近代日本精神医療史研究会

Society for Research on the History of Psychiatry in Modern Japan
図書館への旅(15)愛媛県立図書館

(愛媛県立図書館の裏手から、急峻な山に鎮座する松山城がよく見える)

毎年この時期になると、少し遠くの図書館に行きたくなる。
去年は島根県だった。
今年は愛媛県。
愛媛県に足を踏み入れるのはこれが初めてではないか。

愛媛県立図書館には過去に世話になったことがある。
かつて全国の公立図書館に問い合わせて、精神病者監護法の施行手続を集めようとしたことがある。
愛媛県からの回答は、「資料はあるが、コピーをするには来館してもらう必要がある」というものだった。
だが、名古屋から松山までは、そう簡単には行かれない・・・

グズグズしていたら、お情けか何かは知らないが、図書館からコピーが送られてきた。
遠方から呼びつけるのも不憫に思ったのかもしれない。
それ以来、愛媛県立図書館には親近感を持っているのだ。


(NHKのドラマ「坂の上の雲」のポスターが・・・)

図書館での文献調査のポイントはいくつかある。
ひとつは愛媛県に戦前からある(戦前にあった)精神病院について。
また、松山、今治、宇和島にあったという精神病者収容所・監置室について。
さらには、呉秀三の1912年の論文に掲載され、現在の新居浜市にあったと考えられる神道修正派の施設での精神病治療について。
これらの調査結果については、いずれ何らかの形で公表することになるだろう。


(図書館の近くで見つけた「正岡子規誕生邸址」の碑)

ところで、蛇足をひとつ。
図書館での作業に先立ち、昼ごはんをたべようと街をぶらついた。
ファーストフードでいいやと思っていたのだが、これがなかなか見つからない。
やっとミスタードーナツを見つけた。
そこを目指していく途中、「正岡子規誕生邸址」という石碑に出くわし、思わず写真を撮った。
NHKの「坂の上の雲」で子規を演じた香川照之に、なぜか私が似ているということになっていて(近所の歯医者の受付で言われたくらいだが)、最近は子規に親しみを感じているところである。
| 図書館への旅 | 23:29 | comments(0) | - | pookmark |
図書館への旅(14) Staats- und Universitätsbibliothek Carl von Ossietzky

名称が"Staats- und Universitätsbibliothek Carl von Ossietzky"と長いが、要するにハンブルク大学の構内にある総合図書館である。
ここにもワイガント(Wilhelm Weygandt, 1870-1939)の関連調査で訪ねることにした。

ワイガントは多才な人であった。
大学では最初は哲学や文学を専攻し、次に心理学もやり、最後は医学を学んだ。
そんな背景もあってか、生涯で詩集を何冊か出している。
そのうちの一つが1931年に出版された"Auf Bergen und Meeren"(『山と海で』とでも訳すべきか)である。
前年の1930年に日本を旅行した時の印象などを中心にした詩集らしい。

この詩集の一部(と思われるもの)が、昭和8年の『神経学雑誌』(第36巻)に、ドイツ語原文と日本語訳とが併記される形で掲載されている。
「樫田五郎訳」、「齋藤茂吉閲」、となっている。
私宅監置調査で呉秀三とともに名を連ねている樫田は、ワイガントのもとに留学したことがある。
一方、齋藤は呉のもとで学んだ精神科医であり、歌人であったことは言うまでもない。
ただ、どうしたことか、『神経学雑誌』では、"Auf Bergen und Meeren"ではなくて、"Aus ...."となっている。
単純な書き間違いとは思うが、"Aus"にしてしまったおかげか、日本語の題名は『山と海から』となっている。
まあ、そんな細かいことはどうでもいいから、原本が見たい。
ホテルからハンブルク大学をめざして歩くことにした。


(朝早く、まだ人通りもまばらなハンブルクの中心街で)


(地下鉄に乗るわけでもないのに、駅をぶらいついた)

上の写真のように、9時の開館まで時間があるので、街をぶらついた。
少々道に迷いながら、ハンブルク大学の構内に到達。
わりと雑然としたキャンパスである。
ドイツの大学では比較的後発の、1919年創立ということも関係あるのか。
あるいは、第二次世界大戦で徹底的に破壊されたのか。

図書館に入り、インフォメーションの人に来館の意図を告げる。
すると、「この本は少し離れた書庫にありますから、見られるのは・・・」と、私がこの街にもういない日付を言う。
私のがっかりした顔を読み取ってか、「何か問題でも?」と、その人。
どうしようもないので、すごすごと退散するほかなかった。
この本、日本でもう一度探してみよう。
どこかにあるかもしれない。


(Staats- und Universitätsbibliothek Carl von Ossietzky)

