近代日本精神医療史研究会

Society for Research on the History of Psychiatry in Modern Japan
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四国と犬神落としと森田正馬

3月末に研究会関係者数人で四国に行った。

名目は「徳島・高知の犬神などに関わる精神医療史調査」というもの。

発端は内務省の『精神病者収容施設調』(昭和6年5月20日現在)である。

その中で「精神病者ヲ主トシテ収容スル神社・寺院・瀑布・温泉其他保養所」として掲載されている、徳島県の2つの神社を訪れることなった。

2つの神社とは、賢見(けんみ)神社(ただし、内務省の調査では「腎覺神社」と大誤植)と山彦神社である。

徳島と言えば犬神憑きということで、これらの神社は犬神落としと関係が深いようだった。

隣県の高知もやはり犬神憑きで知られ、同県出身の精神医学者・森田正馬もその調査をしている(「土佐ニ於ケル犬神ニ就テ」『神経学雑誌』第3巻、1904年)。

犬神そのものとは関わりはないが、高知まで足をのばして森田の生家も訪れることにした。

 

そもそも犬神とは何か?

以下に、桜井図南男の「犬神の精神医学的考察」(『徳島県郷土研究論文集』、1955年)からの説明を引用したい。

 

阿波の犬神は、憑依を主徴候にしている精神異常状態であり、心因反応の範疇に入るべきものであることは疑いない。ただ、特異な点は、その反応の様式が、この土地に広く流れている犬神の伝承によって規定されていることである。犬神の伝承に関して、ここで詳細に触れている余裕はないが、(…中略…)備後、安芸、周防、長門、四国などに流布されている伝説であって、鼠のような小さな動物がその本体であるということになっている。このような犬神という神秘的な動物が、部落の中にある家に、代々継承されていると信ぜられており、この家を犬神すじと名付ける。もしも、部落の他の家の人が、犬神すじの怒りや怨らみを買うようなことをすると、そこの犬神がのりうつって来て、のり移られた人に犬神つきなる症状があらわれる。この犬神つきは、通常、祈祷により犬神を追出すことによって治る。しかし、同一人が何回も、同じような状態に陥ることもある。これが、犬神つきの定型的な様式であり、後に述べるように、心因反応としては、かなり原始的な形態のものであると考えられる。

 

以上が桜井の説明である。

では、「犬神つきなる症状」とは具体的にはどのようなものなのか。

高橋晋一の論文「動物憑依の論理―徳島県の犬神憑き・狸憑きの事例より」(『四国民俗』第36・37合併号、2004年)からいくつを紹介したい(ただし、これらは他の文献からの引用なので、ここでは孫引きということになる)。

 

・犬神が憑くと、気が狂ったようになっていろいろなことを口走り、もだえ苦しんだり、発熱したりした上、食事などいろいろな要求をし、それを叶えてやると正常に帰るという。

・犬神に憑かれた者は(…中略…)狂った犬のように庭や部屋の中をはい回るという。目撃者の言は「みんな犬のまねをする」という点が共通している。ある日突然、このような症状を呈すると家族や近所の者は、犬神に取り憑かれたと言って恐れおののいた。

 

などである。

さて、研究会の話にもどりたい。

1日目、徳島を経由して美馬市脇町にある山彦神社へ。

ただし、ここには専任の宮司さんはいない。

あらかじめアポをとっていた、このあたり一帯の神社の宮司を兼任されている方に、社殿の中でお話をうかがった。

ただ、犬神の話は聞いたことがないという。

もちろん、そんな話は現在はほとんどないだろうが、過去には聞いたことがある、くらいはあってもよさそうなものだが。

内務省の『精神病者収容施設調』に出てくるということは、ある時代までは犬神落としを含む何らかの精神病治療がここで行われていた可能性は高い。

参籠者もあっただろう。

ただ、荒木蒼太郎の論文「徳島県下ノ犬神憑及ヒ狸憑ニ就キテ」(『中外医事新報』第485号、1900年)には、「脇町及び其附近村落には犬神憑甚だ少く主として狸憑を認め得」(原文は漢字カナ文)とあって、少なくとも山彦神社周辺では歴史的には狸憑きがメインだったということはあるかもしれない。

 

しかしながら、宮司さんから興味深い話を聞いた。

かつては、神職に加えて、神社の管理や参詣者の世話を担う「勤番」と言われる人が、病気平癒に重要な役割を果たしていたらしい。

勤番という言葉で、精神病者の「水行」などで知られた鳴門の阿波井神社を思い出した。

阿波井で調査をしたとき、はじめて勤番という言葉を知った。

その時は単なる患者の「世話係」くらいに思っていたが、どうやら病気治療への関与も少なくなかったということか。

 

(山彦神社)

 

