近代日本精神医療史研究会

Society for Research on the History of Psychiatry in Modern Japan
戦後日本とアルコール依存症(5) 断酒か節酒か

1959年に東京で開催された日本医学会総会で、抗酒剤の開発者であるデンマークのヤコブソン(Erik Jacobsen)が講演し、「今日アルコール依存症患者の唯一可能な治療法とは、断酒させることであり、その断酒を生涯にわたって継続させること」だと述べたことは、以前のブログでも紹介した。

これまで話題にしてきたわが国の断酒会は、まさにヤコブソンの路線を堅持しているわけである。

だが、アルコール依存症からの回復には本当に断酒しかないのか、断酒がすべてなのか?

という疑義も当然あるだろう。

 

わが国でおなじみの抗酒剤シアナマイド(Cyanamide)の開発者である向笠寛は、1962年に発表した論文で、断酒(向笠は「断酒」ではなく「禁酒」という言葉を使っている)ではなく、抗酒剤を利用した節酒療法の有効性に言及している。

それによると、シアナマイド(以下、Cy)の量を何段階かに変えて服用させ、そのあと清酒を摂取した患者のアルコール反応(血圧、脈拍、皮膚温度をふくむ体調の変化)を計366回観察した結果、少量の Cy を投与した場合は、「ゆっくり飲酒させると、酒の味を損なうことなく、少量の飲酒を楽しませることができ」る、しかも「Cy は少量でもある程度あたえてさえおれば、病的酩酊があらわれなくなることは大きな利点」だと述べる。

つまり、Cy を大量に投与した場合には飲酒による身体反応は激烈となり、患者への負担も大きくなるが、Cy が少量ならば飲酒による身体反応は軽度で、かつ軽く身体反応があるため飲みすぎは抑制され、結果として少量であっても飲酒も楽しむことができるようになる、という理屈らしい。

 

途中の詳細は省くが、向笠はこの論文の終わりのほうで、上述のヤコブソンによる断酒が唯一の治療法であるという主張を紹介しつつ、それに反論する形で、「しかし、酒精中毒者たちにとって禁酒がいかに困難であるかは周知のとおりであり、これに常人並の飲酒を許し、それで充分満足できるように、酒精に対する耐量をさげてやることは、もっとも合理的な方法」だとする。

そして最後に、「Cy による節酒療法の治療成績は、記述の如く社会的治癒率76%がえられ、中毒者から飲酒のたのしみをうばうことがないので、苦痛がすくなく、実施が容易であることを考えれば、禁酒よりも節酒を目標にした本治療法のほうがまさっている」と、抗酒剤の開発者らしく、Cy を利用したもっとも効果的と考えられるアルコール依存症の治療法を提唱するのである。

 

その後、向笠は1988年の論文でも「私は節酒療法を提唱し、いまなおその立場をかえていない」と述べている。

背景には、抗酒剤を中心とするアルコール依存症の薬物的な治療が十分に評価されてこなかったという認識もあるようだ。

向笠は同論文で「嫌酒療法を熱心にやればやるほど、がっかりさせられる。抗酒剤としていかにすぐれていても、アルコール依存者たちが薬を嫌って飲まなくなってしまえばその先どうしようもない。このような理由から治療者(医師)の熱意はどこへやら、抗酒剤療法にはもはや期待がもてないとして断酒会への働きかけを強調する」と苦言を呈している。

まるで、薬物療法から断酒会へと重点を移していった、わが国のアルコール依存症治療のパイオニア、下司孝麿(以前のブログ参照)を念頭に置いているかのような発言である。

 

