近代日本精神医療史研究会

Society for Research on the History of Psychiatry in Modern Japan
東京での研究会(2007年1月)
それまで研究会で巡ってきた場所との比較という点では、東京ほど魅力がなく、使えないところはない。世間の価値観とはまるで逆になるのがおもしろい。それでも、重要かつ歴史的な場所はある。第一に挙げるとしたら、東京都立松沢病院である。わが国の精神科病院、いや、精神医療の歴史そのものと言えるかもしれない。この病院内にある「将軍池」と「加藤山」の有名なエピソードはご存知だろうか。コンパクトな解説が敷地内の看板(写真)に書かれている。


高尾山もおもしろい。ここも呉秀三・樫田五郎の論文(1918年)で紹介され、その後も何人かの研究者が当地の精神病治療の記事を書いている。2007年の年明け早々、しかも土砂降りのなか、高尾山の登山道を歩き回った。地元の人の「危ないよ」という警告を無視して。やっと琵琶滝(写真)にたどりついた。滝の水勢はかなり強く、水量も多い。白装束の人が修行をしているようだった。周囲にはどことなく緊迫した空気がただよっていた。

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大阪・星田妙見周辺での研究会(2006年10月)
天王寺のホテルに泊まり、その翌日、JR鶴橋駅から大阪環状線に乗り、京橋で学研都市線に乗り換える。10分程度で星田駅に到着。雨も本降りになってきた。待ちくたびれた頃にタクシーがやってきて、星田妙見宮へ(写真は妙見宮の本宮)。最終目的地はここではない。この妙見宮を抜けたところにあったと思われる「星田妙見道場」である。昭和15年の厚生省の精神病者収容施設調査に記載されている。ただ、この「道場」には謎が多い。


星田妙見宮を越え、住宅地を抜け、森の中に分け入る。すると、そこには別世界が広がっていた。奥のほうから太鼓の音、それ合わせて何やら呪文を唱える人の声がする。ただならぬ雰囲気だ。この雨のなか、ほとんど裸で修行している人がいる。近寄りがたい。そこを過ぎて、坂道を上り詰めると、韓国寺があった。ここが、かつての「道場」だったのか。確かめるすべもなく、ともかく上がりこんで、住職の話を聞くことにした。住職は我々のためにお経を唱えてくれた。

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宮城県・定義(じょうぎ)界隈での研究会(2006年7月)
仙台市の山奥にある定義温泉は、精神病の治療で知られている。呉秀三・樫田五郎の論文(1918年)で紹介されたことで、知名度が高まったのかもしれない。しかし、少なくとも近年は、謎が多い温泉場との評判が高い。かつ、研究者泣かせの場所らしく、その歴史や現状は必ずしもはっきりしない。ともかく行ってみることにした。まずは温泉の手前の定義如来で「聞き込み」をすることに。周辺で情報収集をし、武装してから温泉の「本丸」に迫ろうということである。


定義如来では、寺の人たちにいろいろと親切に教えてもらい、境内の見所を案内された。写真は勝軍地蔵といわれるものだが、頭の病気にも効果があるとされているらしい。しめ縄にヘヤピンが刺さり、ヘアバンドが掛けられている。頭にゆかりのある品々を捧げて病気平癒を祈る、ということらしい。民間信仰の力強さみたいなものを感じた。寺では、定義温泉の精神病治療に詳しい人を次々に紹介された。昔の定義温泉周辺の鳥瞰図もいただいた。


そして最後にたどりついたのが、門前の豆腐屋さんだった。地元では「三角あぶらあげ」の店で知られているようだ。通りに面したこの店の脇を入ると、主人の庄司さんのお宅がある。90歳は優に超えた庄司さんだが、とても元気である。昔の温泉場の精神病者の様子を伺うことができた。だが、最近の温泉のことは知らないという。庄司さんのお宅を後にして、いよいよ「本丸」に乗り込むことにした。その結果はいかに?詳しくは『通信』のバックナンバーをご覧あれ。
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群馬県の滝場での研究会(2006年6月)
群馬県には滝場が多い。その中のいくつかは、かつて精神病者が治療のために訪れたといわれる所である。東京帝国大学の呉秀三の論文(1912年)にある室田不動(大福寺)は、榛名山のふもとらしい。場所がわからず、道行く人に場所を尋ねた。アポもないのに、結局、このお寺で5時間くらい話し込んだ。昔は、いやがる患者に手かせ・足かせをして、滝に打たせたという。無造作に新聞紙にくるまれていた、その手かせ・足かせを見せてもらった。素直に感動した。


次の日。今度は赤城山の裾野にある瀧澤不動に向かった。前橋駅前のホテルから、車でずんずん山を登る。やっと車一台が通れるくらい狭い道の先に駐車場があって、その先は歩くほかない。15分くらい歩くと、不動さんがある。ここで地元の人と会うことになっていたが、まだ、だいぶ時間がある。奥に進んで大滝を見に行くことにした。雨で地盤が悪く、急勾配の道なき道をひたすら進む。「熊出没注意」の看板もここではリアリティがある。


大滝は本当に大きかった。再び瀧澤不動にもどる。崖をくりぬいたような所に、不動の詰め所がある。写真は、詰め所の中から、かつての参籠所を見ている。参籠所には普段は鍵がかけられているが、地元の人に開けてもらい、中にあがりこんだ。二階建てである。二階は一部屋。一階は中央に通路が貫通しており、この通路で二つの部屋に分けられている。普段使われていない部屋の中は、湿っぽく、ほこりくさい。昔ここに患者と家族が寝泊りをしていたのである。
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福岡県・宝満山の研究会(2008年2月)
福岡県の宝満山は、修験道の山として知られている。古くは修験者が病気治療にも関わっていたという。精神病も例外ではない。しかし、明治になると廃仏毀釈の影響で修験者としての山は崩壊し、修験者はふもとに降りたという。だが、そんな簡単に長年続いた習俗が壊れてしまうものなのか。修験者による病気治療は、大正・昭和と続いていたのではないか。明治以降の病気治療の痕跡を求めて、福岡の社会精神医学会に出たついでに、宝満山のふもとにある竈門神社(写真)を訪れた。


だが、竈門神社に何かがあるわけではなく、宝満山登山も早々にあきらめて、神社近くのそば屋で作戦会議。これほど手がかりのない研究会もなかった。地元の研究誌『都府楼』に載っていた、「宝満山のぬし」谷川さんを電撃訪問するすることにした。正確な住所もわからないまま、大宰府天満宮(写真)の近くに車を止めて、家から家を訪ね歩いて、谷川さんの家を探りあてた。こんな調子で研究会は展開するのである。毎度のことながら。
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