近代日本精神医療史研究会

Society for Research on the History of Psychiatry in Modern Japan
奄美大島での研究会(2006年3月)
なぜ奄美なのか。ただ、南の島に行きたかったからです。でも、研究会として、それなりの理由づけが必要で、「私宅監置の名残を探す」というとんでもない目的を掲げました。この業界(精神医学史)でもあまり知られていなかった佐藤幹正論文(『九州神経精神医学』、1955年)を掘り起こし、その記述にある奄美諸島の私宅監置のその後を追う旅になりました。私は鹿児島空港で小さなプロペラ機に乗り換えて、奄美空港に降り立ちました。


奄美大島にいる間、何回も鶏飯を食べました。奄美は江戸時代に薩摩藩の支配下にあって、この鶏飯で薩摩の役人をもてなしたと言われ、「殿様料理」という異名もあるそうです。ご飯に、細かくほぐした鶏肉や様々な薬味をのせて、熱いスープをかけて食べます。店ごとに鶏飯は違っていて、決して飽きることはありませんでした。写真の鶏飯は、名瀬中心街にある郷土料理の店「新穂花」で写したものです。

肝心の私宅監置の名残の話を忘れていました。結局のところ、私宅監置室として使われていた小屋の跡、といったものは見つけられませんでした。しかし、ほとんどゲリラ的な突撃インタビューで、島の何人かの人たちから私宅監置にまつわる貴重な証言を得ることができました。また、写真にあるように、「あそこらへんに患者が監置されていた」と、地元の人に案内されて町内を歩き回ったりもしました。
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静岡・竜爪山での研究会(2006年2月)
呉秀三・樫田五郎の論文(1918年)に登場する穂積神社は、竜爪山の中腹にあります。かつて、この神社は精神病治療のための湯祈祷で知られ、患者が家族とともに山中の参籠所に滞在していました。静岡は温暖の地とはいえ、山の上にある穂積神社周辺の冬場の寒さは厳しいです。われわれは穂積神社を後にして、さらに山頂をめざして歩きだしました。が、まだ先が随分あるようで、途中で登山はあきらめました。富士山を見ることもできたことですし(写真)。


山の上の穂積神社周辺の暮らしは厳しいというわけで、昭和の初め頃には、精神病治療の場はふもとの平山地区に移ったのです。写真は、平山地区にある、穂積神社の神主さんの家の長屋門です。この中に小部屋があって、患者と家族が滞在していました。いまは空き家になっている神主さんの家には母屋のほかに祈祷所も設けられていて、その前で湯祈祷が行われていたということです。


竜爪山や穂積神社の歴史や民俗については、平山地区にある三枝庵の東堂・奥田賢山さんにいろいろとお話を伺いました。奥田さんは郷土史家として、竜爪山に関する本も書いておられます。平山は茶畑やみかん畑に囲まれた静かな山里です。段々畑がひろがるのどかな山腹に、このお寺があります(写真)。戦前には、三枝庵や地区の別のお宅でも患者をあずかっていたことがあるそうです。
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阿波井神社と鳴門シーガル病院での研究会(2005年11月)
徳島県の阿波井神社は精神病者の水行で知られ、呉秀三の論文(「我邦ニ於ケル精神病ニ関スル最近ノ施設」1912年)でもとりあげられた、(少なくとも、関係者には)有名な場所です。写真では四国本土から対岸の島田島を見ています。白い半円形のビルがかつての阿波井島保養院、現在の鳴門シーガル病院です。この病院の右側奥に阿波井神社があります。この病院と神社に行くには、船しかありません。皆で船を待っているところです。


船で阿波井神社に渡り、神社周辺をひととおり見学したあと、鳴門シーガル病院に行きました。あらかじめ病院のスタッフの方にお願いして、昔の病院や患者さんのお話を伺うことにしていたのです。病院の会議室で古い写真などを見ているうちに、夕方になってしまいました。四国本土に戻る船便がなくなるというので、あわてて船着場へ(写真参照)。「これじゃ、乗り切れないぞ」と心配していたら、もう一艘やってきました。


この日の宿は四国本土にある民宿「やまひろ」です。普段は釣り客が多いようなので、われわれのような研究会は「変な団体」に思われたかもしれません。しかし、民宿のご主人は、精神病者にまつわる昔話をいろいろとしてくれました。翌朝、漁船の音で目が覚めました。宿の目の前が漁港なのです。まだ薄暗い堂浦地区を散歩しました。小鳴門海峡は、海霧で覆われていました(写真参照)。夜が完全に明けるまで、カメラをぶら下げてブラブラ歩き回ったものです。
| 過去の研究会 | 13:28 | comments(0) | - | pookmark |
『近代日本精神医療史研究会通信』第12号ができました
関係者の方々には発送しました。下にある「全文はこちらから」をクリックして記事を見ることもできます(ただし、一部の文字フォントは、印刷したバージョンとpdfファイルとでは少し違うことがあります)。今回からすべて日本語・英語の2ヶ国語表記になりました。

内容

メモ特集 湯治場 湯の山 [広島県]
Feature Article: Yunoyama Hot Springs in Hiroshima
メモ研究者を訪ねて その2:南ドイツ
Visits to researchers
Part 2: South Germany
メモゲールからの客人、岩倉に来たる。
Iwakura visitors from Geel

全文はこちらから
| - | 12:14 | comments(0) | - | pookmark |
富山県の大岩山日石寺での研究会(2005年9月)
だんごやの玄関1914年に大岩山日石寺を視察した樫田五郎によれば、寺界隈の宿屋に精神病者が家族と泊まりながら、滝治療をしていたということです(呉秀三・樫田五郎、1918年)。2005年7月に富山県立図書館に行ったついでに、上市町の大岩まで足を伸ばしました。驚いたことに、いまもなお日石寺の門前には宿屋があることでした。「ここで研究会をやろう!」と思い、寺の門前で江戸時代から宿屋をやっている「だんごや」さん(写真)を訪ね、事情を説明したものです。


だんごやの玄関こうして2005年9月の研究会が開かれることになりました。日石寺や「だんごや」の関係者にお話を聞くことができ、呉・樫田論文には描ききれていない「治療の場」のなまの歴史に触れることができた気がします。また、日石寺の六本滝に実際に打たれて、「滝治療」も体験しました。こうして、本研究会の特徴である、オーソライズされた技法からは自由で、かなり突撃的で、時には無謀ですらある、現地での調査活動の方法論や方向性がつかめたような気がしました。
| 過去の研究会 | 12:57 | comments(0) | - | pookmark |
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