2008.02.27 Wednesday
奄美大島での研究会(2006年3月)
なぜ奄美なのか。ただ、南の島に行きたかったからです。でも、研究会として、それなりの理由づけが必要で、「私宅監置の名残を探す」というとんでもない目的を掲げました。この業界(精神医学史)でもあまり知られていなかった佐藤幹正論文(『九州神経精神医学』、1955年)を掘り起こし、その記述にある奄美諸島の私宅監置のその後を追う旅になりました。私は鹿児島空港で小さなプロペラ機に乗り換えて、奄美空港に降り立ちました。
奄美大島にいる間、何回も鶏飯を食べました。奄美は江戸時代に薩摩藩の支配下にあって、この鶏飯で薩摩の役人をもてなしたと言われ、「殿様料理」という異名もあるそうです。ご飯に、細かくほぐした鶏肉や様々な薬味をのせて、熱いスープをかけて食べます。店ごとに鶏飯は違っていて、決して飽きることはありませんでした。写真の鶏飯は、名瀬中心街にある郷土料理の店「新穂花」で写したものです。
肝心の私宅監置の名残の話を忘れていました。結局のところ、私宅監置室として使われていた小屋の跡、といったものは見つけられませんでした。しかし、ほとんどゲリラ的な突撃インタビューで、島の何人かの人たちから私宅監置にまつわる貴重な証言を得ることができました。また、写真にあるように、「あそこらへんに患者が監置されていた」と、地元の人に案内されて町内を歩き回ったりもしました。
奄美大島にいる間、何回も鶏飯を食べました。奄美は江戸時代に薩摩藩の支配下にあって、この鶏飯で薩摩の役人をもてなしたと言われ、「殿様料理」という異名もあるそうです。ご飯に、細かくほぐした鶏肉や様々な薬味をのせて、熱いスープをかけて食べます。店ごとに鶏飯は違っていて、決して飽きることはありませんでした。写真の鶏飯は、名瀬中心街にある郷土料理の店「新穂花」で写したものです。
肝心の私宅監置の名残の話を忘れていました。結局のところ、私宅監置室として使われていた小屋の跡、といったものは見つけられませんでした。しかし、ほとんどゲリラ的な突撃インタビューで、島の何人かの人たちから私宅監置にまつわる貴重な証言を得ることができました。また、写真にあるように、「あそこらへんに患者が監置されていた」と、地元の人に案内されて町内を歩き回ったりもしました。