その日はJR阿波池田駅周辺のビジネスホテルに宿泊。

夕飯を食べる場所探しに苦労。

「季節料理の店」というところに入ったが、実際にはカラオケがメインで、酒の肴のような一品料理ばかり。

「定食っぽく、適当にみつくろってください」と、お願いする。

 

2日目は朝から三好市山城町の賢見神社へ。

犬神落としの神社として数多くの文献に登場している。

香川雅信の論文「徳島の犬神憑き」(『精神医学』第40巻第11号、1998年)では、以下のように述べられている。

 

徳島県には、「犬神落とし」を標榜する寺社がいくつかあるが、その中で最も名高いのが、三好郡山城町にある賢見(けんみ)神社である。ここには四国ばかりではなく、近畿・九州地方からも多くの人々が憑きもの落としに訪れる。各地に「先達(せんだつ)」と呼ばれる世話人がおり、賢見神社行きのバスツアーも組まれていて、まさに憑きもの落としの一大センターとなっている。賢見神社を訪れる人々が抱える問題は様々である。人間関係がうまくいかない、家族への暴力、夫に虐待された、子供の登校拒否(不登校)・非行、熟睡できない、(…中略…)宗教的な治療儀礼を施す場は、その伝統的・因習的なイメージとは裏腹に、きわめて現代的な状況から発生する問題を扱っていることになる。

 

という。

国道32号線沿いのJR阿波川口駅付近から、山道をかなり登り、賢見神社に到達。

かなり不便な所だが、遠方から人が集まるという人気の神社である。

 

(賢見神社近くからの景色。山肌に張り付いているような人家があちこちに。)

 

まずは、社務所で宮司さんからお話を伺う。

1879(明治12)年にコレラが流行したときには、疫病や犬神落としで知られていた賢見神社には、遠く中国地方からも多くの参詣者が訪れたようである。

このエピソードは、同時期にやはりコレラの流行で参詣者を集めた岡山県の木野山神社とよく似ている(木野山神社については、以前のブログでも紹介した)。

お話を伺っている最中にも、参詣者が次々に社務所を訪れ、お祓いの申し込みをしていく。

宮司さんは参詣者にお祓いをすべく、社務所と本殿とを行ったり来たり、とても忙しい。

やがて、宮司さんに勧められて、われわれも祈祷を受けることになった。

本殿に移動し、楽な姿勢で座りながら簡単な説明を受けた後、祝詞が始まった。

独特の調子である。

聞き覚えがない外国語のようにも聞こえた。

さらに、金幣でひとりひとりの首筋あたりに触れて、厄払いが行われた。

宮司さんに祈祷料を渡そうとしたが、「こちらがお勧めしたことですから」と、受け取ってもらえなかった。

しかも、お札、お守り、その他もろもろをいただいたのに、である。

 

(手前が賢見神社の社務所、奥の階段を登ったところが本殿。)

 

ところで、賢見神社の社務所がある場所に、かつては「通夜堂」と呼ばれる参籠所(宿泊施設)があったという。

ここに寝泊りして、治療の儀式を受けていたのだろう。

現在の社務所のまえに休憩所があって、その中の壁に掛けられた古い写真に通夜堂が写っていた(下のモノクロ写真)。

上記の内務省の『精神病者収容施設調』(昭和6年5月20日現在)では、賢見神社の「収容定員」は10人となっているが、宮司さんからの話などから察するに、実際に参籠可能な人数はそれより多かったのではなろうか。

 

(左が賢見神社の通夜堂、右が本殿。撮影年代は昭和初期か。)

 

境内は広い。

本殿前の崖を下りて行くと、水行場があった。

修験道と深い関わりがあったことの証左である。

 

(賢見神社境内にある水行場)

 

徳島県の賢見神社を後にして、次の目的地である高知県をめざす。

途中、「祖谷(いや)のかずら橋」に立ち寄った。

想像では、秘境にあって、一度に2、3人がやっと渡れる、とても危なっかしい、長い長い吊り橋かと思っていた。

が、実際は違っていた。

確かに素材は天然のものだが、観光客用(?)にかなり頑丈につくられているように感じた。

橋を渡るのにお金がかかるということで、橋のたもとで見学するだけにした。

 

(徳島県三好市にある「祖谷のかずら橋」)

 

2日目は高知市の中心街、はりまや橋近くのホテルに宿泊。

高知に来たら「かつおのたたき」だろうと、ひろめ市場で夕飯。

フードコートのようなスペースは微妙にほぼ満席で、席の確保に苦労した。

 

3日目。

香南市にある森田正馬の生家へ。

最初に、この生家にまつわる近年の動きを、筒井昭子らによる論文「森田正馬生家の現状と保存修復に向けての活動」(『日本森田療法学会雑誌』第25巻、2014年)にもとづいて紹介しておきたい。

 

