近代日本精神医療史研究会

Society for Research on the History of Psychiatry in Modern Japan
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小林靖彦資料紹介(11) 「精神病者治療所」(東京2)

 以下の後半では、東京都立松沢病院の歴史が書かれているが、記述にやや正確さを欠いている印象。

(つづきから)

3)加藤瘋癲病院
(東京市本郷区田町28番地)

 越前の人、医師加藤照業は、明治8年(1875)2月、東京市本郷区田町6番地で、精神病専門で開業。明治11年(1878)12月18日、田町28番地に移転し、病院を設立。日本最古の私立精神病院で「田町気狂い病院」として有名でありましたが、明治31年(1898)10月、失火し病室の一部焼失し焼死者6人を出す。


(加藤瘋癲病院)

 これよりさき明治25年(1892)10月に、東京府北豊島郡高田町に、一万五千坪の地所を獲し、患者千五百名を収容する大精神病院を建設せんと企てていた加藤は、責任を負って、12月5日廃院しました。

4)救育所

 明治5年(1872)、東京府知事は、本郷の加賀屋敷に救育所(約140名収容)を設け、其の癲狂室に精神病者を収容しました。

 明治6年(1873)2月5日、上野の護国院跡に移転。明治8年(1875)養育院と改称。

[注:以上の記述は正確ではない。東京市中の浮浪者を収容するために、救育所が三田につくられたのは明治2年である。その後、三田以外に高輪、四谷見附にも同様の施設が設けられた。ここでは町会所の囲籾(かこいもみ)を使用して収容者への食糧支給が行われていた。だが、のちに町会所は廃止され、その財産は営繕会議所に引き継がれた。営繕会議所の附属機関として明治5年に本郷元加州邸跡に設立されたのが養育院である。この時、約240人の浮浪者が収容された。いったんは、浅草の長谷部善七のもとに預けられた収容者は、明治6年2月5日に護国院跡に移されたのである。cf.『養育院百年史』1974年]

 明治12年(1879)収容していた精神病者50名を、東京府仮癲狂院に引き継ぎ、神田区和泉町に移転。明治19年(1886)[注:正しくは明治18年]本所長岡町に移転。

 これ東京都立養育院の前身であります。

5)東京府仮癲狂院

 明治12年(1879)6月、上野養育院内病室の一部に精神病室が設けられ、養育院移転後、東京府仮癲狂院(100床)となる[注:呉秀三(1912)も「仮癲狂院」という呼称を過去遡及的に使ってはいるが、当然ながら、最初から「仮・・・」を正式名称としていたわけではない。正式には、あくまで「東京府癲狂院」である]

 明治14年(1881)8月、本郷東片町1番地に移転し、東京府癲狂院(150床)となる。敷地三万二百六十四坪余、建坪六百八十二坪余であり、入院患者は、躁狂、鬱狂、偏狂、痴狂に分類され、治療法として臭剥、抱水クロラール、ヒオスチアミン、コデイン、灌水がありました。


(東京府癲狂院)

 明治19年(1886)6月、小石川区駕籠町45番地に移転。明治22年(1889)3月東京府巣鴨病院と改称。敷地一万七千九百九十一坪[注:小林が参照したであろう呉(1912)論文では、一万七千三百四十八坪とある]余、後、二万二千九百三十一坪余であった。


(東京府巣鴨病院病棟)


(東京府巣鴨病院病室)

 明治35年(1902)作業療法(農業、植物培養、牧畜、編物、裁縫、洗濯、紙漉、紙捻細工、状袋張、機織、造花、麻継)を始め、構外運動の制を定め、患家の希望などにより患者を外出せしめました。


(機織)


(構外運動)

 明治38年(1905)、仮出院の制を設け、1週間以内の外泊を許可することとしました。

 明治42年(1909)3月、院内児童のため小学校を設け、修養学院と称しました。

 大正8年(1919)荏原郡松沢村に移り、東京府立松沢病院と改称。敷地六万千五百三十一坪である。

 昭和18年(1943)東京都立松沢病院となり、今日に至っております。(東京都世田谷区上北沢2-1-1、1470床)


(東京都立松沢病院)

(つづく)

| 小林靖彦資料 | 13:23 | comments(4) | - | pookmark |
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コメント
吉田様

コメントありがとうございました。

「東京府癲狂院の写真(もしくはそれに類する写真)が載っている紙媒体の資料」についてのお答えです。

東京府癲狂院が上野にあった時代の写真は、私が知る限り存在しません。図面のみです(もしかして、養育院関係の資料のなかで写真を見出すことができるかもしれませんが…)。

他方、上野から移転して向ヶ岡、さらに移転して巣鴨にあった時代の東京府癲狂院の写真は多くの資料に掲載されています。

たとえば、呉秀三「我邦ニ於ケル精神病ニ関スル最近ノ施設」(1912年、ただしこの発行年に関する書誌情報が誤って1907年と書かれている場合があるのでご注意)には、向ヶ岡と巣鴨の写真があります。
この文献にはいくつかの復刻版があるので、大学図書館などで手にすることができるでしょう。

また、手前味噌ながら、私が編者の一人になっている岡田靖雄・小峯和茂・橋本明編『精神障害者問題資料集成 戦前編 第1巻』(不二出版、2010年)に所収されている、「東京府立松沢病院ノ歴史」にも同様の写真が掲載されています。この文献も多くの大学図書館が所蔵しています。

あるいは、岡田靖雄『私説 松沢病院史』(岩崎学術出版社、1981年)にも写真があります。

まあ、そんなところです。
他にもありますが、省略します。
| aha | 2012/11/14 9:31 AM |
はじめまして。突然のメール失礼します。
大学の発表資料の関係で癲狂院を調べていた所、このサイトに辿り着きました。
この東京府癲狂院の写真(もしくはそれに類する写真)が載っている紙媒体の資料を探しています。
何かご存じないでしょうか?
| 吉田 | 2012/11/12 10:50 PM |
加藤様

コメントありがとうございました。
ご先祖の方からご連絡いただき、とても光栄です。

加藤照業については、呉秀三『我邦ニ於ケル精神病ニ関スル最近ノ施設』(1912年)に比較的詳しい記述があります。
なお、この文献は国立国会図書館の近代デジタルライブラリーにも収められおり、誰でも閲覧できます。
近代デジタルライブラリーのページ(http://kindai.ndl.go.jp/)にて、上記文献を検索してみてください。
本文が見られると思います(よく見られない場合はお知らせください。スキャン画像をお送りいたします)。
加藤照業の記述は、このなかの<92/134>から<94/134>ページにあります。

何か詳しい情報などがありましたら、またご連絡ください。
今後ともよろしくお願いします。

橋本 明(愛知県立大学教育福祉学部)
| aha | 2011/08/25 9:26 AM |
はじめまして、祖先にあたる方で明治の初め東京に出まして
病院を開業したと聞いておりましたので、加藤照業で入力いたしましたところ、このページがでました、越前の国(現在は福井県鯖江市ですが)からどのようにして上京しどのように開業したのか分かりませんが、そのような資料は残っていないのでしょうか、病院の鳥瞰図の同じものが家に残っています、その子東京市会議員をしたと聞いています加藤陽一の
手紙などがあるのみで詳しいことは、今となりましては分からない状況で、なつかしくも存じましてコメントさせていただいた次第でございます。       敬具
| 加藤忠広 | 2011/08/24 12:22 PM |
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