というわけで、「図書館への旅」と銘打ちながら、あとはハンブルク観光の話になる。

図書館から少し歩いたところに、紫色のつぼみをもった草花が一面に生えていた。
思わずカメラを地面に接近させて撮った(下の写真)。
ところが、この場所はかつてハンブルクに住んでいたユダヤ人を追悼すための広場だった。
彼らはここからナチスの強制収容所に送られたのである。
おそらく貨車に詰め込まれたのだろう。
いまでもすぐ近くを鉄道が走っている。


(「強制退去させられたユダヤ人のための広場」)

港を目指すことにした。
再び街の中心街を抜けて、どんどん進むと、印象的な建築群に出くわした。
企業のビルのようである。
有名な建築家が設計したものなのだろうか。


(印象的なビル群)

このビルのすぐ向こうが港になっていた。
港を周遊する船に乗るのがハンブルク観光の目玉らしい。
あちこちで乗船切符を売る人の声がする。
それにしても今日は寒い。
こんな日にクルーズは気が進まない。


(ハンブルクの港で)

寒くて寒くて、歩くのはやめて、地下鉄に乗って中央駅へ向かう。
駅の周辺の店をめぐる。
本屋に行ったり、デパートに行ったり。
あれこれ見ているうちに、購買意欲が高まってくる。
本を何冊か、それから、コーヒーや紅茶、文房具などを衝動的に買ってしまった。

ある本屋のショーウィンドーを見ると、日本に関する本ばかり。
最近、ドイツのマスコミでは、地震の影響で日本の露出度が急に高まっている。
それに便乗して、「日本を売ろう」ということなのか。


(すべて日本関係の本)

| 図書館への旅 | 00:51 | comments(0) | - | pookmark |
図書館への旅(13) Staatsarchiv Hamburg つづき
 
(ハンブルク中央駅で)

ハンブルクにハンバーガーの起源があるのかどうか、不勉強で知らない。
とにかく、「ピルス(ビール)にソーセージ」気分だったので、注文。
それらを口にしながら今日を振り返る。

泊まっているホテルがハンブルクの中央駅に近いので、どうしても一日はここから始まる。
文書館が開くまでに時間があり、またもや駅構内のマクドナルドへ。
絵葉書を書くことにした。

昨年、南ドイツで行われた精神医学史関係の学会で講演をした際に、一人の「元患者」から分厚い美術書をプレゼントされた。
私の「趣味」を関係者から聞いたらしい。
その後も手紙のやりとりがあって、その返事をここで書こうと思ったのである。
ハンブルクの夜景の絵葉書にお礼を書いて、ホテルのフロントで買っておいた切手を貼って出来上がり。
そして、日本から持ってきた新書を読んで時間をつぶす。


(駅構内のマクドナルドで)

Staatsarchivには、また早く着きすぎてしまった。
あたりを一周し、10時に中へ。
昨日予約しておいた、精神科医ワイガント(Wilhelm Weygandt, 1870-1939)の資料にざっと目を通したが、決定的な新事実があるわけではない。
これは、どうも空振りだ。
そんな気分で閲覧室を出て、昼ごはんにする。

昼ごはんといっても、文書館のロッカールームの片隅に数席ある椅子にすわって、ホテルの朝食のあまりで作った簡単なサンドウィッチを食べるのみ。
それに、50セントのコーヒー。
このスペースには、コイン式のコーヒーメーカーが置いてある。

閲覧室にもどり、気分あらたに資料をもう一度丁寧に読む。
すると、いくつかの文書に共通のキーワードに気がついた。
そのキーワードに着目すると、ここにも、そこにも、と見つかるものである。
「これなら行けるかもしれない」と一人合点して、必要な部分のコピーを依頼した。

こうして、文書館を後にし、冒頭の「ピルスにソーセージ」にたどりつくわけである。


(Staatsarchiv Hamburgの入口付近)
| 図書館への旅 | 07:44 | comments(0) | - | pookmark |
図書館への旅(12) Staatsarchiv Hamburg
ハンブルク大学教授で精神医学者のワイガント(Wilhelm Weygandt, 1870-1939)の資料を探しにハンブルクに行くことにした。
地震の影響で成田空港は込み合い、搭乗した飛行機は数時間遅れてフランクフルトに到着。
ハンブルクへの乗り継ぎ便に乗れず、航空会社が用意した後発の便にも、タッチの差で間に合わなかった。
それでも、なんと目的地にたどり着いた。

ワイガントは1930年に日本を訪れた。
同年、ワシントンD.C.で開かれた第一回国際精神衛生会議にドイツ代表の一人として出席し、その帰途にハワイ経由で日本に立ち寄ったのである。
東大や京大などで講演を行うとともに、京都の岩倉も訪れた。

わが国では、とても親日的な人物として記憶されている。
だたし、その親日的な態度が、彼のドイツ民族至上主義的な思想と密接に結びついていたことは、あまり論じられない。
その本質を明らかにしたい、というのが調査目的のひとつである。