同類の、いわば断酒会への傾斜を牽制する言説は向笠以外にも散見される。

たとえば、「薬物療法の発展が不充分である」と考えていた精神科医の津久江一郎は、1969年の論文のなかで、「今日、欧米はもちろん、日本においても薬物療法に対しては、なお諦め的慣習が踏襲されてか、積極的な関心が少ないのに反し、社会適応性を直接重視しての断酒会などを通じての働きかけが、極めて盛んとなってきている」と述べているし、以前のブログでも登場した斎藤学は1985年の著書のなかで、「アルコール医療に対する治療的ニヒリズムはわが国の精神科医療全般を覆って」いるとしたうえで、この道の専門家であっても「断酒会やAA(Alcoholics Anonymous)を紹介する以上のことが(・・・)可能であろうか。もし専門家が断酒会依存に陥っているとしたら、それは断酒会自体にとって危険であり不幸である」と指摘している。

 

結局、向笠が提唱した節酒療法は日の目を浴びることもなく、断酒継続が日本のアルコール依存症の中心的な治療方針であったと思われる。

このあたりの動向について、2006年の心光世津子の記述を引用すれば、わが国の「アルコール医療は、はじめから断酒継続を目標に据えた治療をしていた。ジェリネック [注: E. Morton Jellinek, 1890-1963, アメリカのアルコール依存症研究者] の主張と同様に、アルコール依存症は進行性に飲酒に対するコントロールを喪失する疾患であり、節酒はきわめて困難という立場をとった。その後、海外の研究者らの中に、大規模な調査からコントロール喪失説に異議を唱える者が現れ、節酒プログラムも提供されるようになったが、わが国においては、現在も治療方針は変わっていない」という。

 

昨今では飲酒欲求そのものを抑制するという「飲酒量低減薬」ナルメフェン(Nalmefene)が開発され、わが国でも少し前に製造販売が認められたという。

唯一の治療法が断酒継続であり、節酒は困難と言われた時代から見れば、アルコール依存症の治療は新たな段階を迎えたということだろうか。

だからといって、集団精神療法や断酒会をはじめとする自助組織がこれまで担ってきた、心理社会的な治療アプローチの重要性が今後増大することはあっても、減少していくことはないだろう。

 

「戦後日本とアルコール依存症」というタイトルで語るべきことは、まだまだある。

断酒会以外に、日本における AA の展開も興味深いし、いわゆる内観療法とアルコール依存症治療との関わりも捨てがたい。

しかしながら、これらの話題はまた別の機会に譲りたいと思う。

 

<参考文献など>

・北村正樹「飲酒前に服用する国内初の飲酒量低減薬」『日経メディカル』2019年2月22日(https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/series/drug/update/201902/559874.html)

・向笠寛「Cyanamide (H2NCN) の生体アルコール反応におよぼす影響ならびに治療的応用」『精神神経学雑誌』64(5): 469-491 (1962).

・向笠寛「嫌酒療法」、大原健士郎・渡辺昌祐編『精神科・治療の発見』星和書店 (1988), pp. 277-289.

・斎藤学『アルコール依存症の精神病理』金剛出版 (1985).

・心光世津子「アルコール依存症と医療化」、森田洋司・進藤雄三編『医療化のポリティクス―近代医療の地平を問う』学文社 (2006), pp. 115-127.

・津久江一郎「アルコール中毒とくにアルコール嗜癖者の治療ならびに問題点」『広島医学』22(9): 794-802 (1969).

| フリートーク | 12:18 | comments(0) | - | pookmark |
旭川での私宅監置展 附 旭山動物園へ

今月のこと、2月9日に 旭川市市民活動センターCoCoDe で映画『夜明け前―呉秀三と無名の精神障害者の100年』の上映会があり、合わせて「私宅監置と日本の精神医療史」パネル展が開かれた。

主催は旭川精神障害者家族連合会であり、全国障害者問題研究会旭川サークルの協力もあって実現した企画である。

旭川でこの映画を上映するのは3回目(試写会を含めれば4回目?)だという。

 

なにぶん遠方であるので、私の手元にある展示パネルを旭川にお送りし、名古屋からこの会の成功を見守るということだった、最初は。

だが、年度末になって研究費をかき集め、なんとか旅費を捻出できたので、頼まれもしないのに旭川まで「押しかけ」ることにした。

展示して見てもらうだけでは伝わらないところを、現地まで行って説明したいという気持ちが強くあった。

 

(2020年2月9日、早朝のJR旭川駅)

 

旭川入りしたのは前日の8日である。

主催者の方々が空港まで迎えにきてくれて、パネルを展示している「ときわ市民ホール」に案内してくれた。

ここでの展示は、夕方には撤収。

翌9日は上記の CoCoDe に会場を移し、朝9時ごろからパネルの展示準備を行った。

この日は快晴で、朝の気温はマイナス22度!

