近代日本精神医療史研究会

Society for Research on the History of Psychiatry in Modern Japan
トリップ・トゥー・ピッツバーグ

先月の9月28日と29日にアメリカ・ペンシルベニア州にあるピッツバーグ大学で、"From Madness to Medicine in Japanese Culture" をテーマにした小さな研究集会が開かれた。

せっかく「なにか話してもらえませんか」と声をかけてもらったし、テーマは私の関心領域そのものなので、万難を排して参加することに決めた。

ただ、勤務先大学の大学院入試の日程と近接し、かなりタイトなスケジュールだった。

 

(ピッツバーグ大学の Cathedral of Learning。ピッツバーグのシンボルのような存在。)

 

研究集会の日までは、2、3日あったので、史跡を探訪。

アメリカの州立精神病院の歴史には興味があるが、自分には未開拓の領域である。

そこで、ピッツバーグ近郊の Dixmont State Hospital の遺構を訪れた。

今回の集会のホスト役である、ピッツバーグ大学の Clark さんが車で案内してくれたのは助かった。

その際、この病院の歴史を紹介する参考文献("Dixmont State Hospital"、以下の写真)も借りてきてくれた。

 

(Mark Benton:Dixmont State Hospital, Arcadia Publishing, 2006 の表紙)

 

この "Dixmont State Hospital" および "The Institutional Care of the Insane in the United States and Canada, vol. III" (1916, reprint 1973) の記述から、この病院の歴史を拾い上げてみたい。

 

そもそも Dixmont State Hospital は、1853年にオープンした Western Pennsylvania Hospital の Department of the Insane に遡る。

しかし、この Department of the Insane の患者が増加したため、ピッツバーグの郊外に全面移転するにことになった。

精神医療改革者として知られる Dorothea Lynde Dix の提案にもとづき、オハイオ川をのぞむ小高い丘の上が病院用地に選ばれ、1862年に Western Pennsylvania Hospital for the Insane として開院した。

その名称は、Dixmont Hospital for the Insane(1907年)、Dixmont Hospital(1921年)、Dixmont State Hospital(1945年)と変更されている。

 

初代院長の Joseph Allison Reed(1884年、院長として在職時に死去) は、患者の作業活動を推し進め、病院の美化に努めることを信条としていた。

その後も、州からの病院予算が年々削られていくなかで、Reed の精神は病院スタッフやボランティアに引き継がれていく。

1966年に Robert Weimer が4代目の院長すると、「ディックスモント・ルネサンス(Dixmont's Renaissance)」として知られる時代が始まった。

病棟の窓から鉄格子が廃止されるなど病院の開放化が進み、地域の人々が病院の諸活動に積極的に関わるようになった。

 

しかし、州当局は、維持費がかさむ病院の閉鎖を考え始めていた。

1960年代はじめには、病院側がさらなる資金援助と病院の改修を盛んに州に求めていたが、実現しなかった。

そして1972年、州は Dixmont State Hospital の閉鎖計画を発表。

市民から抗議の声があがり、いったんはその計画も見直されたが、結局は1984年に閉鎖となった。

1940年末の在院患者は1200人以上だったが、1967年末には745人、1977年末には362人にまで減少していた。

閉鎖時点で残留していた患者177人は、別の2ヵ所の州立精神病院(Woodville and Mayview State Hospitals)に移された。

閉鎖後もしばらくは建物は残されていたようだが、2006年までにはほぼすべてが解体され、敷地は更地となり、現在に至る。

 

以上がおおまかな歴史である。

つまり、歴史的な建物は全く残されていない(厳密にいえば1971年に建てられたという The Cammarata Building はいまも存在し、その一部が子ども関係の通所施設に転用されているようだった)。

 

というわけで、下の写真が病院が建っていた丘である。

 

(かつて病院があった場所)

 

また、病院敷地のすぐ脇を Route 65 が走り、この Route 65 に平行して鉄道が走っている。

さらに、鉄道の向こうにはオハイオ川が流れている。

 

下の写真は、線路と背後のオハイオ川を写したもの。

写真を写したのとは正反対の方向(つまり撮影している私の背中の方向)が、病院の敷地となる。

かつては鉄道の駅(Dixmont Station)もあったので、便利な立地だったといえよう。

 

(鉄道とオハイオ川)

 

