近代日本精神医療史研究会

Society for Research on the History of Psychiatry in Modern Japan
<< 図書館への旅(14) Staats- und Universitätsbibliothek Carl von Ossietzky | main | 震災お見舞い >>
小林靖彦資料紹介(15) 「精神病者治療所」(大阪2)

前回で「図書館への旅」は終わり、小林靖彦の大阪の資料にもどる。

(つづきから)

2) 癲狂病院(大阪府豊中市熊野田)

 大阪城代の御殿医たりし石丸家は、代々浪速熊野田の地において万病の施療をしていたが、その内の名医として有名なりし周吾の代に至り、癲狂者の治療のため、文政年間(1818〜1829)、収容施設を設置し、漢方薬による治療を始めました。その庭の土を足の裏にぬれば、精神病が治るなどの伝説を生むほど盛況であったと云います。


(石丸癲狂病院跡)

 明治18年(1885)石丸周吾の子孫の姻戚たる木村謙太郎[注:呉秀三論文(1912)には、木村兼太郎とある]を院長とし、従来の組織をあらためて石丸癲狂病院としました。

 明治33年(1900)増築し、病室を17個とし、収容定員25人となる。石丸周二に引き継がれて石丸病院と改称された[注:石丸家の家系に関する記述には、不明な点がある。呉秀三(1912)は、石丸周次(周二ではなく)は明治18年に死亡し、そのあとを上記の木村が継いだとしながら、他所で周次の没年を明治27年とも書いており、記述に矛盾がある]

 今次世界大戦中、修練道場に指定され、また、子孫は医師なく、昭和20年(1945)廃止されました。 

 処方は下剤と鎮静剤を混合せし漢方薬にして、今も石丸家の庭土を貰い受けに来る人ありと云う。ここにあった躁狂室は、京都癲狂院の護体室と共に、保護室の中にありて特異な存在でありました。

 
(躁狂室)

 昭和38年(1963)訪れしとき、昔日の面影を残す建物がありました。

(つづく)

| 小林靖彦資料 | 15:35 | comments(0) | - | pookmark |
スポンサーサイト
| - | 15:35 | - | - | pookmark |
コメント
コメントする









SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
LINKS
PROFILE