ふつうのスニーカーで来たので、「足元には気をつけて」とまわりの人たちからは何度も心配された。 

 

(レトロな雰囲気の 旭川市市民活動センターCoCoDe)

 

(CoCoDe のホールで、上映会と展示会などの準備中)

 

開場はお昼。

来場者には展示パネルを自由に見てもらって、午後1時半から映画上映。

休憩をはさんで午後2時40分くらいから4時まで、映画や展示に関する「質問と交流」が行われた。

会場に「押しかけ」た私にも、解説の時間を用意してくれていた。

精神医療史の一般的な話になってしまった感があり、北海道らしい話題を事前にもっと予習してくればよかったとやや反省。

このイベントには70人弱くらいの人が集まった。

旭川から結構離れたところから来た人もいたようで、需要があるならどこででも展示会を開催したいと思った。

展示は夕方に撤収し、会場をもとにもどしたあと、関係者で居酒屋へ。

北海道らしい食事を堪能した。

ともかく、イベントの企画と実施に関わった人たちに、ひたすら感謝の2日間だった。

 

ところで、翌10日のこと。

せっかく旭川に来たし、帰りの名古屋便が発つまでにはだいぶ時間があり、動物園ウォッチャーとしては旭山動物園を訪れないわけにはいかない。

いろいろ評判になっている催しものなどがあるようだが、ここでの動物の暮らしぶりを静かに見て歩きたい。

朝9時すぎ、JR旭川駅前にある動物園行きの6番のバス停に行くと、すでに長蛇の列。

1台目のバスには乗れず、2台目に乗る。

動物園に着いたが、開園は10時30分ということで、正門前で20分くらい待つことになった。

昨日よりはだいぶ気温はあがったが、それでもマイナス10度くらい。

寒さが身にしみる。

 

(旭山動物園の正門からのアプローチ。開園とともに、正門付近にたまっていた入園者がぞろぞろと奥へ。)

 

あまり難しい話をするつもりはないが、そもそも「動物園はどうあるべきか」について考えたりする。

旭川までの飛行機のなかで、『動物園から未来を変える―ニューヨーク・ブロンクス動物園の展示デザイン』(川端裕人・本田公夫著、亜紀書房、2019年)という本を読んでいて、いろいろ刺激を受けた。

副題にあるように、ブロンクス動物園を中心に書かれてはいるが、欧米において動物園の役割や機能がどのように変化してきたか、最近のトレンドはどこにあるかが、分かりやすく整理されている。

 

旭山動物園のなかを歩くまえに、上記の本に全面的に依拠して、ここ数十年の動物園のトレンドをざっとまとめておきたい。

まず、動物園は「種の箱舟」であるという主張が伝統的にある。

絶滅のおそれがある種を飼育し、繁殖させ、種を保存すること、やがては野生に復帰させることも視野に入る。

が、現実的には難しい問題を含んでいる。

 

また、動物園は来園者を念頭に置いているわけだから、展示方法も重要になってくる。

ここで登場するのが、ランドスケープイマージョンという概念である。

檻や金網などを極力さけて、可能な限りその動物が生息している景観をつくり、自然にみえる展示を演出するだけではなく、「動物がいる空間と来園者の空間をひとつの連続した景観としてデザインする」、という壮大なものである。

 

他方、環境エンリッチメントという考え方もある。

飼育下の動物の環境を豊かなものにする、いわは動物福祉的な実践である。

たとえば、動物園での暮らしをなるべく単調なものにしないために、工夫しないと餌が簡単には取れないようにしたり、プラスチック製の遊具などを展示空間に入れたりするものである。