ところで、病院敷地の丘の上には、患者を埋葬した墓地が残っているというので行ってみることにした。

ただ、車で行くには、かなりわかりにくい場所にあり、運転していたClark さんにはかなり手間をかけてしまったかもしれない。

やっとたどりついた墓地に入口に、"DIXMONT STATE HOSPITAL CEMETERY" の碑が立っていた。

 

(墓地の入口に立つ追悼碑)

 

追悼碑の側面には墓地の由来が書かれていた。

下の写真にあるように、1863年から1937年にかけて、ここに1,300人以上の患者が埋葬されたという。

 

(追悼碑の側面に書かれている墓地の由来。碑文には1937年3月8日までの埋葬患者とあり、第二次世界大戦の veterans も含まれるとあるが、時期的に合わない気がするのだが…)

 

森の中のあちこちに、墓標が立っていた。

そこには、個人の名前はなく、ただ数字だけが彫られていた。

 

(点在する墓標)

 

森の中は静まり返っていて、落ち葉が地面に着地するときの、カサッ、カサッという、妙に乾いた音だけが響いていた。

その音に聞き入りながら、しばらく時間が経つのを忘れて、放心状態(単に時差ぼけか)。

 

最後に、本来の目的であった、研究集会 "From Madness to Medicine in Japanese Culture" について。

とても小さな集まりなのに、当日会場にいくと立派なプログラム冊子が用意されていた(下の写真)。

 

 

プログラムに書かれている登壇者のテーマを書き写して、内容紹介に代えたいと思う(なお、実際の発表時には、テーマ・タイトルに多少の変更はあった)。

 

Thursday September 28, 2017

 

Neither Religion nor Medicine: Knowledge from Experience - A New Dimension of Treatment and Care for Mental Patients in Modern Japan

HASHIMOTO AKIRA  Aichi Precfectural University

 

A Literary Marketplace for Hysteria in Japan, 1910s - 1920s

YUMI KIM  Johns Hopkins University

 

Beyond Iwakura: From Madness and Monasteries to Insanity and Mental Institutions

JAMES ROBSON  Harvard University

 

The Soma Incident: Medicine, Madness, and the Problem of Rights in Meiji Japan

SUSAN L. BURNS  University of Chicago

 

Curing Shinkei Suijaku (Nervous Exhaustion) in Late Meiji and Taisho

HIROSHI NARA  University of Pittsburgh

 

Writing Madness in Early Showa Fiction

NATHEN CLERICI  State University of New York, New Paltz

 

Friday September 29, 2017

 

Shigehira: Remembering the Burning of Nara on the Noh Stage

ELIZABETH OYLER  University of Pittsburgh

 

Observing Mental Affliction in Pre-Modern Japan

ANDREW GOBLE  University of Oregon

 

One Hundred Years of Melancholy in 20th Century Japanese Literature

CHARLES EXLEY  University of Pittsburgh

 

From Buddhist Practice to Psychiatric Intervention: How Naikan Meditation Came to be Used in Japanese Mental Hospitals

CLARK CHILSON  University of Pittsburgh

 

以上である。

冒頭で述べたように、勤務先大学の入試業務があったので、プログラムの途中で退散しなくてはならなかったのは、なんとも残念だった。

 

おまけ。

最後の最後、last but not least.

ある時から動物園巡りに凝りだしたのだが、ピッツバーグにも動物園があることがわかり、是が非でも行かねばと考えた。

ピッツバーグ大学近くの Fifth Avenue からバスに乗り、終点の Highland Park で下車。

ここまで来れば「獣の臭いがする」と聞かされていたので(それは確かだった)、場所はすぐわかると思っていた。

が、標識らしきものはなく、さんざん道に迷って、最後は公園を散歩していたおばさん(偶然だが、動物園のパスを購入しているほどの事情通だった)に道を尋ね、なんとか動物園に到達。

以前のブログで言及したプラハの動物園に続いて、ピッツバーグでもゴリラ見物が主たる目的である。

下の写真にあるように、ピッツバーグ動物園のゴリラ(ローランド・ゴリラ)は5頭である。

望遠レンズをもっておらず、デジカメで写したゴリラは黒い点くらいにしか見えず、ゴリラ舎のところにあるゴリラ・クイズの画面を紹介するにとどめたい。  

 

