近代日本精神医療史研究会

Society for Research on the History of Psychiatry in Modern Japan
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鎌倉・称名寺を訪ねて

鎌倉には学部学生の頃、友だちとよく来た。
東京から日帰り旅行をするにはちょうどいい距離。

その後、仕事の関係で、国内外を転々と移り住むするうちに鎌倉のことなど全く忘れ、かなりの年月が経った。
ところが、精神医療の歴史を調べるようになって、再び鎌倉に出会う。
北鎌倉の称名寺の境内に、かつて「今泉山静養所」という精神病者保養所があったという。
確か、最初に知ったのは、「日本精神医学風土記 神奈川県」(『臨床精神医学』第14巻第12号、1985年)からだったと思う。

この施設が設立された1915(大正4)年11月に、神奈川県内にあった精神病院は、1909(明治42)年に「神脳院」として発足した横浜脳病院(後に紫雲会横浜病院)のみ。
また、社会事業史的な観点から付け加えれば、1902(明治35)年に設立された横浜救護所も精神病者の収容に関わっていた。
とにかく、県内の精神病者関連施設はごく限られていたせいか、今泉山静養所の名はいろいろな文献に顔を出す。
内務省/厚生省の精神病者収容施設調の常連であるし、当然ながら菅修の1937年の論文(精神病者関連施設のリスト)にも登場している。
だが、それほど詳しい記述があるわけでもない。

従来の話をまとめると、称名寺の住職・成實随翁がフランスのピネル(精神病者を鉄鎖から解放したという「神話」的な人物)に共感して今泉山静養所を創設した。
1940(昭和15)年までに入所した患者延べ数は、9万9千人にあまりに達したが、戦後は精神病院で治療を受ける患者が増えて、入所者は減り、1970年代はじめまでには在所者はいなくなったようだ(日本医史学会神奈川地方会ほか編『神奈川県北西・湘南地方の医史跡めぐり』2000年などによる)。

ただ、中西直樹『仏教と医療・福祉の近代史』(法蔵館、2004年)には気になる記述がある。
それによると、1933(昭和8)年に「神奈川県が精神病院取締規則を施行し、この種の療養所を許可しない方針を打ち出したため、施設を改築し嘱託医の定期診察を行うこととして存続が図られた」という。

そこで、中西が引用している当時の『中外日報』をみると、「診療所規則違反で浄土宗今泉山静養所が純然たる病院に改革」という記事があった。

それによると、この静養所は内務省や神奈川県などから補助金を受ける「私設社会事業団体」として運営されてきたが、1933(昭和8)年の神奈川県の精神病院取締規則、および内務省による診療所規則によって、「この種の静養所は許可しないこととなったので(...)補助金の交附も中止され、規則違反として処罰される情勢となったので止むなく規則に従ひ病院を増設して渡邊鍵太郎博士を医務長に(...)置いて正式に精神病院を組織し、近くその筋から許可を得ることとなった」とある。

神奈川県の「精神病院取締規則」が何なのか、調べきれていない。
が、内務省の診療所規則(正しくは診療所取締規則だろう)にもとづいて神奈川県が定めた「診療所取締規則施行細則(昭和8年10月28日)」なら手元に資料があった。
その施行細則(第15条)をまとめれば、つまり今泉山静養所のような(病院ではないが多くの患者を収容している)施設も、病院に準じて知事に開設許可を願い出ねばならない、ということである。
今泉山静養所は既存の施設だが、この手続きを踏んでいないとみなされたのだろうか。

また、記事中の「渡邊鍵太郎博士」とは、1925(大正14)年に愛知医学専門学校を卒業し、1926(大正15)年に浜松で三方原脳病院を開設した人物である。
しかし、1933(昭和8)年ころに、今泉山静養所から、設立すべき精神病院の医務長としてのオファーが渡邊にあったのだろう。
同年10月24日からは、朝山種光が三方原脳病院の院長に就任している(このブログのこの記事を参照)。

だが、結局、今泉山静養所は「精神病院」にはならなかったようだ。
渡邊は1935(昭和10)年の春には、東京武蔵野病院の副院長に、翌年には院長に就任している(『東京の私立精神病院史』牧野出版、1978年)。
三方原脳病院から東京武蔵野病院へ異動する間の1年間(くらい?)、渡邊はどこでなにをしていたのか、これも調べきれていない。
今泉山静養所の精神病院設立の仕事に忙殺されていたのだろうか。

というわけで、鎌倉・称名寺訪問は念願だったが、その機会が訪れた。
2014年6月26日に、パシフィコ横浜で開かれた日本精神神経学会のシンポジウムで登壇することになった。
そこで、ついでに鎌倉に行こうと思い立ったのである。
そのシンポジウムのコーディネーターだった金川英雄先生は、翌日(6月27日)の同学会で称名寺の演題を発表されたのだが、私は聞けなかったのでその内容はわからない。
もしかして、上で書いたことと重複しているかもしれない。

ともかく、6月28日、大船駅からバスで称名寺に向かった。
「今泉不動」という停留所で降りて、徒歩数分で称名寺に着いた。



ちょうど、寺では法事が行われているようだった。
関係者のお話を伺えればよかったが、仕方がない。
境内を歩きまわって、滝のあたりで写真をとりまくる。



下の写真は、上で述べた「日本精神医学風土記 神奈川県」からとったものである。
かつての今泉山静養所における滝治療の様子(年代不詳)で、私の写真とほぼ同じ位置でとられたと思われる。
ただ、ひとつ気になることがある。
二つの写真を比べると、滝の背後にみえる地層の傾きがかなり違う(ような気がする)。
滝の流れ方からして、少し違う角度から写しているんだろうが。
過去数十年のあいだに地殻変動でもあったのだろうか・・・


(出典:石川罅崙本精神医学風土記 神奈川県」『臨床精神医学』14(12): 1867-1878, 1985)

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