ただ、遊具などの人工物があると展示効果が削がれるという意味で、自然景観にこだわるランドスケープイマージョンとは対立する面がある。

 

さらに、動物園での飼育自体を悪とするアニマルライツという立場もある。

 

アニマルライツはさておき、動物園の未来を考えたとき、上述したような、種の保存としての役割、ランドスケープイマージョン/自然な展示、エンリッチメント/動物福祉、をいかに融和させていくかが鍵となる。

そして動物園は、次世代の人たちが自然活動や環境保全への行動を起こすためのゲートウェイでありたい、と述べられている。

 

これらすべての点で、日本の動物園は厳しく評価されねばならないかもしれない。

などと、やや頭でっかちになって入園するわけだが、獣舎をめぐるあいだ、そんなことはだいたい忘れている。

 

旭山動物園では、北国の動物たちがとくに元気のようだっだ。

ゴマフアザラシの一群がいて、その泳ぎをさまざまな角度から観察できる(私の「ホーム」である名古屋の東山動物園には1頭のみ。おかげで余裕で泳ぎ回っているが)。

シロクマも活発に動き回っている。

シンリンオオカミはここでも(東山動物園と同じように)寝ていたが。

北国らしさといえば、下の写真にある「北海道産動物舎」も地味ではあるが、なかなかいい雰囲気を出している。

 

(北海道産動物舎。フクロウ、ワシ、タカなどがいる。)

 

ただ、寒いのは苦手と思われる動物、たとえばチンパンジーは、いまひとつ元気がないように見えた。

この地方では、厳冬には室内の暖かい環境に閉じこもるほかあるまい(ちなみに東山動物園のチンパンジーは、真冬でも、雪の日でも外に出ており、積もった雪を珍しそうに食べるものもいた。もっとも、気温は氷点下にはなっていないはず)。

下の写真にあるように、果物や野菜が床に撒かれ、壁にそってふんだんに置かれているが、簡単に手を伸ばせば食べ放題という点で、「環境エンリッチメント」的にはマイナスかもしれない(私が見えないところで、工夫がされている可能性は大きいが)。

 

(ちんぱんじー館では、上からもチンパンジーを観察できる。)

 

動物園ブログではないので、旭山の話題は「こまい」の展示でそろそろ終わる。

この展示は、たしか、ほっきょくぐま館の階下あたりにあった。

昨夜、今回のイベントでお世話になった人たちと居酒屋に行った際、「こまい」の料理があったので急に親近感をもったのである。

 

(「こまい」の展示)

 

これで本当に最後、一言だけ。

日本の動物園における展示デザインの貧困問題が指摘されることがある。

この点について、『動物園から未来を変える―ニューヨーク・ブロンクス動物園の展示デザイン』の記述は以下のように手厳しい。

 

今ではかなりの動物園で、やる気のある飼育員が独自のコンテンツを手書きやら、あるいはパソコンでプリントアウトして、さらにラミネート加工などして展示している。手作り感満載で、素晴らしい出来栄えのものもある。でも、サインを作るプロとして雇用されているわけではないから、個々人がたまたま持っている能力や、費やすことができる時間によっても、出来栄えは大きく左右される。そもそも、クオリティをコントロールできる人がいないことがあり、その場合は、見栄えではなく内容が本当に妥当かも心配だ。現状、学校の壁新聞レベルのものを、飼育員の「独自調べ」で掲示していると言われても仕方がない。

 

上の写真の「こまい」の展示サインはどうだろうか。

飼育員の人がつくったかどうかは不明だが、「手作り感満載」といえばそうかもしれない一方、親しみがもてる出来栄えである。

あえてそのようにデザインしたのかもしれない。

旭山動物園全体の展示デザインは、こうした雰囲気に統一されおり、むしろ評価できる点ではなかろうか。

 

さて、お昼過ぎに動物園から旭川駅にもどり、隣接するイオンのフードコートで昼食をとる。

そのあと、泊まったホテルのまえで家族会の方々と待ち合わせ、車で空港まで送っていただいたうえに、お土産まで。

空港までの、高低差はあっても、ひたすらまっすぐの道が、北海道らしいと思った。

| フリートーク | 12:51 | comments(0) | - | pookmark |
戦後日本とアルコール依存症(4) 「家族の病」としてのアルコール依存症?