 

| フリートーク | 09:41 | comments(0) | - | pookmark |
プラハの夏、またはチェコ精神医療史的紀行

二年に一度、夏に欧米の諸都市を巡って開催される国際学会がある。

参加費が高く、周到に組織された集まりともいえず、しかも、いつも大学の前期の授業期間に重なるので、何度か「引退」を考えた。

しかし、なぜか演題募集の時期になると、どこからともなく誘いの声がかかり、今回も発表することになってしまった。

それで、プラハの夏、ならぬ、夏のプラハにやってきたのである。

 

(会場のカレル大学 [Univerzita Karlova] の法学部。日程の最終日で、閑散としている。)

 

学会の詳細はリンクを見てもらうのが手っ取り早いだろう。

学会もいいが、チェコの精神医療史にまつわる「史跡」巡りも悪くない。

ここでは、その話をしたい。

 

プラハを中心都市とするボヘミア王国で、最初に精神病院(癲狂院 Tollhaus)が作られたのは1790年だという。

当時のボヘミアはオーストリア帝国の傘下にあり、皇帝ヨゼフ二世は帝国内の主要都市に総合病院を整備した。

プラハに総合病院が作られたとき、同じ敷地内に精神病院も開院したのである。

 

その後、1880年代にチェコの精神医学に一大変革が起こる。

ヨーロッパで最も古い大学のひとつとされるプラハのカレル大学では、講義はすべてドイツ語で行われてきた。

しかし、1881年からドイツ語とチェコ語を使う二つの大学への分離がはじまる。

カレル大学精神科のホームページによれば、チェコ語による精神医学の講義が始まったのは1885年であり、チェコ語大学の精神科病棟の始まりは1886年(11月19日)とされる。

この病棟の最初の教授が Benjamin Čumpelík (1845-1909) である。

当時から使われていたという、その歴史的な病棟を訪ねることにした。

 

(Vltava に架かる橋で)

 

宿泊先のホテルがある Anděl から東へ向かい、Vltava に架かる橋を渡る。

右に折れてしばらく歩き、Apolinářská という狭くて上り坂になっている通りを登りきり、Ke Karlovu という別の通りを左に曲がる。

やがて、Psychiatrická klinika の看板が見えてきた。

通り沿いには門はなく、誰でも自由に入れる。

下の写真が精神科の歴史的な建物である。

 

(塀の向こうに通じる入口も開いているが、部外者が入るのはどうかと思い、外側からのみの見学。)

 

(建物の裏に回ってみた。)

 

精神科に知り合いがいるわけでもなく、アポなどはもちろんとっていないから、外観や周囲の雰囲気を確認しただけだ。

周囲といえば、通りを挟んでほぼ反対側に、チェコの国民的作曲家ドヴォルザーク(ドヴォルジャーク/ドヴォジャーク Antonín Dvořák)の博物館があったが、今回はパスした。

精神医療史とはまったく無関係ではない、別の場所にどうしても行きたかったのである。

以前「プラハの精神病院とコンテンポラリーアート」という記事で、チェコのコンテンポラリー・アーティスト Eva Kotátková がプラハの精神病院(Psychiatrická nemocnice Bohnice)で行った展示とパフォーマンスについて紹介した。

以来、このアーティストが気になり、彼女の作品をいくつか所有しているらしい hunt kastner というギャラリーを訪ねることにした。

 

上記のカレル大学精神科から歩いて hunt kastner をめざす。

中央駅(hlavní nádraží)を越えてしばらく行くと、急坂になっていた。

どうもプラハには坂が多い。

Bořivojova という通りの 85番 にそのギャラリーはあった。

間口は狭く、静まり返っていて、なんとなく入りにくい。

時間を確かめてきたはずだが、本当に開いているのか…と、不安な気持ちで入口のベルを押す。

 

(hunt kastner の入口で)

 

すると、愛想のいい女性が出てきて、対応してくれた。

来訪の意図を告げると、棚に保存されているいくつかの Eva Kotátková の作品を見せてくれた。

大部なカタログがあるというので、迷わず購入。

これだけで、結構、満足、満足。

ギャラリーは中庭に通じていて、その先にも作品展示用の建物があった。

 

(hunt kastner の中庭。手すりが見えているレベルに、ギャラリー本部とは別の作品展示用建物がある。)

 