論文によると、森田邸はもともとは森田家が所有するものだったが、一個人の維持が困難になり、一時地元の建設会社に管理・所有が移された。

1988年の「森田正馬没後50年記念事業」が転機となる。

森田邸が地元の文化教育の発展に有益と認識され、その管理が野市町(香南市への合併前)に移された。

しばらくは、不登校児の学び舎「森田村塾」として使われていたが、耐震性に問題があるということで、管理者である香南市から解体案が浮上。

これに危機感を抱いた日本森田療法学会は、市に対して保存を要望する書類を提出し、さらに研究者や森田家の人、市の教育委員会などとともに現地視察を行う。

文化財としての登録をめざすことが目的だったが、文化財として保存するするためには耐震強化が必要で、市の予算で賄うのは困難だという。

とりあえず解体だけは免れているが、文化財としての価値はあるものの、その登録は実現していない。

2013年に有志が「森田正馬生家保存を願う会」を発足させ、講演会などを開いて保存の必要性を訴え続けている。

 

ということで、現在は香南市の教育委員会が森田邸を管理しているのだが、「森田正馬生家保存を願う会」事務局の森田さんにご尽力いただいて、生家の見学が実現した。

 

(森田正馬生家の一角に建つ「森田正馬先生生誕の地」の石碑)

 

森田正馬の生家に行くと、鍵を管理している教育委員会の人がすでに来ていて、雨戸を開けているところだった。

座敷に上がって、「森田正馬生家保存を願う会」代表の池本さんから会の活動や保存の現状などについてのお話を伺い、さらに家の中を見学した。

 

(森田邸の式台を備えた東玄関。式台の壁の上部はベンガラを混ぜた漆喰。)

 

次いで、森田さんの案内で、家の周りの森田正馬のゆかりの場所を散策した。

歩いて数分のところに、旧・富家(ふけ)小学校がある。

正馬は1879年にこの小学校(当時は富家尋常小学校)に入学した。

奇しくも、中国・四国でコレラが流行した年である。

いまは廃校となった小学校に、正馬が寄付した講堂が残されている(下の写真)。

 

(森田が寄付したという母校の旧・富家小学校の講堂 [森田記念講堂])

 

(上の写真とほぼ同位置、1936年3月撮影。出典:野村章恒『森田正馬評伝』、白揚社、1974年)

 

旧・小学校のすぐ裏に金剛寺がある。

正馬が「九歳から十歳の頃、村の寺で極彩色の地獄絵をみてその恐ろしさにおののき、以来、死のことが念頭から離れなくなり、眠れぬ夜を過ごすことがしばしばだった」(渡辺利夫『神経症の時代』文春学藝ライブラリー、2016年)という、その寺である。

しかし、寺は改築されており、地獄絵もないということだった。

 

(金剛寺)

 

そこから少し歩くと、森田家の墓がある。

比較的最近作られたのか、全体的に新しい墓所である。

田畑を見おろす見晴らしのいい場所。

 

 

そう言えば、「森田正馬生家保存を願う会」も共催している「森田正馬没後80年 墓前祭&記念講演会」が7月15日に開催されるそうで、そのチラシをいただいた(下の写真)。

完全なチラシは www.kkmed.or.jp/file/downfile.php?id=511 からダウンロードできる。

 

(「森田正馬没後80年 墓前祭&記念講演会」のチラシの表)

 

正馬が幼少時に見たという地獄絵の行方は不明だが、それを描いたのは「絵金」ではないかという話を聞いたので、再び、「森田正馬生家保存を願う会」の森田さんに「絵金蔵」の入口まで案内していただいた。

 

そもそも「絵金」とは何か?

「絵金蔵」のパンフレットの説明を引用したい。

 

絵師金蔵、略して絵金。もとは土佐藩家老桐間家の御用を勤める狩野派の絵師でしたが、贋作事件に巻き込まれ、城下追放となります。野に下った絵金はおばを頼りにこの赤岡の町に定住し、酒蔵をアトリエに絵を描きました。「絵金蔵」では町内に残された二十三枚の屏風絵を収蔵、保存しています。

 

ということで、館内を見学した。

学芸員の方に、正馬が見たという金剛寺の地獄絵と絵金との関係について伺ったが、はっきりとしたことはわからないということだった。

そもそも、その地獄絵の現物や写真がないので、なんとも言えないのだろう。

 

(香南市赤岡町にある「絵金蔵」)

 

昼になったので、「絵金蔵」近くでご飯を食べることになった。

地元のディープな店に入って、「ちりめんおこげ」を注文。

下の写真のとおり、ちりめん+おこげ(焼きおにぎり)であり、おいしくいただいた。

 

(「ちりめんおこげ」)

 

以上、長々と四国紀行を綴ってきたが、最後は大学の研究室である。

賢見神社でいただいたお札のために、本棚の一角に急遽「神棚」を作った。

横に添えられているのは、高知のキャラクター「カツオ人間」のキーホルダー。

カツオのぶつ切り頭が気に入っている。

 

(大学研究室における賢見神社のお札とカツオ人間)

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