1980年代なかばに私が見学させてもらった東京都内の断酒会例会の雰囲気は、昨今の断酒会にも引き継がれているのだろうか。

当時、例会参加者の多くが男性の酒害者(患者/元患者)とその妻という構成で、前者が飲酒にまつわる体験談(主として失敗談、後悔、悔恨)を順々に話す一方、後者は会場の一角でお茶の係をしながらそれらの話を静かに聞いている、という感じだった(ただし、当時から女性酒害者専用の例会も存在していたので、そこでの雰囲気は違っていたと思われる)。

 

下の写真は、1987年12月の東京断酒新生会の例会の会場および日程の一覧である。

各区、各市、各病院などで開かれる例会の会場とその最寄り駅、(写真では見えないが)代表者の氏名と連絡先の電話番号が記入されている。

「日」のみは、月が変わるたびに手書きで記入される。

「時」は開始時間で、,18時30分からを意味している。

18時、13時、10時の開始時間もあるのだが、ほとんどの例会が,任△襦

これは仕事帰りに例会に立ち寄ることを考えたスケジュールだろう。

各会場の開催は月1回だが、日々都内のどこかの会場で例会が開かれていることになるので、例会めぐりをする熱心な会員も少なくないようだった。

「夕方、赤提灯ではなく例会に顔を出すことで、断酒を続けられるのです」と、聞いた。

ちなみに、一覧によれば女性専用の例会会場は都内に3か所あるが、いずれもスケジュールの13時からの開始である。

女性は日中の時間帯は家にいることを前提としていたのだろう。

 

(「東京断酒新生会(12月)例会 相談、病院、保健所、家族会 日程表」より)

 

ところで、わが国の断酒会はアメリカ発の AA に起源があることは以前の記事で述べた。

AA とは、アルコール依存症患者のためのセルフヘルプグループ Alcoholics Anonymous の略称であり、上記の東京断酒新生会はこの AA を参考にして1957年に結成されている。

だが、アメリカとは社会的な背景がずいぶん異なる日本で展開していった断酒会は、独自の道を歩んでいく。

そのため AA と断酒会との比較は、関係者のあいだでしばしば言及され、社会学や人類学に関わる研究者の格好の研究テーマにもなっている。

 

21世紀にはいってからの比較的新しい研究としては、メルボルン大学の Chenhall らによる、日本各地の断酒会を対象としたフィールドワークがある。

それによると、断酒会には「断酒誓約」が、AA には「12のステップ」という、いわば回復の指針があるのは共通だが、後者はそのなかで God や greater power への言及がある一方、前者では宗教的な概念は登場しない。

AA が依拠しているキリスト教的な原理が、日本的な文脈のなかでは理解されにくい、ということのようだ。

そして、もっとも大きな違いは、AA が匿名(anonymous)で運用されているのに対して、断酒会の活動は非匿名性にもとづいている点である。

ある断酒会の会員は、「侍は敵のまえで自分の名を叫んだ。かつて侍がそうしたように、断酒会のメンバーは例会で自分の名を言うことになっている」と語ったという。

Chenhall らは、日本のいわゆる「恥の文化」論と「断酒会で自分が何者であるかを隠すのは恥である」という思考との関連に思いをはせている。

また組織について、AA はメンバーが横でつながる構造(a flat organization structure)であるのに対して、断酒会の意思決定はトップダウンで、会員同士の関係は垂直的である(vertically)と述べる。