精神医療とはほとんど関係はないが、プラハから鉄道で2時間半くらい、モラヴィア地方の中心都市ブルノ(Brno)にも行きたい場所があった。

メンデルの法則で知られる Gregor Johann Mendel が在職していた修道院(英語では Old Brno Abbey)である。

 

(ブルノの中心街)

 

かつて植物学を専攻していた身としては、聖地巡礼のようなものか。

などと言いながらも、事前にろくに場所も確認せず、ブルノの街中を適当に歩いてインフォメーションを見つけ、そこで手に入れた地図を片手にうろうろ。

途中、激しい雨に降られながら、目的地にたどり着いた。

修道院の一角がメンデル博物館になっている。

 

(メンデル博物館が入っている建物。大きな木の下にメンデルの白い石像が見える。)

 

博物館の展示物はそれほど多いとは言えないが、メンデルが植物学だけに限らず、気象をはじめとするさまざまな自然現象に強い関心を持っていたことがわかった。

「観察魔」と言えるかもしれない。

 

(修道院の庭にあるメンデルのポップな肖像)

 

博物館でもらった小冊子に面白い記述があった。

ここを訪れる日本人の多くが、メンデルの養蜂について知りたがっているというのである。

それは、学校の教科書に載っているからだと。

私は知らなかったが、そういうエピソードが書かれた(理科の?)教科書もあったのだろう。

 

植物の話題が出たついでに、動物についても一言。

上で述べたプラハ大学精神科の近くで、"Richard"と書かれたゴリラの看板を見た。

プラハ動物園の広告だが、どうやらここにもイケメン・ゴリラがいるらしい。

地下鉄C線の Nádraží Holešovice 駅で降り、112番のバスに乗り換えて動物園へ。

 

(動物園の中で見つけた Richard の写真)

 

この動物園には、ゴリラ(ニシローランドゴリラ)が8頭いる。

このファミリーの中心にいるのが、Richard らしい。

 

(Richard は腕組みをして遠くにおり、撮った写真はこの程度。)

 

最後に、The National Gallery in Prague (Národní galerie v Praze)で開催中の Ai Weiwei の展覧会について。

難民をテーマにした、かなりインパクトがある展示である。

ネタバレになるかもしれないので詳細を紹介することは自粛したいが、ひとつだけ。

ギリシアの難民キャンプ(Idomeni Camp)に残された衣服や靴が大量に集められ、洗濯され、分類されたものが、展示会場いっぱいに並べられていた。

難民キャンプでの生活や、そこから強制排除されるまでの様子、さらに集められた物品をベルリンのスタジオで整理する過程を記録した映像に、来場者は釘付けになったと思う。

 

(撤去された難民キャンプに残されていた靴)

| フリートーク | 16:24 | comments(0) | - | pookmark |
オックスフォードの研究会 “Alcohol, Psychiatry and Society”

以前このブログでオックスフォードの記事を書いた。

その時と同じ場所(St Anne's College, Oxford)で、この6月29日・30日に小さな研究会があった。

テーマは、"Alcohol, Psychiatry and Society"である。

 

(会場のセミナールーム)

 

「アルコール依存の歴史や文化に関する演題があったら抄録を送って」という主催者のメールに応えて、とにかく何かを送ることにした。

それが2ヶ月くらいまえのこと。

かなり昔のことだが、グループワーカーなどという怪しげな立場で、東京23区内の某保健所が定期的に開催する「断酒教室」のお手伝いをしたことがある。

また、毎夜毎夜、都内のどこかで、必ずや開かれている断酒会の例会を、(研究上の目的で)1ヶ月間にわたって転々と巡ったこともある。

だから、アルコールのネタがないわけではない。

 

当初は、きわめて日本的なセルフヘルプグループと考えられる断酒会、およびそれに先立つ明治・大正期の啓蒙的な禁酒運動(いわゆるtemperance movement)などをつなげて抄録を作った。

が、主催者より、もっと医学的な治療を前面に出してほしいとの要望があり、結局、第二次世界大戦後の薬物治療や精神病院での社会復帰プログラムの歴史を加味したものへと変更することになった。

 

他の登壇者のタイトルについては、かなり直前になって届いたプログラムで知ったわけだが、その中で自分の扱う時代が一番新しいようだった。

また、研究会当日の発表を聞いて、アルコール依存の医学的理解(medicalization)に関する歴史的文脈、アルコール問題と国家や政治あるいはコロニアリズムとの関わり、などについての内容が多かったと感じた。

