そこで打たせ湯を浴びることができる。ただし、「湯」とはいえ、実際には摂氏23度あまりの「冷泉」で、相当気合を入れないと、浴びられたものではない。だが、熱い湯で満たされた浴槽もあるので、ご安心を。以前は、この打たせ湯が精神病の治療場だった。


湯ノ山温泉館の打たせ湯の「湯」は、背後の山から引いている。その源泉に建っているのが、昔の男湯屋である。1750年に建てられたというこの湯屋は、広島藩主の浅野吉長の湯治場だった。この頃、近隣には37軒の宿屋ができたという。当時の記録には、病気の全快も記されている。足腰が立たない者、目が見えない者、そして、乱心仕(つかまつ)った者、などが全快したという。ただし、治癒の兆候もなく、帰郷した者も少なくなかったそうだ。現在残っている男湯屋は、1974年に国の重要有形民俗文化財に指定されている。湯の山が精神病の治療の場として医学文献に登場する例は多くはないが、1940年の厚生省調査や、1986年の「日本精神医学風土記・広島県」(浅田成也、『臨床精神医学』)に登場している。というか、これ以外には全く出てこない。


温泉の湧出は807年とかなり古い。一つの伝説がある。浴室を作ろうとして岩を掘ったところ、そこから光を放つ玉石が3つ出てきた。これが「湯の玉」(写真)といわれるもので、現在も湯之山明神社の宝物として伝えられている。湯之山明神社は、男湯屋のさらに上にある。その神殿に「湯の玉」が安置されている。宮司さんにお願いして、「湯の玉」を出してきてもらい、その感触を確かめることができた。3つのうちの2つは、残りの1つと、表面の感じが違う。
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千葉県での研究会(2007年6月)
千葉県の精神医療史の「遺跡」は多い。というより、多分、東京に近いから、東京帝国大学の関係者が調査しやすかったのだろう。伝統的な精神病治療の様子を、いくつかの論文で読むことができる。市川市にある正中山法華経寺のその一つ。この刹堂(写真)で病気治療の祈祷が行われたのである。呉・樫田の私宅監置論文(1918年)には、三宅鑛一の報告が刹堂などの写真入で載っている。刹堂の柱には、患者を縛り付けておくための鉄の輪が残っている。


次の日。銚子方面に向かう。「岩井の滝」で知られる仙瀧山竜福寺に着いた頃には、けっこう激しい雨。写真はその山門。文献によれば、かつては参籠所があって、滝を浴びるために滞在していた患者が鎖でつながれていたという。1950年に精神衛生法が施行された前後の話らしい。住職に話を聞いたところ、それは事実だった。現在、患者が浴びたという滝の水量はきわめて少ない。あるいは、この日の雨で、枯れた滝から水が落ちていただけかもしれない。


竜福寺をあとにして、今度は茂原の鷲山寺へ向かう。ここでも精神病治療の祈祷が盛んに行われていたという。寺の人に案内してもらう。写真の平地部分には患者の水浴用の井戸があったようだが、いまは取り壊されている。両側のあじさいがきれいな、正面の急な階段を登ったところに、かつての本堂があったが焼失し、いまはない。かつての本堂の脇には、参籠所もあったようだが、現在は竹林となり、建立記念の碑だけがひっそりと立っていた。
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