近代日本精神医療史研究会

Society for Research on the History of Psychiatry in Modern Japan
<< 小林靖彦資料紹介(46) 「精神病者治療所」(長野2) | main | 小林靖彦資料紹介(48) 「精神病者治療所」(長野4) >>
小林靖彦資料紹介(47) 「精神病者治療所」(長野3)

長野のつづき。


5)飯田病院精神科

 明治36年(1903)9月1日、医師原耕太郎が、本町4丁目に「私立飯田病院」を創設した。




 原耕太郎は、明治32年(1899)4月、医術開業試験に及第、仝年12月東京帝大国家医学科卒業、内科、外科、産婦人科、皮膚泌尿器科、精神病科等を修めて帰郷。内科、外科、小児科を中心に飯田病院を開設。50床位であったと云う。

 大正3年(1914)から大正5年(1916)にかけて、資を郡下有志数百名に呼びかけ、現在地(上飯田15番地)に、大病院を完成し開院した。




 大正7年(1918)ごろより病院に監置室を設け精神病者を収容し、ムスビの中に薬を入れて服ましたりしていたが、大正14年(1925)8月22日精神科を併設した。

 大正15年(1926)、飯田病院看護婦養成所を併設す。

 昭和7年(1932)4月14日、原耕太郎院長急死。享年61才。養子原農夫(長女琴の婿)院長に就任。



 昭和10年(1935)末の菅修の調査によれば、飯田病院精神病科(下伊那郡上飯田町15番地)定員は25床となっている。

 昭和26年(1951)、設備の完全なるは全国に冠たりと誇っていた伝染病科を廃止。

 昭和27年(1952)、併設の看護婦養成所の経営を医師会に委譲。

 昭和31年(1956)、2代院長原農夫死亡し、「医療法人財団栗山会飯田病院」に改組。

 昭和41年(1966)、精神病棟4階建完成。
 
 昭和46年(1971)、一般病棟5階建完成。

 昭和49年(1974)、管理棟一部2階建完成。

 一般病床104、精神病床352、結核病床15、計471床の大病院となっている。院長は3代院長原享二(耕太郎の二男、耕太郎跡相続)である。





[小林が撮影したと思われる飯田病院]


6)長野脳病院

 内科医菅野萬平が、昭和5年(1930)1月25日に、長野市中越142番地に、定員50床の「長野脳病院」を設立した。

 菅野医師死亡後、未亡人が管理者となり、関九一郎(耳鼻科医)を雇い入れ、院長とした。

 昭和18年(1943)3月2日、関院長が急死し、患者も減っていたので、病院を閉鎖した。



(長野の記述はつづく)

| 小林靖彦資料 | 14:05 | comments(0) | - | pookmark |
スポンサーサイト
| - | 14:05 | - | - | pookmark |
コメント
コメントする









SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
LINKS
PROFILE