他方、わたしの日本における薬物治療の話は、いったいどう受けとめられたのか……と、やや怪訝に思うのである。

 

ま、それはともかく、参考までに登壇者、所属、およびテーマは以下のとおりである(これらは事前のプログラムを参照したものであり、当日の内容には若干の変更があった)。

 

David Korostyshevsky, History of Medicine, University of Minnesota, USA

“From Aqua Vitae to Poison: The early-modern transformation of alcohol in the Anglo-phone world”

 

Aude Fauvel, History of Psychiatry, Institut universitaire d’histoire de la médecine et de la santé publique, University of Lausanne, Switzerland

“Alcoholic Beasts: Alienists and the Problem of Animal Drunkenness in Nineteenth-century France”

 

James E. Moran, History, University of Prince Edward Island, Charlottetown, Canada

“Alcohol and Alienation in New Jersey, c. 1810 to 1890”

 

Mauricio Becerra Rebolledo, History of Science, CEHIC, Universitat Autónoma de Barcelona, Spain

“From nervous food to powerful agent of degeneration: Alcoholism and alcoholic psychosis in Rio de Janeiro and Santiago de Chile (1870-1920)”

 

Jasmin Brötz, History, University of Koblenz-Landau, Germany

“Healing the Nation’s Mind. The fight against alcoholism in the public discourse on rationalisation in late nineteenth and early twentieth- century Germany”

 

Simon Heap, History, Oxford Brookes University, UK

“ ‘In the Hot and Trying Climate of Nigeria the European has a Much Stronger Temptation to Indulge in Alcohol than the Native’: Alcoholism in Nigeria, c. 1880 to 1940”

 

Iain D. Smith, Consultant Addiction Psychiatrist, NHS GGC and Researcher, Centre for History of Medicine, University of Glasgow, UK

“ ‘Finish’ Drinking and ‘Secret Cures’: A Snapshot of Alcohol, Psychiatry and Society in Scotland in 1895”

 

Konstantinos Gkotsinas, History, University of Crete, Rethymnon, Greece

“ ‘Disciples of Asclepius ‘or ‘Advocates of Hermes’? Greek psychiatrists and alcohol at the turn of the twentieth century”

 

Adéla Gjuričová, History, Institute of Contemporary History, Czech Academy of Science, Prague, Czech Republic

“A Cradle of Psychotherapy: Alcohol addiction treatment in Socialist Czechoslovakia, 1948-1989”

 

Christian Werkmeister, History, Martin Luther University, Halle Wittenberg, Germany

“ ‘Doctor, now from face to face, answer quick: Will there be a diagnosis, or rather a verdict?’ Medical, moral, and political treatment of alcoholics in late Soviet psychiatry, 1970-1991”

 

Nina Salouâ Studer, History, University of Bern, Switzerland

“Assimilation by Alcohol: The role of France’s Mission Civilisatrice in the spread of alcoholism in twentieth-century Algeria”

 

Akira Hashimoto, History of Psychiatry, Aichi Prefectural University, Japan

“Medical and Social Approaches to Alcoholism in Post-WWII Japan”

 

Thomas Mueller, History of Psychiatry, Ulm/Ravensburg, Germany

“German psychiatry and medical attitudes to alcohol consumption, c. 1820-1990”

 

以上である。

 

(St Anne's College 内にある食堂の朝食が8時からと遅いので、近くをぶらぶら散歩。ともかく、ヒースロー空港とオックスフォードをバスで往復しただけの、とても短い旅行だった。)

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ボーダレス・アートミュージアム NO-MA を訪ねて

滋賀県の近江八幡にあるボーダレス・アートミュージアム NO-MA に行った。

このブログでは、これまでもアウトサイダー・アート/アール・ブリュット関連の記事をいくつか書いてきた。

だが、国内のミュージアムの話は、はじめてだと思う。

NO-MA はこの種のミュージアムの「草分け」のような存在だから、この領域の関係者でなくとも知る人も多いだろう。

なので、その成り立ちなどはあえて述べない。

詳細は上記のリンクを参照していただきたい。

 

(雪が舞う NO-MA の入口付近)

 