日本から見たい文献を予約していた。
この文書館のホームページに目録の概略があり、ある程度は必要な資料を絞り込むことができる。
だが、最終的な資料名・資料番号は現地で確かめないとわからないようだった。
幸いなことに、ワイガントに関する研究書としてしばしば引用される、Elisabeth Weber-Jasperのモノグラフ("Wilhelm Weygandt (1870-1939): Psychiatrie zwischen erkenntnistheoretischem Idealismus und Rassenhygiene", Matthiesen Verlg, 1996)がある。
ここにStaatsarchiv Hamburgの資料の詳細が載っている。
その情報を文献予約の申込書に記入して、Staatsarchivに添付ファイルとしてメールで事前に送ったのである。

さて、開館までは時間があったので、中央駅のマクドナルドで休憩。
コーヒーを飲みながら今日の段取りなどを考える。

 
(ハンブルクのHauptbahnhof[中央駅]構内のマクドナルドで)

さて、中央駅から地下鉄に乗ってStaatsarchivへ。
利用者登録を済ませ、用意されているはずの資料を受け取ろうとして少々がっかり。
係りの人が言うには、見つけられない資料がいくつかあったという。
「もう一度、目録を見て、請求番号を確かめてくれ」という。

そこで、壁一面に収まっている目録を確かめると、Weber-Jasperのモノグラフの巻末にある資料名の表記が、かなり不正確であることがわかった。
これでは、正しい資料が出てくるわけがない。
結局、正しい資料名・請求番号を探したものの、資料が出てくるのは翌日になってしまった。
まあ、こんなことはよくある。
やはり、現地に足を運ばないとだめだ、ということだけは確認した。


(Staatsarchiv Hamburg)
| 図書館への旅 | 06:06 | comments(0) | - | pookmark |
図書館への旅(11) 奈良県立図書情報館
 
(奈良県立図書情報館)

JR奈良駅を降りて西口に出た。
明らかに、うら寂しい雰囲気が漂っている。
奈良に来る観光客たちは東口に出て、東へ東へと向かう。
しかし、西口から、図書館、いや図書情報館への道のりには、古都らしきものは一切ない。
本当になにもない。

それぞれの都道府県には、それぞれ独自の精神医療史があって、興味が尽きない。
奈良県で目立つのは民間の精神病者治療所の多さである。
内務省が行った昭和3年および4年の「精神病者収容施設調」を整理してみると、奈良県にあったとされる民間の収容施設は15ヶ所。
他府県と比べると格段に多い。
しかも、どれも宗教(さらに、いわゆる新宗教・新興宗教)と深く関わっているようである。
まず、この資料を集めたい。
以前ここで紹介した奥不動寺もそのような施設のひとつだが、もっと資料はないものか。

これとは別種の資料も見たかった。
奈良県立図書情報館は公文書館の機能も果たしており、公文書資料も充実しているようだった。
その中で、事前に検索してあった行旅病人・死亡人の資料が気になった。
言うまでもなく行旅病人・死亡人とは、ホームレス状態で病気になったり、行き倒れて死亡したりした人たちのことである。
この中には、当然ながら精神病者も含まれていたはずである。

奈良県社会課でまとめられた昭和10年あたりの文書綴りをめくりながら、当時の行旅病人・死亡人どんな人たちだったのかよくわかった。

死亡人でとくに多いのが自殺(その中でとくに溢死)である。
ある人は山林で首をつり、腐乱した状態で村の人に発見された。
身元がはっきりせず、役場が死体の処理をすることになる。
山から死体を運搬するための人夫賃、仮に土葬するための費用、地元の新聞に掲載する死亡広告料が、記録されている。
いったん役場が立て替え、その後、役場が県に請求するしくみになっている。

精神病者の事例も見つけた。
東北地方から出てきて、奈良県で働いていたその人は、早発性痴呆(いまでいう統合失調症)に罹患する。
仕事をやめると、食費が稼げず、食うや食わずの生活。
役場は行旅病人として取り扱うことにした。
暴行などはないので家で静養していたが、やがて本籍地である東北地方のとある県に帰郷した。

もうひとつ精神病者の事例。
奈良県内の省線(のちの国鉄、いまのJR)の駅構内で徘徊・挙動不審の人が駅員の通報で警察へ。
精神の異状が認められ、保護検束される。
行旅病人として取扱処理されることになった。
ただし、その後どうなったのかの記述はなく、転帰は不明である。

朝から図書情報館で作業をしてきたが、気がつけばあたりは真っ暗。
腹も減ってきた。
館をあとにし、暗い道を近鉄の新大宮駅方面に向かって歩く。
そのあたりに宿をとったので。
| 図書館への旅 | 21:24 | comments(0) | - | pookmark |
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