そして、断酒会におけるアルコール依存からの回復とは、患者個人の道のり(journey)ではなく、その治療過程において家族が包含されること(inclusion of the family in the therapeutic process)と密接に関わっていると結論づける。

 

(断酒会の例会で配られた紙片。いつ、どこで開かれた例会だったかは、記憶にない。)

 

どんな病気であれ、回復していくのは患者個人であるが、家族がその治療過程に関わっていくことは自然と思う。

だが、Chenhall らの指摘どおり、断酒会が発行した印刷物を拾い読みするかぎり、患者だけがアルコール依存症にかかっているのではない、これは患者の「個人の病」ではなく「家族の病」でもあるので、患者(おもに夫)への家族(おもに妻)の関わり方を変えることで、回復への道をたどることができる、というモデルが中心に置かれているようだ。

 

ある患者の妻が書いた手記の一部を、断酒会の会報(『東京断酒』第215号、1987年)から紹介したい。

「家族の病」という視点が関係者のあいだで共有されていることを示す一例といえよう。

手記のタイトルは「愚妻愚母」である。

この妻が夫の入院手続きのために病院を訪れ、主治医と面談する場面が次のように書かれている(一部は伏字にしている)。

 

昭和〇〇年〇月〇日、二度目の〇〇病院に入院、入院の手続きをすませ、主人を病室に送った後での〇〇先生との面談の時です。

「奥さんあなたもアル中です、すぐに断酒会に入会しなさい。」

「あの、私、お酒を飲みませんが?」

「奥さん、あなたもアル中なの、飲まないアル中。とにかく断酒会に入りなさい。(・・・)」

「ハイ。」何んの事やらさっぱりわかりません。どうして私がアル中なのか、でも、先生の言う事ですから逆う訳にもいかず納得出来ないまま、〇〇支部長 [断酒会の役員] の家に電話しました。

(・・・)

断酒会に出席していても、子供達の事が気になるし、私は本人ではないと言う考えが先行して皆様のお話が少しも頭に入りません。主人の代りに出席していると言う考えでおりました。

そして、何時の頃か、例会出席を重ねる中に、ふと、自分のして来た努力がまるでムダな事、逆に主人を悪い方へと追いつめていた事に気付きました。

“愚妻愚母” まったくその通りでした。

 

「“良妻賢母” 私もこの言葉の末席に入れるものと信じて、一生懸命努力してき」た結果、断酒会の例会出席を重ねるうちに“愚妻愚母”だったという認識に至ったという。

手記によれば、その後に退院した夫は断酒会に入会し、4年間断酒が続いているということで、この時点ではハッピーな展開になっている。

妻は断酒会に感謝の言葉を述べている。

私はこの家族の回復過程について評価を行う立場にはないし、するつもりもない。

ただ、妻をこのような認識に至らしめたものは、何だったのかと思う。

それは、繰り返しになるが、「家族の病」という考え方ではなかろうか。

この考え方は、酒害者とその家族から、内発的に出てきたものではないだろう。

 

振りかえれば、前回のブログで引用した足立区の父親殺害事件は、酒害者である父親個人の問題行動に(のみ)焦点が当てられていた。

妻子はあくまで犠牲者という位置づけだったのではなかろうか。

ところが、時代は移り変わり、飲酒問題における「家族の病」説が台頭してきたのである。

 

 

(東京都立精神衛生センター『アルコール“家族教育プログラム”テキスト』より。“アルコール依存症は『家族病』”と書かれたページ。私は1987年にこのプログラムに参加させてもらった。)

 

久里浜病院での勤務経験もある精神科医の斎藤学は、1985年に出版された著書『アルコール依存症の精神病理』のなかで、「今や、「アルコール依存症は“家族病”である」との認識が、この疾患への対応に必須のものとなりつつある」と述べている。