NO-MA に行くことになったのは、勤務先大学の関西方面への「学科旅行」のプログラムに組み入れられていたからである。

1台の貸し切りバスに学生と教員が乗って移動するのだが、乗り切れない教員は鉄道で現地に向かうことになった。

私はその「はみ出し組」の1人なのである。

名古屋から新幹線に乗り、米原で降り、在来線に乗り換えた。

あたりは一面の雪景色。

近江八幡駅を出たところで同僚2人と待ち合わせて、タクシーで NO-MA に行く予定だった。

ところが、私は米原で乗り換えるべき列車を間違えて、反対方向の近江塩津行きに乗り、終点まで気がつかなかった。

近江八幡方面にもどる列車は1時間に1本しかなく、集合時間に大幅に遅れるという失態。

NO-MA に着いたときには、学生も教員も次の移動先に向かうバスに乗り込む直前だった。

おかげで、ほとんど1人で見学することができた。

 

(NO-MA の建物)

 

展示スペースは、1階、2階、そして少し離れた土蔵である。

とてもコンパクトなスペースだが、和風の建物が心地よい。

受付の近くに並べられていた保坂健二朗監修『アール・ブリュット アート 日本』(平凡社、2013年)を買ったら、おまけで NO-MA が所蔵する作品のカード・セットをもらった。

ラッキーである。

 

(NO-MA の由来)

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台湾精神医療史紀行(おまけ・台北ビエンナーレ2016)

台北からもどって2週間近くがたって、いまさらながらの「台湾精神医療史紀行」の続編をアップしたい。

とはいえ、「おまけ」なので、もはや精神医療史からは逸脱し、調査と学会の合間に訪れた台北ビエンナーレのお話。

 

2014年にもこのビエンナーレを訪れており、今回が2回目。

ただ、前のブログで書いたように、台風の影響で、会場の台北市立美術館が2日間くらい閉館になったようだ。

それとも知らずに、のんきにMRT(地下鉄)を乗り継いで出かけたところ、その日が臨時閉館で、落胆して帰った。

次に日に出直した。

 

純粋にアートを楽しもうと思ったのだが、ちょっと仕事モードに引き戻される展示があった。

陳界仁 CHEN Chieh-jen の Realm of Reverberations である。

ごく簡単にいえば、台北近郊にある樂生療養院の保存運動を記録した一連の作品群である。

 

(ハンセン病関連の映像展示、台北ビエンナーレ2016)

 

樂生療養院は、日本の植民地時代の1929(昭和4)年に台湾総督府癩病療養楽生院として設立された。

いわゆるハンセン病療養所である。

多くの患者が隔離収容され、長期間にわたってそこに住むことを強いられた。

だが、1994年にMRT建設のために療養所の撤去が決まり、入所者は新病院に移されることに。

だが、慣れ親しんできた療養所以外に行き場がない、と考える入所者から、施設撤去に反対する運動が起こった。

というのが、きわめて大雑把だが、樂生療養院の保存運動の背景である(と私は理解している)。

 

ところで、―冒頭で「精神医療史からは逸脱し」などと書いたことに反するが― 台湾最初の精神病院である(私立)養浩堂医院が開設されたのは、樂生療養院と同じ1929年で、台湾総督府精神病院・養神院が発足したのが1934(昭和9)年。

法律については、行政諸法台湾施行令によって、日本本土の癩予防法が台湾で施行されたが1934年、この2年後の1936(昭和11)年には、日本本土の精神病者監護法および精神病院法が(一部修正されて)台湾でも施行されている。

こうしてみると、1920年代おわりから1930年代にかけての台湾では、ハンセン病・精神病に関する政策の大きな変化があったことになる。

 

著作権のこともあろうから、陳界仁 CHEN Chieh-jen の写真作品は掲載を控えて、樂生療養院関係のパネルの写真を下に載せておきたい。

私が一番興味深かったのは、樂生療養院の保存運動それ自体ではなく、それがビエンナーレという「現代アートの舞台」でほかの作品と同列に並んでいることである。

ごく普通に。

 

ただ、いろいろ調べてみると、樂生療養院とアートとの関係は深いようで、日本人アーティストもここでワークショップを行っている(たとえば https://jp.globalvoices.org/2009/06/20/984/)。

医療と現代アートとの関係は、ますます面白くなってきていることは確かなようだ。

 

(樂生療養院保存運動の概説パネル、台北ビエンナーレ2016)

 

(樂生療養院保存運動の概説パネル、台北ビエンナーレ2016)

 

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