そして、家族の中でも、酒害をめぐる夫婦関係に多くのページを割いている。

それによると、「成熟した男と女の人間関係」の成立に失敗している夫婦関係は、「互いに親とみたててこれに依存しようとする一種の競合関係に陥」り、「夫婦の一方が何らかの理由で“ケアを与える成人”の役割を受容するようになると、関係は次第に親子のそれへと転化してい」き、「こうした退行に向かう夫婦過程の途上に登場」するのが飲酒問題だという。

そのうえで、「飲酒問題の影響のみを取り上げたり、配偶者の人格傾向のみに注目しようとしたりといった片寄った態度は誤った結論を導きやすい」し、「“妻のパーソナリティが夫を飲ませるのか、夫の飲酒によるストレスが妻を混乱させるのか”という二者択一的態度ではなく、“妻のパーソナリティも夫の飲酒問題によるストレスも”念頭に置きながら両者の相関を検討していくという、複眼的分析方法が必要とされ」ると述べ、「家族の病」という視点を強調しているようである。

 

斎藤の飲酒問題と夫婦関係の言説は、彼の著書で紹介されているジャクソン J. K. Jackson(1954年)によるアルコール依存症の進行にともなう配偶者(妻)の対応過程の「七段階説」にヒントがあるのかもしれない。

ジャクソンはアルコール依存症患者の妻らに面接調査を行い、「夫の飲酒問題の発展に反応して、妻と家族成員の態度」は、次のような7段階の変化をするという。

 

〆覆眤召硫搬伽員も夫のアルコホリズムを否認しようとする。

⊆匆颪らの孤立、疎外に直面してこれを無視しようとする一方、妻は不全感にさらされる。

「解体期」で、妻は夫の飲酒問題を永久的につづくものと受けとめるようになり、事態の建設的な処理を放棄するようになる。

げ搬欧虜胴柔がはじまる。妻は夫の行動を恐れるよりは、むしろあわれむようになり、従来夫の義務と考えられてきたようなさまざまな役割を自分で果たすようになる。

ヌ簑蠅らの逃避に努力が集中し、可能であれば別居する。

ι廚鮟いた家族成員間で一種の再構成が行われる。

夫のアルコホリズムが回復し、今度は夫をまじえた形で家族の再々編成が行われる時期である。妻はそれまで引き受けていた種々の責任のうち、元来夫に返すべきであったものを返す。

 

ここで示されているのは回復へのプロセスであるが、妻が肩代わりしてきた夫の役割を、最終的には夫に返す、というところがポイントである。

「本来の」家族の役割がもとにもどって、はじめて「家族の病」からの回復が完結する、ということである。

これに関連して、断酒会が出したパンフレット(『奥さん、あなたにもできることがあります!』東京断酒新生会、年代不詳、おそらく1980年代)からの引用で終わりたい。

 

家庭の主人の座を、早く夫に返しましょう。

アル中の夫を持ちますと、生活の必要上、いつの間にやら家庭の主人の座に妻が収まっていることに気付きます。夫が恢復に向かったら、なるべく早く夫に主人の座を返すことです。

私が若い頃読みましたスティーブンソンの“妻”という小説の中に「男というものは、家に妻と子供という人生の可愛いお荷物があるから、元気に働くものだ」という一節がありますが、私達も着なれぬヨロイを脱いで、妻らしい装いで夫の可愛いお荷物になってみましょう。夫に愛される妻になりましょう。その方がきっと私達には似つかわしいと思います。

 

どうだろうか。

今日的な視点からは、違和感とツッコミどころ満載の記述かもしれない。

「家族の病」をめぐる昨今の議論はどうなっているのだろうか。

十分に調べられる余裕がないのだが、気にはなる。

 

<参考文献>

・Chenhall RD, Oka T: An initial view of self-help groups for Japanese alcoholics: Danshukai in its historical, social, and cultural contexts. International Journal of Self Help and Self Care, 5: 2 (2006/2007), 111-152.

・斎藤学『アルコール依存症の精神病理』金剛出版 (1985).

 

(つづく)

| フリートーク | 13:11 | comments(0) | - | pookmark |
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
LINKS
PROFILE